hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

神田佐久間河岸

2016-05-19 05:00:32 | 日記

『神田をぶらり』その12。神田地区には佐久間河岸という地名がある。『河岸』とは文字どおり川の岸のことで狭義では河川や運河、沼などの岸にできた港や船着場のこと、さらに魚河岸のように市場や市場のある地名を指すこともある。

江戸が水運で栄えた町であり、隅田川から運河や堀にかけて60以上の河岸が存在し、それを町名に用いたものもあった。例えば芝新堀河岸(現在、芝2・3)、金杉河岸(芝2)、新門前河岸(三田1)、鎌倉河岸(内神田1~3)、柳原河岸(神田須田町1)、三崎河岸(三崎町2・3)、紅梅河岸(神田駿河台2、猿楽町2)など多数あったが、震災復興の新町名に切り替えた際に殆どが変更されている。

現存するのがJR飯田橋駅前にある新宿区神楽河岸(元は貯木場と材木商が保有していたが、再開発され、現在は飯田橋セントラルプラザの事務所棟のみ)と今回歩いた千代田区神田佐久間河岸のみとなってしまった。

神田佐久間河岸は神田佐久間町に隣接する神田川沿いの河岸場である。神田川を使った水運の拠点として東北地方から薪炭や米などが陸揚げされ、秋葉原貨物駅に運ばれていた。地名は古く、1889年に佐久間町とともに行政地名になり、その後、神田を冠して現在の地名となった。


神田佐久間河岸は丁番がないだけでなく、住所表記も『神田佐久間河岸○号地』である。神田川の和泉橋(昭和通り)から美倉橋(清洲橋通り)の北岸の地域で中小ビルが並び児童公園が1つあるのみである。(住民基本台帳によると住民は111人)ちなみに川の南岸は岩本町となる。



蛇足だが、神田佐久間町と秋葉原駅のエピソードを最後に。神田佐久間町の名前は材木商佐久間平八の姓に由来するもので火事が多い地区であったため、『悪魔町』と揶揄されたほどである。



現在の神田佐久間町は1~4丁目に分かれ、ラジオ体操発祥の地として知られる佐久間公園、秋葉原駅の一部、草分稲荷神社などがあるかなり広い町である。また、材木置き場や炭問屋は江戸中期に火事の原因となるとして深川猟師町、さらに木場に移されている。

しかし、その後も火事は収まらず、1869年には1100軒を燃やす火事が発生し、広大な火除け地を設けたため、そこに鎮火神社を作り、広場となっていたが、1888年に日本鉄道が買収、秋葉原貨物駅が誕生したのである。今の秋葉原の繁栄の陰には火事があったというのも不思議な気がする。なお、地域住民の火事に対する意識はそれだけに高く、関東大震災の時はこの地区も火災は発生したが、地元民の長時間にわたるバケツリレーで延焼を防いだというエピソードが今も残されている。