晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

京都に行く 9/4

2009-09-05 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.4(金)晴

 マンションの工事で置いておけなくなった物置を取りに京都に行く。貴重な定休日を潰すのはもったいない気はするが、いろいろ所用があるのでまあいいか。残暑厳しい中、戸や棚板をはずし運び込む。軽トラなら簡単に積めるのだが生憎軽トラにはクーラーが付いていない。乗用車では積めるサイズがギリギリだがなんとか積めてほっとする。それにしてもこの暑さはなんだ。路上の温度計は35度となっている。Img_2968
持ち帰った物置、ここにガーデンシェッドを作る予定だったので手間が省けたが少し小さいか。


 もう一つの予定は瑞穂町(現京丹波町)のあるお客さまの宅を訪問することだった。白糸濱神社の植木市が始まっているので教えてあげようというものだが、素敵な別荘地の住宅を見てみたいというのも本音である。田舎のことだからすぐに解るだろうと行きがけに探したのだけど解らなかった。帰り道に再度違う方向から探すがやっぱり解らない。畑仕事しているばあさんやおじさんに聞くが、住所はともかく個人の家など分かるはずもない。この辺が上林と違うところだ。上林なら個人名で大抵の家は判明する、大規模な分譲地など無いのだ。
 瑞穂町の国道9号線から瑞穂ゴルフまでの広大な土地は分譲地として開発されている。ところがその内の主要な開発会社が倒産したとかで、開発が頓挫している。既に購入建築され居住されているところもあるが、多くは草ぼうぼうで何とも痛ましい。ところが逆にこの分譲地に総て住宅が建ったらと想像すると、都市近郊の住宅地のようでこれまたいただけない。特に丹波高原の樹林帯の残っている地域はこのまま林を残してほしいなあと思う。そんな一画に目的のお家があった。結局道が解らなくて迎えに来て貰ったのだが、、、。もう一軒お知り合いの家があったのでそちらにもお伺いして見せていただく。いずれも庭作ったり小屋作ったり楽しそうだなあと思う。同じ田舎暮らしといっても上林とはまるで違った田舎暮らしだ。Img_2962

メルヘンチックなポストアンドビームの家


【作業日誌 9/4】
無し

今日のじょん:今日は一日お留守番。その間一体何してるのか隠しカメラなんかで見てみたいと思ってるが、きっと一日寝てるのだろう。だって帰ってきたら寝ぼけた顔してるもの。 

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河牟奈備神社 9/3

2009-09-05 | 歴史・民俗

2009.9.3(木)晴、曇

 昨日石見銀山の間歩(まぶ:坑道のこと)の写真を掲載して気がついた、「甘南備坑」と名付けられた間歩は唯一公開されている龍源寺間歩に向かう渓谷の脇にあるものだが、この甘南備(かんなび)という名前は神の鎮座する場所という神奈備と同じ言葉で、この間歩が神社あるいは神聖な山などと関係があるのかなと思わせる。ところがそれらしい神社や地形は見あたらず、世界遺産に指定される前の石見銀山遺産ニュース第5号(2003.5.7)に次のように書かれている。龍源寺間歩名は邑智郡川本町にある龍源寺(臨済宗東福寺派で応安元年(1368)に小笠原長氏によって創建されたと伝えられている)に由来しているようだ。また甘南備坑は江津市桜江町にある甘南備寺(真言宗)に由来しているようだ。甘南備寺は小笠原氏の代々の祈願所であったそうだ。寺の存在が意味するというより、小笠原氏となんらかの関係がこれらの間歩にあったのではないか。

Img_4456龍源寺間歩内部。



偶然に撮った一枚の写真でずいぶん余談となったが、じょんのび村のある地域の氏神さんは河牟奈備神社という。じょんのび村から900mのところにあり、その地大宮の地名は将にこの神社を指すのだろう。河牟奈備、甘南備とも神奈備であり、神の鎮座するところと言う意味である。古来からの名で出雲国風土記にも数社が登場する。神社の起源とも思われる自然崇拝の神社で、その多くが自然の山、特に三角錐状の山などを御神体あるいは聖域としているようである。この地に来たとき何とも奇妙な名前の神社だと思ったが、実は由緒ある社名で、固有名詞というより普通名詞のような扱いである。
Img_1861  雪の河牟奈備神社本殿(2009.1.1)

和同二年(709年)の草創といわれ、今年で1300年となる。10月12日(祝)に1300年祭が執り行われる予定で、昨秋の金比羅講300年祭といい、記念すべき時季にこの地に越してきたものだと思う。詳しくは調べていないが境内に古墳が数基有ると聞く、従って相当古くから開けた地域であることには違いない。
惜しむらくは宝物、文書などが焼失しており、言い伝えだけが綿々と引き継がれていることである。
 なお氏子圏はかつては十倉、井根、武吉、佃、忠、念道六ヶ村であったが現在は井根、忠、念道となっている、と上林風土記にある。井根も忠も全体が氏子圏だが念道だけは天王の谷から上は葛礼本神社の氏子圏となっている。つづく
Img_2950
右手の作業場の白い小屋の前にある谷が氏子圏の境。


【作業日誌 9/3】
芝刈り(A地区)

今日のじょん:ぽんぽこぽんも積極的な日と気合いの入らない日がある。今日は凄く積極的。Img_2960
 

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