晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

金属地名のこと 11/2

2009-11-02 | 歴史・民俗

2009.11.2(月)雨

 「和鉄の文化」(2009.11.1)のところで、古代の製鉄地は未来に何も残さないので、その地域では過去に製鉄が行われてきたことなど思いもしないという意味のことを書いた。鉱山でも冶金でもいわゆる金属産業というものは多分に一過的なものであって同様の経過をたどるようだ。例えば鉱山などは鉱物が無くなればその地は廃棄されるだけであり、鉱山師はまた次の鉱山を求めて移動するか、その地に居ついて百姓をするかという結果となる。もちろん大規模な鉱山、例えば佐渡の金山とか生野の銀山、石見の銀山などは遺跡も文書も沢山残り、世界遺産に登録されたり、大観光地となったりして今日に残っている。しかし大部分の古代の鉱山は跡形もなく、口伝も伝承も残らず、そこに住む人達は過去にそのようなことがあったことなど知るよしもない。金属文化とはそのようなものらしい。しかし、私が付け加えたように「彼らが祈った神と地名にかすかにそのいにしえの文化が残っている」のではないか。上林の小字名を見てみるといわゆる金属地名と言われるものが沢山ある。いくつかの神社にも金属関係の神様が祀ってある。三国岳から弥仙山、そして由良川を越えて鬼ヶ城、烏ヶ岳、姫髪山にいたる山脈に鉱脈があることも言われている。しかし上林に住む人はほとんどそのようなことは認識がないだろうし、きっと綾部市史なんぞを紐解いてもそのような記事は出てこないのだろう。(私は読んでいないので解らないのだが、、、)
 例えば中上林の小字で金属地名と思われるものを揚げてみると、才ヶ坪、中風呂、夕船、イカ入、引地、芋谷、椿山、日置、朝日山、菅谷、入道、弓削、遊里、日置殿町、湯ノ上、ユリ向、赤谷、ユリ道、ユリ下、ニョウズ、ユリ道、赤谷、ニョウズ谷、ヒシリ、大ヒシリ、サビシロ、ヒノコヤ谷、スズバミ、遊里詰、菅坂、鍛冶屋谷、カジヤ谷(睦合、八津合、五津合、五泉町の順)Img_3225


この谷にも金属文化が息づいていたのだろうか。(浅原 中風呂)

 もちろんこれらが総て金属関係の地名に当たるとは言えないし、まだ見落としていたり、気付いていない地名もあるかも知れない。特に遊里、ユリ関連の地名は金属地名というよりは「岼」に代表されるように山間の緩やかな地形を表す地名だとするのが一般的で「丹波の話」(磯貝勇)でも遊里についてそのように述べている。しかし私は畑口川流域と上林川上流地域に異常にこの地名が多いのに少し違和感を覚えている。夕船、湯ノ上などと合わせて金属関係の地名である可能性を考えている。このことは後でまとめる予定である。その他の地名についても根拠というかいわれをいづれ発表したいと思っているが、いずれにしてもそのことが正しいか否かは判明しないことである。地名というものはそういうものである。その根拠が正しいか否かは、例えば古文書が発見されてその旨書かれたとしても、それが真に正しいかは解らないのである。それが自然科学と違うところであって、証明のしようがないというのが人文科学なのだろう。より多くの人が納得する説が正しいとするしか無いのであって、その中に専門家や研究者が混じっていればより信頼性が増すと言うだけのことである。つづく

【作業日誌 11/2】
なし

今日のじょん:おとーと一緒で雨は大嫌い、散歩に行っても少しもうんPをしないのでかみさんに叱られていた。叱られるとしばらくはしょぼんとしているが、遂にホネホネを持ったまま固まってしまった。Img_3287

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和鉄の文化 11/1

2009-11-02 | 雨読

2009.11.1(日)曇、雨

 午前中夏を思わせる高温になったかと思うと午後は雨が降りだし、明日からは冬型となって冷え込みがきついそうだ。こう寒暖の差が激しいと体調も壊してしまう。治ったかと思われた風邪も何か鼻づまりなどがすっきりせず、妙に身体がだるい。発熱は無いので新型インフルエンザのおそれは無いようだが、綾部まで侵入していると言うことで気をつけるに越したことはない。雨が降ったという訳だからではないが、一冊の本を読み終えたので報告しておこう。Img_32812
 和鉄の文化(その系譜・美・技術の魅力)井塚政義著八重岳書房、昭和58年9月発行初版である。手作りの鉄仏、芦屋釜の変遷、種子島に来た製鉄集団、伊吹《ねう》地帯の変遷などの内容で、前読の「古代の鉄と神々」同様目から鱗の新しい知識を知り得ることとなった。製鉄と言うものは現在のみならず古代においても中国山地のたたらのように特殊技術を持った者がマニュファクチャー的な生産を行っており、一般の農耕民には無縁のものと思いがちである。ところが実際には自給自足物品として生産されていたのではということである。それは砂鉄など原料の得やすさと鉄の融点の低さである。燃料としての薪は充分にあっただろうしそれは可能なことだと思う。
大陸からあるいは南方から新しい技術が移入され、奇しくも鉄砲と同じく種子島に製鉄技術が上陸しただろうという説もある。最後の伊吹ねう地帯については、製鉄の豪族息長氏の変遷についてであるが、司馬遼太郎氏の言葉を紹介してある。

「製鉄業者というのはガンのウィルス説に似ている。ウィルスはガンの細胞をつくる刺激を与えるが、ガン細胞を切り取って電子顕微鏡で見ても、もうウィルスはどこにもいない。それと同様、製鉄業者は古代も近世も、廃棄物を地上にのこすのみで、当の実体はまぼろしのように掻き消えたまま、口もきかず、伝承も残さないのである」
なんとも意味の深い言葉ではないか。私が付け加えるとしたら「残っているのは、彼らが祈った神と土地に残された地名だけである」

【作業日誌 11/1】
なし

今日のじょん:今日は吐くこともなかったが、朝ご飯は食べない。どうもこのドッグフードが気に入らないらしい。黙って容器を指さすと、口で容器ごと移動させ、数粒を小屋の中に持っていき、毛布の中にばらまくのだ。この行動はじょんの行動の中で唯一不可解な行動だとかみさんは言うのだけど、今不要な食べ物を保管しておく、土に埋めておくという本能の行動なのではないだろうか。

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