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『metroに乗って』その4。今回は東京メトロ日比谷線の八丁堀駅。JR京葉線開通後は地下通路で繋がる乗換駅でもある。
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元々、八丁堀は江戸時代初期に京橋川下流から隅田川に流れ込む通船のために水路が開削されたもので、この堀割を『八丁堀』と呼んだ。今は桜川公園などになっており、全てが埋め立てられている。また、八丁堀の意味は8つの町に渡る堀割というのが、事実だったようである。
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八丁堀駅を降りて八丁堀交差点から右に曲がると亀島橋に出る。橋の袂には四代目銀座の柳や芭蕉の句碑、この周辺に居住した有名人(東洲斎写楽、伊能忠敬)についての説明板、堀部安兵衛の武庸之碑などが建てられている。
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特に堀部安兵衛は最近映画化(タイムスリップ!堀部安兵衛)されて注目度が上がっているが、この辺り(旧水谷町、現・八丁堀1丁目)に住んでいた。高田馬場の仇討ちでその武勇は江戸中に知れたもので、吉良邸への討ち入りで自刃した。この英雄を偲んで、地元町会が1969年に碑を建立した。
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この周辺には江戸初期までは寺の多かったが、幕府が1635年に浅草地区に移し、その後に同心や与力などの組屋敷を設置した。そのため江戸時代は『八丁堀』は下級役人の代名詞であった。因みに東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛・喜多八もこの辺りに住んでいた設定である。
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さらに、亀島橋から昭和通りの一本裏通りを歩くと今村幸稲荷神社がある。由緒はよく分からないが、一階に鳥居があり、階段を登りお詣りをするコンパクトな設計はなかなか面白い。
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今は昭和通や新大橋通といった広い通りに囲まれてビルが建つあまり特徴のない町だが、一本裏道に入ると色々あって楽しい。
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