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『江戸の坂・東京の坂』その74。このシリーズも3月以来4カ月ぶり。あまり暑くなると坂を上り下りするのがつらいのだが、白金台駅前に『日吉坂』という信号を見つけ、久々に歩いてみる。
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日吉坂に行く前に目黒通りから垂直に八芳園に沿って下る坂が『桑原坂』である。この坂はバスも通っているが、勾配は急な方。
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坂の名前の由来は表示板によると『今里村の地名のひとつ』とあり、起源は明確でない。また、坂の途中には古地老稲荷神社がこじんまりとある。
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坂をまた上り、目黒通りを右に。この辺りが『日吉坂』、日吉喜兵衛という能役者が住んでいため、この名前になったという説がある。
この坂を下り、聖心女学園に向かう狭い道を左折する。すると落ち着いた家並みが現れ、旧三光町会という看板もある古い屋敷街となる。
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少し行くと左側に石でできた『聖心女子学院』という古ぼけた四角の柱が出てくる。これを右に曲がると学園らしいが、関係者以外立ち入り禁止と書いてあり、入る勇気もない。
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先に行くと右手に大邸宅が現れるが、木が生い茂り、標札もないため、正体はわからなかった。しかし、インターネットは便利である。調べるとセイコーエプソンの大株主である三光企業、つまり服部一族の資産管理会社が保有している屋敷とのこと、さすがである。
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そして急に下り坂になるが、これが『三光坂』。その由来は本来は坂下専心寺にあった三葉の松に基づき三鈷(さんこ、仏具の一種)坂だったものが、時代とともに変わったと言われている。それにしてもきつい坂道で、坂の下には三光坂下の信号がある。(以下、次回)
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