2009.11.4(水)快晴
「引地」という地名を追って全国の「引地」の地図を探している。インターネットになって地図を見るのは楽になった、全国の小字まで載っている地図を買っていたら数十万円はかかるだろう、その上地形図や航空写真まで見ることが出来るのだ。地名の旅もずいぶん簡単になった。各地の「引地」を見ながら、その共通項を探れば地名のいわれも答えが出てくるのではないかと思われた。どこかのサイトで「引地」は金属関係地名だというのがあった、確かに鉱山の近くに「引地」はあった。「引地」があるところの自治体のホームページを探ると「引地」のいわれについて書いてあるところもあった。「河川の水が土地を浸食しているところ」ということだ。なるほど、上林の「引地」もそういうところだ。ところがこれだけでは鉱山や冶金には繋がらない。そうこうしているうちに豊田市の「引地」にたどり着き、完全に行き詰まってしまった。豊田市内に10数カ所引地があるのだ。どこの地方自治体でもまあ一ヶ所が普通である。市の東部、山間部のあらゆる谷の源流近くに「引地」は存在する。こんなにあるのならどういった場所か、地名の語源は、歴史的ないわれはといったことが明白と思われる。豊田市の郷土資料館に電話してみる、「鉱山などはありませんでしたか?陶土などの採掘はありませんでしたか?」と付け加える。しばらくして回答があり、「市史や地名辞典等調べましたが記載はありません。過去に鉱山があったということはありませんし、陶土の採掘などもありません。言えることは総て山間地にあるということです。」なんともつれない返事、がっかりする。仕方なく一つひとつ調査を進めてゆく。ここでひとつの仮定を想像する。綾部市の郷土資料館に電話して、「上林に引地という地名があるのですがそのいわれや語源はなんでしょうか?」と聞いたらどのような返事があるだろうか。きっと豊田市と同様の結果となるだろう。
今のところ「引地」は鉱山の近辺にある、川の屈曲点あたりにあるというのが共通点である、豊田市を除いて。そして上林の引地の氏神が葛禮本神社でその祭神が金山彦命であるということが解っている。
金属地名を探して数冊の本を読む、「古代の鉄と神々」(真弓常忠)「和鉄の文化」(井塚政義)「古代の朱」(松田寿男)「中国山地のたたら製鉄」(広島県立民俗資料館)「日本の鉱山文化」(国立科学博物館)「日本の地名」(谷川健一)などなど、ここで知った金属地名が先日中上林の金属地名で揚げたものの中に含まれている。中には私自身が考えたものもあるので、いづれ紹介したい。しかし「引地」についてはどこにも書いてないのだ。 「引地」単純な地名だけれど、奥の深い、なぞめいた地名ではある。
【作業日誌 11/4】
木小屋造り(5日目)屋根組み造り
今日のじょん:店が超暇でじょんもおとーも手持ちぶさた、このままじゃ太っちまうぜ。