晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

古代の朱 11/23

2009-11-24 | 歴史・民俗

2009.11.23(月・祝)曇

 じょんのび村の南半分は家を建てるために埋め立ててある。北から西にかけてのじょんのび谷(本名は鎌谷という)の周囲は工事の際に山土が盛られている。その他は建物や砕石で占められており、本来の土壌表面が残っているのは東北に当たる木小屋の周辺だけである。ここは造成前は薮でひどいものであった。幾本かの棕櫚があり、一本を残して切り倒し、結局じょんのびの木と棕櫚と育ちの悪い檜が一本あるだけである。北北東の隅に杉だか檜だか大きな切り株があり、その周りに角のとれた砂岩が厚い層になっている。上林川の河岸段丘の名残か、畑の石をその場所に集めていたものか定かでない。そこから色々のものが出てきた、土器の破片のようなものや加工されたような石などである。(2009.3.31参照)
 その後この地域に小屋などを建てるときは、穴を掘るのが楽しみとなった次第である。今回木小屋2号を作った際に、柱用の穴を五つ掘ったが、土器の破片のようなものが出ていたが、南西側の穴を60cmばかり掘ったとき異変が起きた。
 上部は黒くて肥えた畑土だが、所々に円い砂岩が混じっているので結構苦労する。ガラス片なども出てきて、以前は畑だったようだ。60cmほど掘り進んだとき、土が妙に赤くなってきた。土自体が赤いのだが、よく見ると数ミリの小石も赤い、石自体が赤いのか、石に赤い粒子が付いているのかよく解らない。掘り出した部分が真っ赤になっている。ひょっつするとこれは朱が沈殿していたのではないか。Img_3290

この柱の穴から出てきたが、写真は黒土と混ざってよく解らない。

 朱というのは朱砂のことで水銀と硫黄との化合物である。人類が最初に出合った金属は、少なくとも日本ではこの水銀ではないかと思う。水銀と言えば丹生である、古代の金属地名の最高峰とも言えるこの地名は、舞鶴の大浦半島に大丹生という地名がある。その他にも「にゅう」を思わせる地名が丹後や若狭に多く、小字まで調べると上林にも無いわけではない。入道、赤谷、ニョウズ、赤谷、ニョウズ谷、これは中上林の小字で水銀地名ではないかと思うものである。赤谷は二ヶ所有るという意味である。
 木小屋が出来上がってから赤い土を採取して瓶に保存した。黒土が混ざってしまったので、臨場感は無くなっているが、何時の日か調べることができるのではないか。
朱については、土器や古墳の装飾、建物の塗装など用途が考えられるが、水銀って一体何に使われたのだろう。奈良の大仏を鋳造する際になんとかとか聞いたことはあるが、実際何に使われていたのか、どういうものなのかよく解らない。鉄は農具としても武具としても重要な金属であることは間違いない。朱や水銀について理解を深めないと古代の金属文化は語れない。とりあえず「古代の朱」松田寿男を読むことにした。Img_3487

【作業日誌 11/23】
薪割り、玉切り

今日のじょん:昨日は忙しかったので、今日は暇かナーと居眠りしていたら、午後になって沢山のお客さまがみえた。じょんをベランダに出すようになって人慣れしてきたように思うが、まだまだ愛想のないじょん君である。それでも相手にしていただけるお客さまはありがたい。今日は体調が良くないようで、吐いてしまって余り店に出られなかったようで、もうしわけないワン。いつもはこんな感じで出ておりやす。Img_3310



 

コメント
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