hokutoのきまぐれ散歩

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私鉄の駅名と沿線開発

2016-05-22 05:00:06 | 日記

『鉄道シリーズ 』その137。私鉄の駅名を見ているとその沿線開発の歴史が見えてくる。例えば京王線を取ると甲州街道に沿って作られた路線のため、駅名も新宿から始まり、下高井戸(宿場名は高井戸)、国領、布田(宿場名は下布田、上布田)、府中、八王子と旧宿場名から取ったものが続く。

しかし、開発のために付けられた駅名も多い。『桜上水』は玉川上水の堤に桜並木があったため、1937年に付けられた名前でそれ以前は『京王車庫前』という名前であったが、沿線開発に伴い改名されたものである。

『つつじケ丘』も京王が宅地開発にあたり、従来の『金子』から1957年に移動して設けた駅である。(直接の改名の理由は国鉄八高線金子駅との混同回避)

『聖蹟桜ケ丘』も従来の『関戸』を桜の名所『桜ヶ丘』と明治天皇のお狩場があったため行幸があったことから『聖蹟』を足して1937年に改名したものでこちらもその後宅地開発が盛んに成された。

これが東急沿線となるとさらに格調が高くなる。最も有名なのが、『田園調布』である。田園都市会社を1918年に渋沢栄一が中心となり設立、矢野恒太(第一生命)、小林一三(阪急)らとともに開発した計画都市である。

駅自体は1923年に田園都市株式会社の子会社である目黒蒲田電鉄が『調布』という名前で開業、1926年に田園調布に改称している。

同様に開発されたのが『日吉』である。この地は1926年東京横浜電鉄が駅を開業、周辺の土地を開発するとともに、慶應義塾に1929年に寄付してステイタスの向上を図った。東京横浜電鉄(その後の東急)は他にも新丸子、菊名などの沿線開発も手がけている。

沿線開発に絡む駅名は東急田園都市線の沿線に多いが、最も特徴的なのはたまプラーザ駅であろう。この名前は1966年の開業にあたり、地名を取って『元石川』にしようとしていた。しかし、当時東急電鉄社長の五島昇が『語呂が良くて親しみやすい、他にない名前』とすべきと主張して『プラーニャ』という広場を表すスペイン語に周辺の土地の名前である『多摩』を加えて、それまで全くなかった『たまプラーザ』という名前を付けたものである。

ほかにも『藤が丘』『つくし野』『つきみ野』などは開発を進めた東急が決めた駅名だけでなく、『すずかけ台』のように進出した東京工業大学の要望で付けられた駅名や『あざみ野』のように住民投票で決めたものもある。また、終点の中央林間は交わる小田急が戦前から開発を進めていた『林間都市』の1つであり、他に『東林間』『南林間』もある。


こうした駅名のルーツを探ることにより、それぞれの街の成り立ちを知ることができて面白い。