晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

秋期ガーデニング作戦 9/8

2009-09-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.8(火)曇

 涼しくなってきたので秋のガーデニングを始めることにする。じょんのび坂左とじょんのびの木からじょんのび谷の広場に芝を蒔くこと。芝の播種は少し実験的にやってきたが本格的に広い面積はやったことがないので、大きな賭となるかも知れない。種の種類は検討の結果ケンタッキーブルーグラスでタキイの人気商品ムーンライトとする。特に新発売のSLTは耐塩性が強くて、犬のオシッコにも強いかなとこれにする。1Kgで50~60㎡蒔けて通販価格3,300円、うまく行けば安いかなというところである。ところが問題は播種する場所だが、今のところ雑草が茂っており、手の付けられない状態である。雑草を処理しても石だらけの地面で、これを除去して耕すのはまた一苦労だろう。真砂土を無料で頂いているのだが、小石混じりなので篩に掛ける必要もありこれまた大変である。というわけで種の購入は簡単だが、播種の準備が一苦労となりそうだ。
 次に既存の芝の手入れである。芝刈りもままならない状態であるが施肥と砂入れを9月中にやらなければならない。そして出来ればベンチレーションもやってみたい。
 今日はとりあえず舞鶴の白糸濱神社の植木市に行く。春にも行ったのだが、とにかく安い。市販の1/2~1/3というところである。大きなものは植え付けてくれるし、うまく着かなかったら代替え品をいただけるということである。幸い元気に育っているのでこのようなこともないが、、、、。いろいろ相談に乗ってくれるのも嬉しい。いろんな人に紹介して喜んでもらっている。

Img_2990 Img_2991
所狭しと並んでいて楽しい。


 島トネリコ2本、紫の百日紅2本、銀木犀、サザンカ、正木、藤を買って3,500円、他で買ったらゆうに一万円は越えるだろう。うちに帰ったらもう四時である。暗くなるまで植え付けにいそしみ、藤と百日紅を残して植え付け完了、くたくたになる。
Img_2994 サザンカや銀木犀はこんなに大きい。



次に昨年植え付けた木々の剪定である。思ったより生育が良くて、というより良すぎて剪定が必要となっている。これも経験がないので勉強しながらやっていかなければならない。そして最後に冬の準備である。11月頃になると思うが、木々の支柱や雪囲いをする必要がある。もちろん材料の竹の伐採や油抜きもしなければならない。とにかく今年の雪には参ったから。
 なんかプレッシャーがかかるが、楽しんでやらなけりゃやってられないぞ。
【作業日誌 9/8】
植木買い付けと植え付け
大根播種準備

今日のじょん:今日も散歩から帰ると出会い頭に蛇がいた。アオダイショウの幼蛇でマムシと同じ模様の蛇だ。といっても青年ぐらいか、そこそこ成長している。相手もよほどびっくりしたのか素早く向きを変えてくねくねと逃げ出した。じょん君今回はどうするかと思いきや、追いかけているではないか。あまりに目の前で、見て見ぬ振りというわけに行かなかったのか?それとも今までは本当に見えてなかったのか、永久に謎である。
写真は今回とは関係ないが、じょんのび村で繰り広げられる生物のドラマである。Img_2978

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河牟奈備神社(2) 9/7

2009-09-08 | 歴史・民俗

2009.9.7(月)晴

 河牟奈備神社について伝説がある。複数の人に聞いたものだから巷間語られているものらしい。
 昔、大水が出て神社周辺は水浸しとなった。特に上林川の屈曲点の現在広大な農地になっているあたりは大きな湖のようになった。神社のあたりに大蛇が流れ着いた。神社にお奉りしたところ水が引いて水害は治まったと言うことである。
 この話に尾ひれが付いて、以前は上林川は真っ直ぐに大宮から十倉に流れていたのが、このときから忠町の方へ迂回したとか大蛇を奉ったから鳥居の七五三縄が蛇になっているとか言われている。

Img_1862
下方に見える大鳥居に蛇状の七五三縄が見える。


前者はあり得ないことだが、後者は頷ける。といっても元々七五三縄は蛇から来ているという説が有力である。このことをH原さんに話したら、「あれは蛇違うで、龍やで」ということだった。龍の方が格好いいが豊穣を意味する蛇の方が信憑性が高いと思うのだが。
 上林は奇妙な地名である。村名が無くなった今、地理的には上林川にしか名が残っていない。もちろん学校や支所の名前としては残っているのだが、地名としては川だけである。姓としては以前にお話しした宇治茶の老舗や舞鶴市その他に残っているが、上林には一軒もない。上林氏が信長に滅ぼされた以後も相当厳しく残党狩りが行われたようで、江戸時代には既に一軒も残っていなかったそうである。(上林風土記)散り散りになった上林一族が誰一人この地に還ることがないのは、祖先の怨念でもあるのだろうか。
 ところが書物を見る限り、といっても奥上林村誌と上林風土記しか読んでいないが、上林氏は上林に来たときに「上林」姓を名乗ったようである。とするとそれ以前からも上林という地名は有ったわけだ。奥上林村誌年表には平安時代に「上林荘」と呼ばれる荘園であったと記されている。室町時代の安国寺文書には「上林上下村」の記述があり、上村の上林氏、下村の渡辺氏というようなことも上林風土記にある。
 ではこの上林という地名はどこから来たのだろうか。平安期の辞書、和名類聚抄に何鹿郡十六郷が、加美郷(現在地不明)、拝師郷(上林)、八田郷(八田)吉美郷(吉美)物部郷(物部)云々と書かれている。古代の上林の地は拝師郷と呼ばれていたのである。とまあこれは奥上林村誌に書かれているのだが、上林風土記には上林荘は賀美・拝師両郷の地に立荘されたと記されている。いずれも根拠は書いてない。
 私は単純に賀美・拝師(かみ・はいし)が上林(かみはやし)となったものと予想する。つづく

【作業日誌 9/7】
秋蒔き準備
トリマー用治具作製

今日のじょん:ことぶき屋さんちのサリーちゃん他四匹が大挙して来じょんしてきた。もうじょん君大興奮。早くドッグランを作らねば、、、。そういえば京北のアウルさん閉めちゃたそーだ。Img_2986 Img_2988 

ジナンくんとサリーちゃん

コメント (2)
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