夏草の中にひときわ華やかなオレンジ色
一株だけ残っていたか、ユリの花が凛と咲いています
梅雨に濡れた郵便受けに新聞といっしょに 一通のはがきをみつけました。
世界地図を指さす小さな手・・・
いそいで表に返し目をはしらせる
「え?引っ越し?・・・どこへ?」
「スイスへ戻ります・・・」
胸の奥にポカリと穴があきました
さみしい・・・ さみしくなるね
それにしても遠い国だねぇ・・・スイスは
(今は亡き妹の長女)Tちゃんからのはがきでした。
世界地図を指さす小さな手は
二人の子供のEちゃん(10才)と N君(8才)。
ハイキングコースの花々に、想いをはせて・・・
行ってみたいなぁ、スイスへ
スイスの首都ベルン
姪は、スイス在住はもう10年以上になるのですが、
スイス生まれの子どもたちに、母親の生まれた日本での生活を体験させて
やりたいとの熱い思いであったでしょう。
長い休暇をとり、家族で日本に長期滞在していたのです。
海がない国スイス、 海にかこまれた日本
福岡県の最西部に位置するI市に住まいをかまえました。
日本の小学校にも編入して、友たちがたくさんできました。
言葉は 英語も日本語もとてじょうずになっています。
父親のSさん(スイス人)もカタコトながら、じい婆を相手にいろいろ話も
楽しくできたのです。
玄関の戸をあけて 頭をひょいとさげてコンニチハ・・・
超高身長のSさんの笑顔が目に浮かびます。
けん玉、コマ、お手玉、おはじき、千代紙など
日本の玩具をとてもよろこんでくれた子どもたち。
日本の焼き物にも興味を示し
小岱焼、一ノ瀬焼、小石原焼などの器を
お土産にとてもよろこんで帰りました。
姪のTちゃんは、亡き母親にうりふたつで
写真だけ見たときは、なんと!!
「妹のS子ちゃんがいる! まさか!」とびっくり
まるで亡き妹が傍にいるような錯覚におちいりました。
専門学校卒業して海外青年協力隊に参加、幾たびかの外国への研修で
日本をはなれた姪っ子は、
縁あってスイスにて結婚、良き伴侶に巡り合い二人の子供の成長を
時折しらせてくれていました。
そして叔母である私たち夫婦を親子4人で遊びにきて喜ばせました。
我が家の表札はもちろん日本文字、読めないだろうからと英語で名前を書き加えて
大歓迎したものです・・・。
一通のはがきは、さみしさを運んできましたが
「近い将来、大きくなった子どもたちを、見せることができますように」
と結んでありました。
涙で幾度もよみかえしています・・・。
未知の国 スイスは・・・
アルペンローゼ
エーデルワイズ
冬のマッターホルン
スイスのアイガーとユングフラウ鉄道
(写真はインターネットより拝借いたしました)
7月末にはいよいよお別れです
元気で居れば、また逢えるね。