晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

田舎暮らしの醍醐味 9/15

2009-09-15 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.15(火) 雨、曇

 田舎暮らしの醍醐味は火と刃物である。物騒な話だが、これが必須科目なのだ。火ったって、昨年の春からどれだけ燃やしてきただろう。とにかく建築費用を安くあげるために廃材というか切り倒した木などをそのままおいていたのである。ドラム缶をもらってきて燃やすこと燃やすこと、折も折ならダイオキシンだなんて大騒ぎになったことだろう。そして一年を超えてドラム缶も腐ってぼろぼろになってきた。やむなく焚き火とする。実は今日はこの冬から続けてきたヒマラヤ杉焼却にピリオドを打ちたいのだ。私たちが子供の頃は風呂も炊事も薪であった。火の番は子供の役で、毎日火に親しんで来た。そして大学の山岳部では夏合宿は南アルプスで、毎日飯ごう炊さんである。飯ごう炊さんったって、その辺のキャンプ場のものとは訳が違う、3,40Kgの荷を背負いながら、4時頃から薪を拾いながら歩くのだ。幕場に着くのが下手をすると暗くなることもある、それから薪を焚いて飯を作るのだ。まともな薪もなく、着火剤なんてのもありゃしない、それでも好天の日はまだましで、雨天の炊事当番なんて泣きの涙だ。炊事当番でなけりゃいいのかったら、そうでもない。稜線の幕場では水場まで数百メートルを下らねばならないのだ。火炊きと水汲み、どっちもどっちである。
とにかく苦労して火を焚いたおかげで、今では火の扱いは一級品、木や草を燃やすことは田舎暮らしの必須条件だ。

Img_3017



刃物は、私自身好きではないのだが使わざるを得ない。鉈、鎌、剪定鋏などの道具はもとより怖いのはチエンソー、丸ノコである。どちらも予想外の反動が有ることがある。いわゆるキックバックと言う奴なんだが、本当に理屈通りにはいかないものである。無造作に切るのではなく、切断の途中でもどうなるかどうなるかと気を付けていることが大切だ。
 とにかく今日はチエンソーと焚き火で半日を費やし、とことん疲れた。半年以上かかって山のようなヒマラヤ杉の枝葉を処理出来たのは、本当に満足感がある。都会に住んでいては絶対に経験することのないことである。Img_0861


3月26日の状態、ヒマラヤ杉と杉の大木で庭が埋まっていた。

【作業日誌 9/15】
ヒマラヤ杉等焼却完了

今日のじょん:今日は半月一度のシャンプー日、体重は17、6Kg。シャンプーの後は疲れるのかよく寝ている。お腹もすくようでよく食べる。おかーもおとーも忙しいのでかまってくれない。ベランダでよいこちゃんしといてね。Img_3018  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芝生大作戦 9/14

2009-09-14 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.14(月) 晴

 あっという間に九月も中頃となってしまった。芝生広場もすっかり定着したので次の芝生作戦に入りたい。それは芝の種蒔きである。当初からやりたいのは播種による芝生の造成である。涼しい上林では洋芝も生育が可能だと思われるし、経済的にも安上がりで、耐暑耐寒耐病性の品種も出てきている。今回選んだのはタキイのケンタッキーブルーグラス、ムーンライトSLTである。ムーンライトは人気商品だが、耐塩性の強いSLTが新しく発売された。犬がオシッコする可能性のあるじょんのび村ではこれはありがたい。大体高麗芝は犬のオシッコにも強いと言われるが、朝一番の大量オシッコをされると、茶色く変色する。枯れてしまうと言うことは無いようだがダメージは確実である。洋芝では致命的となりそうだが、SLTなら少しはましかも知れない。場所はじょんのび谷堰堤上部分を予定、ここは地目が保安林であり堰堤の工事のため山土が入れられている。岩石混じりの荒れた土壌のため昨年から畑土を運び込んでいた。穴を掘ってじょんのうんこを埋めその上に畑土を入れてきたのだ。おかげで肥料満点の土壌には雑草がはびこり、ジャングル状態となっている。Img_3012

ここにダムを造るのだ、もとい、ここに芝生を作るのだ。


雑草を取り、石を拾い、表土を耕し、石灰と元肥を入れ、真砂土を入れ、種を蒔こうとというのだ。黙っていれば延期となりそうなので、既に種を購入する。こうすればやるっきゃない。ところが問題が起きた。草に隠れて見えないのだが、冬に貰ったヒマラヤ杉や杉の大木が予定地に転がっているのだ。時間をかければ移動できるが、ちょっくらチョイト動くものではない。やむなく開いているところに芝を蒔き、残りはじょんのび坂西側を芝生化することにした。Img_3014ここは高麗芝を張ろうかと思っていImg_3015たところだが、予算的にも苦しいものがあるので、この際洋芝を蒔こうということとなった。
ビフォアアフター、まだまだ草を引いて石を拾わなければならない。
明日天気が持てばこの地域は準備できそうだが、なんとも気の遠くなりそうな芝生作戦だ。
【作業日誌 9/14】
じょんのび坂芝生準備(草引き)
ニンニク(山田さんに頂いたもの)植え付け
テーブル作り

今日のじょん:かみさんが「よっこらじょん音頭」を作曲しようと張り切っている。なかなかくせになりそうなメロディだが、「雨の上林」同様さわりの部分から先に進まない。一応五線紙を買ったりハンディのオルガンを用意したりしているが、、、、。いいのが出来たらCDにしてやるぞ。

Img_2864
ンなの関係ネエ。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上林の秋 9/13

2009-09-13 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.13(日) 晴

 今朝は霧が出た。おそらく上林の初霧だろう。朝夕は寒くて夏の布団では寝てられない。ついこの間まで開け放たれていた窓や部屋の戸などしっかり閉め切っている。九月の中頃ってこんなに寒かったかなあ。気温は最低で17,8度ぐらいか。春のこの気温だとすっかり暖かくなってきたと言ってるんだが、秋は寒い。毛布を出した、こたつを入れたなどという話題も出てくる。
 寒いなんて言いながら半袖で暮らしているし、暖房も冷房もないこの時期がやっぱり一番いい時期なのかも知れない。
  上林の秋はなんと言っても収穫である。ここ一週間が稲刈りのピークだろう。今年は夏の日照不足で収量が少なかったり、青米があったりして芳しくないそうだが、作物を作るものにとっては収穫は一番嬉しい時だろう。我がじょんのびファームでは米はもちろん秋に採れる野菜は作っていないので季節感は無い。日に日に夏野菜が終わっていくので心寂しいだけだ。残っているのはオクラとプッコチ、ゴーヤぐらいだがもう飽きてしまって採る気もしない。
 次に元気なのが動物たちである。10日ほど前から鹿の鳴き声が盛んになってきた。発情期とあって雄が鳴いているそうだ。聞いている方はただイライラするだけである。奥山に紅葉踏み分けて聞けば情緒があるのかも知れないが、布団の中で聞くのはいただけない。熊情報も盛んになってきた。自転車旅行の際も丁度今時分熊が盛んに出没した。東北の山形、秋田、青森とまわっている頃で、国道といえども誰も通らない道などは、何とも怖ろしい感がした。道にはブナの実だろうか大きな実がゴロゴロ落ちていて、自転車走行が危険なほどだったが、実はブナの実の少ない年で、目撃情報は通年の倍とか3倍とかニュースになっていた。今年も柿や栗は成りが悪いようで出没件数が増えそうだ。Img_0655

2006.9.15 角館市

 今まで来なかった動物がじょんのびファームにもやってきている。食べられるものは総て片付けたが、それでも夜な夜な来ているようで、食べないはずの唐辛子までもいでかじっている。もっともそこまでで放ってあるが、、、。いよいよ柵を作らねばならない、何とも憂鬱な秋だ。
 秋の風物詩、紅葉も気配が見えている。昨日綾部に買い物に行ったら、街路樹や山の木が少し黄ばんできた。今年の紅葉は古屋の大岩の滝に行こうと思っている。里山サイクリングの時に紅葉すれば最高なんだが、、、、。

【作業日誌 9/13】
芝生B地区草引き

今日のじょん:夕方の散歩にかみさんと出かけたと思ったらすぐに飛んで帰ってきた。大きなイノシシが出たということだ。森井さん宅の栗を狙ってきたに違いない。栗の木のところを見に行くと、ガサガサとあさっている。カメラを持ち出したがもう逃げていた。イノシシはもともと昼行性だが、人間を怖れて夜に行動しているらしい。だから明るい内に出没しても不思議ではないわけだ。じょんはと言うと盛んに追おうとしていたそうである。首輪を放したらどうなるだろう。私は立派に追うだろうと思うのだが、、、、。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河牟奈備神社(3) 9/12

2009-09-12 | 歴史・民俗

2009.9.12(土)雨

 月に一度の土曜定休なんだが久々の雨で福知山東ゴルフの例会は順延となる。この際溜まりに溜まっている仕事をやっつけてしまおうかと思うが、雨は本格的でままならない。
 河牟奈備神社の続編がなかなか書けないのはあまりに滑稽というか妄想と言うべき説なのでということと、調べれば調べるほど様々な要素が現れて少しもまとまらないという理由による。しかしここでは恥も外聞も度外視して今思っていることを書き留めておこう。今後勉強を進めたら、馬鹿なことを考えていたなあと言う結果になるのだろうが、瓢箪から駒ということもあるし、実は私もそう考えていたなんてことを後から言うのもシャクだから書いておこう。
 加美郷というのは奥上林村誌では場所不明となっている。現在では確定されているのかも知れないが、読んでいる資料が余りにも少ないので不明としておこう。地名辞典などを見ると加美というのは那珂、志茂と一緒に使われ位置を示すいわゆる上中下である場合が多い。拝師郷が上林を指すというのは解っているようだが、その根拠は私は知らない。何鹿郡十六郷のうち現在地不明となっているのは加美郷、高殿郷、井文郷、余戸郷の四郷である。(奥上林村誌)何鹿郡の地図を出して現在地の解っている郷を埋めていけば、不明地はある程度予測できそうに思うのだが。もしそういう地域が出てこなかったら、それは確定されている郷の中に不明郷が有るとしか考えられない。私は加美郷は上林の中にあるのではと思う。
 河牟奈備神社(2)で室町時代の上林上村、下村のことを書いたが、この上村が加美郷だとすると一応らしい感じはする。ところが加美は上村の”上”ではなくて上林の”上”ではないかと思うのだ。加美・拝師が上林であるとしたらそうなるわけだ。では加美が上なら下はどこにあるのだ。それらしい地域は見あたらない。少なくとも今のところ見あたらない。加美は上ではなくて神なのではないか。河牟奈備の河牟は神を表す。多くのカンナビ神社は神奈備神社である。河牟はアイヌ語でカムイと言うところの神であることは間違いないだろう。河牟奈備神社の氏子圏がかつては口上林の総てと念道村であるという、そうすれば河牟奈備神社を氏神とする河牟奈備郷があり、二字佳名の令に従って河牟郷→加美郷となったのではないか。Img_2993

河牟奈備神社鳥居


これは志賀郷の阿須々伎神社が吾雀(あすすぎ)郷の核となっていたことがヒントになったこともある。Img_2044

 
阿須々伎神社茗荷神事(2009.2.3)


また、氏子圏が一つの郷であったとしたら「念道のこと」でたてている仮説、念道=子ント(北の領地、北の地、北の門)説もなにか本物らしくなってくるのである。
【作業日誌 9/12】
洋芝播種準備
人参播種
自然薯残り収穫

今日のじょん:久々に雨が降ってレインコートを着せられたが、嫌がってはいるものの以前ほどでは無いようだ。固まり具合もやわらいで、ききわけがよくなった。
今日はじょんも上林の新米を御相伴にあずかった。ご飯の好きなじょんとはいえ贅沢なことである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嗚呼定休日 9/11

2009-09-12 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.11(金)晴

 今日明日連休なんだが今日まで秋晴れということだ。サラリーマン時代の連休だとどこへ行こうか、何して遊ぼうかなどとワクワクしたものだが、今はあれもやらんならん、これもやらんならんとプレッシャーがかかりっぱなしだ。それでも休みって嬉しいもので、総ての時間が自分のために使えるというのは楽しいものだ。
 今日やること、冷凍庫の霜取り、大根白菜の種蒔き、芝生広場A地区の灌水、B地区の草引き、芝播種の床造り、テーブル作りとこのくらいを考えていた。いざ始まってみると、庭木の剪定と夏野菜の片付けが入り、結局半分ぐらいしか出来なかった。でもまあいいかという感じなんだが、野菜関係と芝生関係の仕事は待った無しの仕事なのでつらいものがある。Img_3010
この霜取りに半日かかる。なんとなく氷瀑なんか登ってた頃を思い出す。

 野菜作りは播種から収穫までその方法についてはネットですぐ調べられるし、様々な本や雑誌も出ている。ところがその時期については地域によって違うので、自らの経験で探し出すしかない。それは日にちだけでなく気温なども関係するのだろう。そういうのを記録しておくために【作業日誌】をブログに付け始めたのだが、これは失敗だった。例えば人参はいつ頃蒔いたかなあなんて昨年のブログを探すが、これが大変、面倒なことこの上ない。昔、親父が大学ノートに農事日誌みたいなのを付けていたが、やはり一目で見られるものでなくてはいけないようだ。てなわけでエクセルでそれらしいものを作ってみる。まあブログの【作業日誌】は備忘録のようなもんで残しておこう。Img_3009
 
夏が終わって蓑虫がいっぱいぶら下がってる。かみさんが取っては捨てているので、「殺しとかにゃあ、蛾になるで」と言いつつ焚き火に放り込む。これがほんとのむし焼きだったりして、、、、。
【作業日誌 9/11】
冷凍庫の霜取り
ハゼの剪定
芝の草引き
夏野菜の片付け
テーブル作製
人参、大根、白菜播種

今日のじょん:じょん語録(45)こんなところにじょん君が
そろそろじょんのび流行語大賞の候補をあげなければならないので、最近流行のじょん語録を御紹介しよう。何の意味もないのだが、よく使っている、「こんなとろにじょん君が、、、、」Img_3006

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初物三種 9/10

2009-09-11 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.10(木)晴

 すっかり秋晴れで、九月ってこんなんやったかなあと思わせる今日この頃だ。ブログを遡って九月十日の記事を読んでみる。去年の今日、一昨年の今日何をしていたかなんて憶えているはずもないのだが、自転車旅行に行った年の今日ははっきりと憶えている。酒田を出て吹浦を通り本庄まで行った。本庄で夕立に遭い、えらい揺れるビジネスホテルに泊まったなあなーんて憶えている。その日も次の日も結構寒かったなあ。
 さて、上林では稲刈りが真っ最中である。もう既に佃のI上さんに新米を頂いており、楽しみである。上林はとにかくお米が美味しい。特に新米となると梅干しだけで充分の味である。上林のお米の味の良さは粘土質の土と冷たい谷の水ということだ。美味しいけれど収量は少ないということだ。もっと上林米で売り出してもいいと思うが、あまり人気になると私たちの口に入らないかも。 

Img_2996
今年の新米、美味しいぞ。

 そして丹波の秋は栗である。今では出荷する農家も少ないようだが、あちこちに栗の木があって、いつもいただいている。今回湯がいて食べたが、これまた美味いのよね。そして昨日の自然薯といい秋の初物三種をいただいて満足である。都会に住んでいるときは食べ物に季節がなかった。というよりわざわざ旬の物を買って食べようということが無かったわけだ。Img_2995 Img_2989 

初物の栗、鮎も頂き物で今年二回目


Img_2976
自作のカボスも初物なんだが、実も小さく果汁も少ない。



【作業日誌 9/10】
芝生広場A地区施肥、灌水
テーブル作製

今日のじょん:最近の店番ではバンダナをしている。これがなかなか人気の秘密らしい。Img_3005

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怖れていた日が 9/9

2009-09-10 | インポート

2009.9.9(水)曇

 怖れていた日が来た。いつかは来ると秘かに怖れていたその日がやってきた。
朝ふと畑に目をやると、遅ればせながらなりはじめたナスが、明日は熟すだろうとおいていたトマトがすっかり無くなっているのだ。畑は何者かが大暴れした跡が残り、自然薯の畑は掘り起こされて、茎が宙ぶらりんになっている。大根を植えるべくきれいにならした畝には獣の足跡が残り、ミニトマトは総ての実がやられ、山椒の根元付近が掘り起こされている。やられた。そういえば夕べはじょんもそわそわしていたし、風呂に入っていたときも何者かが一輪車にぶつかって大きな音を立てていた。その間何者かは畑を荒らし回っていたのだ。Img_2999_2 Img_2997 Img_2998




左:トマトは九割方 中:ナスは全滅 右:自然薯は掘り起こされている。
足跡から見るとアナグマクラスのようだ。イノシシのように蹄がみられない。
実は過去に何回も獣の侵入はあるのだ。ナス、トマト、キュウリのなりはじめを囓られてその場に捨ててあったことがあった。刈った草の下を掘り起こされてイノシシの足跡が残っていたこともあった。それでも実害というのは無かったのである。
 数多くの被害談は聞くし、近所の畑を見ても柵だらけである。すぐ隣の森井さんの畑を見ても、気味悪いほど荒らされていることがある。それでも境界から内側は大丈夫だったのである。常駐している人間がいるためか、じょんやお友達の犬たちがうろうろしているためか解らないけれど、夜中中見回っているわけじゃなし、結局偶然の幸運が続いただけのことだろう。トマト、ナスはそこそこ食べたしまだ許せるのだが、大切に育ててきてもう少しという自然薯は許せない。
 心にぽっかりと穴が開いたような、そう車上荒らしにゴルフバッグを盗まれたときのような寂寥感が漂う。家庭菜園でもこんなにショックなのに栽培農家ならいかばかりかと思う。もう野菜は作らないとおっしゃる気持がよくわかる。
 と言うわけで完璧な柵をこしらえることにした。もっとも柵のない畑など珍しいぐらいで、最初から作るつもりだったのだが、実害が無いので今日まで来ただけである。心の中ではいつかこのような日が来て、やむなく柵を作るのだろうと思っていたのである。昨日書いたようにとても忙しい今月だけど、今やらないと後悔することになりそうだ。
 自然薯は五個植え付けて三個発芽し、順調に育っていたところである。三本とも蔓が切られていて、一カ所が掘られている。残りの二つは芋が残っているかもと掘ってみると、あるはあるは、しっかり育っていたのだ。不幸中の幸いで、早速掘り出してとろろにする。自分が食う前に奴らに食われなくて良かった。むかごも沢山採れてまあいいかの獣騒動であった。

Img_3003
二人で食べきれないほど大きく育っていた。むかごもあるぞ。

【作業日誌 9/9】
やむなく自然薯収穫
藤、百日紅植え付け

今日のじょん:昨晩様子が変だったということだが、獣の臭いがしていたのだろうか。でも吠えることはなかった。いずれにしても獣の侵入に対してじょんが無力なことには変わりない。イノシシ捕まえてこいとは言わないけれど、獣を追うぐらいの仕事はして欲しいと願うのだけれど、かみさんはすぐかわいそうという。本当にかわいそうなんだろか。愛玩犬より羊飼いなんかの仕事している犬の方が幸せのように思うのだが。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋期ガーデニング作戦 9/8

2009-09-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.8(火)曇

 涼しくなってきたので秋のガーデニングを始めることにする。じょんのび坂左とじょんのびの木からじょんのび谷の広場に芝を蒔くこと。芝の播種は少し実験的にやってきたが本格的に広い面積はやったことがないので、大きな賭となるかも知れない。種の種類は検討の結果ケンタッキーブルーグラスでタキイの人気商品ムーンライトとする。特に新発売のSLTは耐塩性が強くて、犬のオシッコにも強いかなとこれにする。1Kgで50~60㎡蒔けて通販価格3,300円、うまく行けば安いかなというところである。ところが問題は播種する場所だが、今のところ雑草が茂っており、手の付けられない状態である。雑草を処理しても石だらけの地面で、これを除去して耕すのはまた一苦労だろう。真砂土を無料で頂いているのだが、小石混じりなので篩に掛ける必要もありこれまた大変である。というわけで種の購入は簡単だが、播種の準備が一苦労となりそうだ。
 次に既存の芝の手入れである。芝刈りもままならない状態であるが施肥と砂入れを9月中にやらなければならない。そして出来ればベンチレーションもやってみたい。
 今日はとりあえず舞鶴の白糸濱神社の植木市に行く。春にも行ったのだが、とにかく安い。市販の1/2~1/3というところである。大きなものは植え付けてくれるし、うまく着かなかったら代替え品をいただけるということである。幸い元気に育っているのでこのようなこともないが、、、、。いろいろ相談に乗ってくれるのも嬉しい。いろんな人に紹介して喜んでもらっている。

Img_2990 Img_2991
所狭しと並んでいて楽しい。


 島トネリコ2本、紫の百日紅2本、銀木犀、サザンカ、正木、藤を買って3,500円、他で買ったらゆうに一万円は越えるだろう。うちに帰ったらもう四時である。暗くなるまで植え付けにいそしみ、藤と百日紅を残して植え付け完了、くたくたになる。
Img_2994 サザンカや銀木犀はこんなに大きい。



次に昨年植え付けた木々の剪定である。思ったより生育が良くて、というより良すぎて剪定が必要となっている。これも経験がないので勉強しながらやっていかなければならない。そして最後に冬の準備である。11月頃になると思うが、木々の支柱や雪囲いをする必要がある。もちろん材料の竹の伐採や油抜きもしなければならない。とにかく今年の雪には参ったから。
 なんかプレッシャーがかかるが、楽しんでやらなけりゃやってられないぞ。
【作業日誌 9/8】
植木買い付けと植え付け
大根播種準備

今日のじょん:今日も散歩から帰ると出会い頭に蛇がいた。アオダイショウの幼蛇でマムシと同じ模様の蛇だ。といっても青年ぐらいか、そこそこ成長している。相手もよほどびっくりしたのか素早く向きを変えてくねくねと逃げ出した。じょん君今回はどうするかと思いきや、追いかけているではないか。あまりに目の前で、見て見ぬ振りというわけに行かなかったのか?それとも今までは本当に見えてなかったのか、永久に謎である。
写真は今回とは関係ないが、じょんのび村で繰り広げられる生物のドラマである。Img_2978

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河牟奈備神社(2) 9/7

2009-09-08 | 歴史・民俗

2009.9.7(月)晴

 河牟奈備神社について伝説がある。複数の人に聞いたものだから巷間語られているものらしい。
 昔、大水が出て神社周辺は水浸しとなった。特に上林川の屈曲点の現在広大な農地になっているあたりは大きな湖のようになった。神社のあたりに大蛇が流れ着いた。神社にお奉りしたところ水が引いて水害は治まったと言うことである。
 この話に尾ひれが付いて、以前は上林川は真っ直ぐに大宮から十倉に流れていたのが、このときから忠町の方へ迂回したとか大蛇を奉ったから鳥居の七五三縄が蛇になっているとか言われている。

Img_1862
下方に見える大鳥居に蛇状の七五三縄が見える。


前者はあり得ないことだが、後者は頷ける。といっても元々七五三縄は蛇から来ているという説が有力である。このことをH原さんに話したら、「あれは蛇違うで、龍やで」ということだった。龍の方が格好いいが豊穣を意味する蛇の方が信憑性が高いと思うのだが。
 上林は奇妙な地名である。村名が無くなった今、地理的には上林川にしか名が残っていない。もちろん学校や支所の名前としては残っているのだが、地名としては川だけである。姓としては以前にお話しした宇治茶の老舗や舞鶴市その他に残っているが、上林には一軒もない。上林氏が信長に滅ぼされた以後も相当厳しく残党狩りが行われたようで、江戸時代には既に一軒も残っていなかったそうである。(上林風土記)散り散りになった上林一族が誰一人この地に還ることがないのは、祖先の怨念でもあるのだろうか。
 ところが書物を見る限り、といっても奥上林村誌と上林風土記しか読んでいないが、上林氏は上林に来たときに「上林」姓を名乗ったようである。とするとそれ以前からも上林という地名は有ったわけだ。奥上林村誌年表には平安時代に「上林荘」と呼ばれる荘園であったと記されている。室町時代の安国寺文書には「上林上下村」の記述があり、上村の上林氏、下村の渡辺氏というようなことも上林風土記にある。
 ではこの上林という地名はどこから来たのだろうか。平安期の辞書、和名類聚抄に何鹿郡十六郷が、加美郷(現在地不明)、拝師郷(上林)、八田郷(八田)吉美郷(吉美)物部郷(物部)云々と書かれている。古代の上林の地は拝師郷と呼ばれていたのである。とまあこれは奥上林村誌に書かれているのだが、上林風土記には上林荘は賀美・拝師両郷の地に立荘されたと記されている。いずれも根拠は書いてない。
 私は単純に賀美・拝師(かみ・はいし)が上林(かみはやし)となったものと予想する。つづく

【作業日誌 9/7】
秋蒔き準備
トリマー用治具作製

今日のじょん:ことぶき屋さんちのサリーちゃん他四匹が大挙して来じょんしてきた。もうじょん君大興奮。早くドッグランを作らねば、、、。そういえば京北のアウルさん閉めちゃたそーだ。Img_2986 Img_2988 

ジナンくんとサリーちゃん

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん客万来 9/6

2009-09-06 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.6(日)晴

 じょんがベランダで店番するようになってから、「じょん君はおるかい」なんて言いながら来じょんされるお客さまが増えてきた。じょんも仕事をしているという自覚を持つといいのだが、、、。慣れてきたとはいえ気を使うようでよく疲れている。何もストレスがないよりはある程度のストレスがある方が健康に良いと勝手に思っている。
 今日はスルーギという珍しいワン客が来じょんした。なんでもモロッコに棲息しているとかで、日本で飼育されているのも数頭とかという珍しいものだそうだ。ワン好きのじょんはいつものように興奮しているが、さすがに自分より大きい犬に吠えられるとしゅんたろうだ。Img_2970

名は悟空


 続いてお友達のジローが来じょん、これまた興奮しすぎで閉じこめられてしまった。友好的なのはいいけどもう少し冷静につきあえないものだろうか。そしてじゃれ合いもいつまでもしつこいので、最後に嫌がられて吠えられる。いつも同じパターンである。ええかげん学習せいよ。そろそろのびも飼ってやらにゃあいかんかな。 Img_2972
Img_2971_2  ジローと興奮気味のじょん



【作業日誌 9/6】
芝種子発注(ケンタッキーブルーグラス ムーンライトSLT)1Kg
芝播種準備(じょんのび広場)
ニラ(山田さんに頂いたもの)植え付け

今日のじょん:じょんネタのためお休み

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょんのびファーム報告 9/5

2009-09-06 | 歴史・民俗

2009.9.5(土)晴

 夏野菜が終盤を迎えてきた。近所の畑は夏野菜やネット、支柱などが取り払われ人参、白菜、大根などの秋蒔き野菜が主役となっている。ところがここに来て我がじょんのびファームでは茄子、胡瓜、トマト、ゴーヤ、唐辛子類が最盛期である。というより本来の夏にはちっとも出来なかったのだ。特に茄子、胡瓜は今が旬となっている。
ゴーヤは沢山なるが小さく、本来の特大ものがちっともならなくて、ここにきてなり始めた。現在3本目である。一本は採種のため残してある。ただし二人で食べる分には小さな方がいいかなと思い、小さい実の種も残してある。果たして小さな実の種が小さな実を着けるか、大きな実のものはどうか、来年の出来具合が楽しみである。
 唐辛子類の中では、万願寺唐辛子がそろそろ終盤で、一夏楽しませて貰った。鷹の爪唐辛子は今が盛りで、真っ赤に鈴なりとなっている。ところがこれを何時収穫するか、どのように収穫するか解らないのである。昨年は真夏に数本が赤くなり、切って収穫し乾燥保管した。残りはいつまでたっても緑で、遂に霜が降りて枯れてしまった。その前に風で倒れて枯れたものもある。乾燥保管できたいくつかも、さあ使おうと思ったとき瓶を開けるとカビが来ていてがっかり、とにかく大失敗だった。最初に使った沢庵はそれ自体が失敗だったし、次のらっきょう漬けには市販のものを使わざるを得なかった。これは屈辱である。よく農家の軒先に枝ごと干してあるのだが、何時収穫したものだろう。今年は一味も作りたいと思うのだが、、、、、。Img_2964
 大正解はプッコチである。当初生育が悪いのでどうなることかと思ったが、気温の上昇とともになるはなるはの大盛況で味もいい、いろんな方に差し上げて喜んでもらっている。M川さんがチリソース、ニンニク、玉葱などと合わせたプッコチペーストを作ってくれた。煮物、炒め物に入れると乙な味となる。保存用に島唐辛子のように焼酎漬けを作る。泡盛がないので山の芋焼酎でやってみた、味や如何に。あまりに沢山採れるので乾燥して保存してみようと思う。冷凍という手もあるそうだが、冷凍庫に余裕がないので乾燥保存とする。
 楽しみは果物類である。レモンが一個だけだけど成った。昨年は数ミリの超小型だったが今年は一人前の大きさとなった。ところが永く置きすぎたためか重量感がまるでない、きっと中はカスカスなんだろう。
 最も気合いを入れたのがカボスである。高くて手が出なかった苗をじっと待って、半分枯れかけたとき超安値となったのを見計らって購入、綾部じゃあこんなの買う奴いないんだねえ。植え付けは風当たりのない陽の当たるところと書いてあったので、特別に作業小屋の横に植える。ここだといつでも目が届いて虫や病気にすぐ対処できる。しっかり土を入れて、充分な肥料を入れて風対策に竹の支柱を立てる。おかげで八つの実が成り、小さいけれど収穫に至った。一年目なので大きさはともかく、味はまずまずである。これも来年が楽しみ。Img_2967 Img_2976


メロン、レモン、カボス

 そして果物ではないが、肥料代わりに撒いたコーヒーカスからメロンが出てきた。みるみる育って、実が成って丸々太ってきた。どうもアンデスメロンの種がコーヒーカスに入っていたみたいだ。葉が枯れてきたので収穫したが、果たして食えるものなのか。来年は本格的にメロンの栽培もしてみたいと思う。
【作業日誌 】
テーブル作り2日目天板塗装、穴開け
大根用畝作り

今日のじょん:9月になっても暖かいせいか連日蛇が出現する。夕方はかみさんが大騒ぎをしていたが、朝の散歩時は道中の石垣によく現れる。今日も丁度じょんの目線の高さにシマヘビがゆっくり移動している。「ほら、じょん蛇やで」と注意を向けるが絶対に見ようとしない。これは多分に意図的な要素がありそうだ。そしてもう一つ、今日も蛇はするするとバックして穴の中に逃げてしまった。少なくとも穴状のところでは蛇は後退が可能である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都に行く 9/4

2009-09-05 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.4(金)晴

 マンションの工事で置いておけなくなった物置を取りに京都に行く。貴重な定休日を潰すのはもったいない気はするが、いろいろ所用があるのでまあいいか。残暑厳しい中、戸や棚板をはずし運び込む。軽トラなら簡単に積めるのだが生憎軽トラにはクーラーが付いていない。乗用車では積めるサイズがギリギリだがなんとか積めてほっとする。それにしてもこの暑さはなんだ。路上の温度計は35度となっている。Img_2968
持ち帰った物置、ここにガーデンシェッドを作る予定だったので手間が省けたが少し小さいか。


 もう一つの予定は瑞穂町(現京丹波町)のあるお客さまの宅を訪問することだった。白糸濱神社の植木市が始まっているので教えてあげようというものだが、素敵な別荘地の住宅を見てみたいというのも本音である。田舎のことだからすぐに解るだろうと行きがけに探したのだけど解らなかった。帰り道に再度違う方向から探すがやっぱり解らない。畑仕事しているばあさんやおじさんに聞くが、住所はともかく個人の家など分かるはずもない。この辺が上林と違うところだ。上林なら個人名で大抵の家は判明する、大規模な分譲地など無いのだ。
 瑞穂町の国道9号線から瑞穂ゴルフまでの広大な土地は分譲地として開発されている。ところがその内の主要な開発会社が倒産したとかで、開発が頓挫している。既に購入建築され居住されているところもあるが、多くは草ぼうぼうで何とも痛ましい。ところが逆にこの分譲地に総て住宅が建ったらと想像すると、都市近郊の住宅地のようでこれまたいただけない。特に丹波高原の樹林帯の残っている地域はこのまま林を残してほしいなあと思う。そんな一画に目的のお家があった。結局道が解らなくて迎えに来て貰ったのだが、、、。もう一軒お知り合いの家があったのでそちらにもお伺いして見せていただく。いずれも庭作ったり小屋作ったり楽しそうだなあと思う。同じ田舎暮らしといっても上林とはまるで違った田舎暮らしだ。Img_2962

メルヘンチックなポストアンドビームの家


【作業日誌 9/4】
無し

今日のじょん:今日は一日お留守番。その間一体何してるのか隠しカメラなんかで見てみたいと思ってるが、きっと一日寝てるのだろう。だって帰ってきたら寝ぼけた顔してるもの。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河牟奈備神社 9/3

2009-09-05 | 歴史・民俗

2009.9.3(木)晴、曇

 昨日石見銀山の間歩(まぶ:坑道のこと)の写真を掲載して気がついた、「甘南備坑」と名付けられた間歩は唯一公開されている龍源寺間歩に向かう渓谷の脇にあるものだが、この甘南備(かんなび)という名前は神の鎮座する場所という神奈備と同じ言葉で、この間歩が神社あるいは神聖な山などと関係があるのかなと思わせる。ところがそれらしい神社や地形は見あたらず、世界遺産に指定される前の石見銀山遺産ニュース第5号(2003.5.7)に次のように書かれている。龍源寺間歩名は邑智郡川本町にある龍源寺(臨済宗東福寺派で応安元年(1368)に小笠原長氏によって創建されたと伝えられている)に由来しているようだ。また甘南備坑は江津市桜江町にある甘南備寺(真言宗)に由来しているようだ。甘南備寺は小笠原氏の代々の祈願所であったそうだ。寺の存在が意味するというより、小笠原氏となんらかの関係がこれらの間歩にあったのではないか。

Img_4456龍源寺間歩内部。



偶然に撮った一枚の写真でずいぶん余談となったが、じょんのび村のある地域の氏神さんは河牟奈備神社という。じょんのび村から900mのところにあり、その地大宮の地名は将にこの神社を指すのだろう。河牟奈備、甘南備とも神奈備であり、神の鎮座するところと言う意味である。古来からの名で出雲国風土記にも数社が登場する。神社の起源とも思われる自然崇拝の神社で、その多くが自然の山、特に三角錐状の山などを御神体あるいは聖域としているようである。この地に来たとき何とも奇妙な名前の神社だと思ったが、実は由緒ある社名で、固有名詞というより普通名詞のような扱いである。
Img_1861  雪の河牟奈備神社本殿(2009.1.1)

和同二年(709年)の草創といわれ、今年で1300年となる。10月12日(祝)に1300年祭が執り行われる予定で、昨秋の金比羅講300年祭といい、記念すべき時季にこの地に越してきたものだと思う。詳しくは調べていないが境内に古墳が数基有ると聞く、従って相当古くから開けた地域であることには違いない。
惜しむらくは宝物、文書などが焼失しており、言い伝えだけが綿々と引き継がれていることである。
 なお氏子圏はかつては十倉、井根、武吉、佃、忠、念道六ヶ村であったが現在は井根、忠、念道となっている、と上林風土記にある。井根も忠も全体が氏子圏だが念道だけは天王の谷から上は葛礼本神社の氏子圏となっている。つづく
Img_2950
右手の作業場の白い小屋の前にある谷が氏子圏の境。


【作業日誌 9/3】
芝刈り(A地区)

今日のじょん:ぽんぽこぽんも積極的な日と気合いの入らない日がある。今日は凄く積極的。Img_2960
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引地のこと(3) 9/2

2009-09-03 | 歴史・民俗

2009.9.2(水)曇


 前回香川県東かがわ市の引田(ひけた)を調べているとき同じ旧大川郡内に大内(おおち)と言う地名を発見する。福知山にも大内があるなと思い辞書で調べると、誉水(よみず)と丹生(にぶ)両村が合併して大内町となったとある。大内は「大川内」と同義語で奥上林の大唐内(おがらち)に通じるかなと思ったが、地形的に大唐内は大川内とは言いにくいようだ。それよりも丹生、小海(おうみ)の方が気になる。
 つづいて匹見だが、島根県益田市匹見町という町は旧美濃郡に属し中国山地の山深い町である。津和野の東方にあり匹見川沿いの渓谷美で有名である。地形的には山間部で低地、低湿地という感じは全くないのだが範囲が広いので一概に言えない。地名辞典では檜木見に由来するとある。島根県と言えば世界遺産になった石見銀山が有名だが、匹見町にも銅山があり、国道191号線銅ヶ峠トンネル付近の堀越に銅山があった。その北方にはドウトコ山なんてのもあり、いかにもらしいところである。Img_4448
 
石見銀山の間歩、甘南備坑。(2007.4.19)


 最後に疋相(ひきそ)だが奈良県北葛城郡広陵町にある地名だ。隣町の河合町に郵政の研修所があり、永い研修だと3週間ぐらい入所していたことがある。授業終了後はよくジョギングをしており、この周辺まで走っていた。いわゆる丘陵地帯で、低地の観念は無かったが、ため池などは結構有ったように記憶している。歴史的に古い町で近隣に古墳や百済寺などの古寺もある。地名の起こりは真野七条成相里が音読みでヒキソとなったとあるが何のことか解らない。つづく

【作業日誌 9/2】
芝生広場A地区草引き
秋蒔き野菜床造り

今日のじょん:
Img_2946 じょん君店番の図。暇なのであくびをしておる。気合い入れて仕事せい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょんのび動植物図鑑(5)蛇 9/1

2009-09-02 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.1(火)曇

 蛇の登場を待ちわびていらした方も多いだろう。好きな人は好きなんだねこれが。
今年は冷夏のせいか目撃する機会が少なかった。家の周辺では十回に満たない。それでも昨年の蛇騒動(2008.5.27)の様に小屋に入ってきたのもあるし、たたっ殺したのも二匹いる。昨年より蛇自体に慣れてきたようだ。マムシでなければ害もないしまあいいかという感じである。ところでマムシか?といって照会した蛇はよく調べるとアオダイショウだった。(2009.5.12)アオダイショウの幼蛇はマムシのように斑点があるのだ。道理でやたら細長く、頭も三角ではなかった。念道橋のたもとで見た蛇もマムシではなさそうだ。とにかく素早かったから。 Img_2917 Img_2918

 


写真は8月26日玄関北側に出没した蛇、アオダイショウか、今年最大のものである。しっかりお仕置きしておかないと何度も侵入するので、箒でたたくが、蛇というのは追うと段々奥の方に逃げ込む習性がある。広い方に逃げれば簡単に逃げられるのにプランターの奥や温水器の下などに逃げ込みたちが悪い。隠れて見ているとそっと顔を出し、あたりの様子をうかがって、庭から谷へ逃げていくのだ。(右の写真)最初から谷へ逃げて行けよなあ。
 蛇は足がないのでどうやって移動するのか、解っているようで解らない。蛇行運動、アコーデオン運動、直進運動、横ばい運動とあるそうだが、果たしてバックは出来るのか?いろいろ調べてもバックが出来るとは書いてない。ところが私は見たのだ、蛇がバックするところを。
 念道橋の手前の土手には防草のためカーペットがひいてある。その中に数匹が棲息しているのだが、アスファルトの割れ目にも棲んでいるようで、ある朝その割れ目から出ようとして身体のほとんどを出した蛇がいた。そこへ私たちが来たものだから驚いた蛇はしばらく硬直していたが、少し威かすとそのまんまバックして穴の中に入ってしまったのだ。ちょうどフィルムを逆回転するみたいな光景であった。
Img_2949 

左下の隙間が蛇の巣

もう一つ見てみたいのが蛇の交合である。 七五三縄について調べているとき、蛇の交合に由来するという説があった。七五三縄のようにねじれて絡み合うらしい。サイトで画像を見ることは出来るが、この目で見てみたいものだ。気持悪~。

【作業日誌 9/1】
テーブル作製2日目、天板塗装
秋蒔き野菜の床造り

今日のじょん:蛇に対してじょんはどのように反応するか?以前にも照会したが、見て見ぬ振りをするが正解である。虫や鳥はどんなに小さくても、どんなに遠くてももの凄く反応するのだが、目の前で動いている大きな物体である蛇みには反応しないのだ。網膜には映っているはずなのに焦点を合わそうとしない、これは一体何なんだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする