2009.11.17(火)雨
前回地名に関する語源や由来を単純に当てはめるのは危険という話を書いたが、特に金属地名については語源となる言葉がごまんとあり、どこにでも当てはまる様な気がする。例えば「クラ」はツングース語で鉄山や鉱山を表すと云われているが、クラの付く地名などそこいら中にある。十倉、高倉などが近隣にあるがそのまま当てはめるのは無理がある。金属地名で「藤」の付く地名というのがある。「○藤、藤○」なんてのはそれこそどこにでもある地名だ。ではなぜ「藤」が金属地名かというと藤蔓が鉄穴流し(かんなながし)という古代の採鉄に必要なというか重要な素材であったようである。かといって「藤」が付けば必ず金属、特に製鉄と関連のある地名とは言えないだろう。インターネットのサイトでは「藤」の付く地名は金属関連の土地であると言い切っているようなものもある。
金属地名には上記のように学習しなければ解らないものもあるが、一般的な誰でもわかる地名もある。金谷、金屋、鍛冶屋、鋳物などの地名である。これらのいわゆる金属地名をある地点で探そうと思えば、どこででも発見できるのではないか、自らが金属関係地だと仮説を立てた地で探せば何らかの金属地名が出てくるのではないかという疑惑が沸いてきた。確かに私が金属関連地だと思う地域の地図を見ると大字小字の中に金属地名がかなり高い確率で出てくるのだ。やっぱりという満足感と同時に探し出した地名などどこでも出てくるのではないかと不安になる。地図といってもインターネットで配信されている地図なので、アトランダムにある地域を出して調べてみる。そうするとどこにでもあるような金属地名がまったく出てこないのだ。これにはほっとしたと同時に、やはり金属地名と言われるものを探し出すことにある種の意味を見いだすことができそうだ。ただ前回で書いたように、その地名がひとつだけ見いだされたとして、その地を金属関連地と断定するのは早計である。やはり山田秀三氏のいうとおり「 広く同形類形の地名を集めて、地名語の意味、語法等を割り出し、地名記録、伝承、地形、地誌等々から帰納的に改めてみて、解明ができるか否かというものである。」という方法で判断していくべきだろう。
室尾谷で鉄滓かと思って拾った石、磁鉄鉱かなと思い磁石を近づけてもぴくりともしない。ただの石か。
古代の金属関係の地には、歴史的な資料は何も残っていない。古代の鉱山は跡形もなく、口伝も伝承も残らず、そこに住む人達は過去にそのようなことがあったことなど知るよしもない、というのが実状である。その理由として鉱物を掘り尽くせば、また次の鉱山を目指して去ってしまう、仮にその地に定着したとしても鉱山に関係することはなく農民として定着するので忘れ去られてしまう。例えば鉄の場合など腐食が早いので遺物が残らない。などと云われているが、どうもそれだけではなさそうだ。古代に開発が始まって、鉱脈が絶えることなく、幕藩時代、近代まで経営が続いた鉱山などは、文書、図面、工具用具、技術関係の文書、もちろん坑道そのものまで残っているのである。ということは歴史の彼方にかき消されているのは古代の中小の鉱山や製鉄の跡である。そういったところでは、後々のために記録を残す必要もないし、記録する術もなかっただろう。また役目の終わった鉱山など、後にその地に住むものにとっては害こそあれ、何の意味もないものとなる。同様に鉱山の繁栄や産鉄の増産を祈った神も用なしとなり、農耕の神に様変わりするのである。金山彦命を祭神とする葛礼本神社(綾部市睦合町中風呂)も万物の生産、子宝云々の神様と言うことになっている。金の付く神社だから金比羅さんに代わってしまったという妙な話もある。とまあここまでは理解できることだが、口伝も伝承も残らないというのは如何なる理由があるのだろう。
私が考えるのは、鉱山や製鉄の役目が終わり、今日までその地に住まいしてきたのは農耕民であり、定着した彼らにとって、自らの祖、自らの祖先の地が流浪する鉱山労働者、山師、木地師あるいはサンカなどと呼ばれたくないという思いがあったのではないだろうか。それは定着民が漂流する民を蔑視しているということであり、封建時代の権力者はそのことを政策として利用した事実がある。そういうことが、過去の鉱山や産鉄の事実を覆い隠してしまったのではないだろうか。
今日のじょん:今日も耳の治療にキャドックに通う。耳の赤いのは引いたが、まだ耳カスが出てくるそうだ、大丈夫な方の左耳からは出ないのでやはりまだ通う必要がありそうだ。帰りは小浜のアヤハによって冬のウェアを買って貰う。一応ミッキーマウスなのだが、、、、