晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雪解け  1/6

2009-01-07 | 日記・エッセイ・コラム

2009.1.6(火)雨、曇り

 店開けたと思ったらすぐ定休日である。雨が降っているのでじょんのオシッコ、うんPだけ済ませて朝寝する。朝寝がこんな気持ちいいものかと感心する。朝から雨が降っており、完全に雪が溶けそうだ。昼前になって雨が上がってからじょんと散歩に行く。雪が溶けると散歩道に犬のうんPが現れてくる。これでもかというほど出てくるので頭に来る。田舎では田んぼ、畑、山、川、農道、 空き地など犬の散歩フィールドがごまんとあるので、うんPの始末をしない人、あるいは放し飼いもあるようだ。放し飼いといっても四六時中放しているわけでなく、一定の時間を放しているわけだが、これも問題ありそうである。
 府道一号線の交通マナーの悪さと同様で、マナーが悪くてもそれで何とかなっているというのが、都会と田舎の違いである。しかし一旦事故が起これば重大な責任となるのと同じで、その犬が人を襲ったりした日には犬も飼い主も重い責任を負わなくてはならない。そしてうんPの問題である。農道に落ちているうんPなど問題じゃないという人もあるかも知れないが、犬を飼ってない人やその地主さんになど、腹立たしいことだと思う。
 実は夕べも我が家のセンサーライトが三度ばかり点灯し、猫かイタチかなあと思っていたのだが、朝になって大きな犬の糞を発見、別の場所からも雪解けと同時に糞が出てきた。Img_1873 Img_1874                     

夕べの侵入犬のうんPと雪解けで出てきたうんP


じょんの名誉のためにじょんのうんPもお見せしよう。明らかに色が違っているので解る。Img_1876       




 雪解けの話がとんでもないところにいってしまったが、今回の雪で納得できたことは、縄文文化が北の国で花開いた理由である。この件に関しては昨年の9月22日の記事で、三内丸山遺跡のことを書いているが、将に狩猟文化の発展には積雪が必要であることが身をもって体験できた。雪の上に出来る足跡が、その動物の種類や獣道、巣穴などあるいは行動の一部始終を教えてくれるということである。朝一番に散歩すると、犬についてはどこの誰がどの散歩コースを歩いているか、帰省の誰かがどのような犬を連れてきているか、ここでオシッコしているか、ここで折り返しているかなどなど行動のすべてが足跡に残る。飼い主が散歩している場合は、横に長靴の跡が残るし、放たれているものはそれがないのでよく解る。
 動物について言えば、例えば猪は毎晩出没している。通り道も決まっており、多くの人が言っている様に北側の山から出てきて府道を越えて田畑を荒らしているのではなく、南の山から上林川を渡って来ているようだ。彼らは橋を渡るのではなく川を徒渉して来ている。鹿の足跡はあまり見ないが、川向かいの田んぼには糞が落ちていて、出没しているようだ。それ以外の小動物の足跡もあり、キツネ、イタチあるいはヌートリアなどかも知れない。足跡を辿れば巣穴に行き着くことも可能なようだ。このように積雪というのが狩猟には必要なのがよく解る。そして耕作が始まる弥生文化となると温暖な西日本に舞台が移ってくるわけだ。

今日のじょん:犬が雪を好きなのはよく解ったが、雪が溶けても、屋根からの雪が山となって残っているところに毎日登ってご機嫌である。ぽんぽこぽんをしても、必ずこの山に登ってから帰ってくる。Img_1878

コメント
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