京浜急行で横浜に行く度に『生麦』駅の存在が気になる。というのは明治維新前の文久2年(1862年)にこの場所で薩摩藩の列に馬に乗った英国人が遭遇、行列の前を横切ったため、これを薩摩藩士が無礼討ちした『生麦事件』を思い出すからである。
まず、『生麦』という名前自体が珍しい。この名前は由緒があるもので二代将軍秀忠がこの辺りを通過しようとした際に道に水が溜まり通れなかった。それを見た村人たちは街道脇の生麦を刈り、道に敷いて行列を通らした。これに秀忠は感謝して『生麦』という地名と村人が漁業する権利を与えたという故事に因む。
まずは生麦事件の起きた現場に向かう。京浜急行生麦駅を降りて第一京浜(国道15号)に出る。
これを左折、大黒ふ頭に向かう産業道路の一本先を右折して突き当たり左側に『生麦事件発生地』のプレートがある。
ちなみにこの細い道が旧東海道となる。普通の民家の中にあるため、中々見つけにくい。
そして、次に生麦事件の碑を探す。ここで調べたサイトが古く、先ほどの第一京浜沿いに700mほど行ったあたりを訪ねたのだが、ここは新たにできる高速道路の建設地となったため、いくら探しても碑がない。やむなく、キリンの工場の守衛に聞くと工事のため移転中と教えてもらう。
実は先ほどの発生地からまっすぐ歩けばみつかったのだ。つまり、こちらも旧東海道沿いにある。ここは事件の発端を作り、斬り付けられたチャールス・リチャードソンが深手を追い、逃げるところを薩摩藩士にとどめを刺された場所と言われている。(ただ、そこから100mほど戻った場所に碑が置かれているが)
この碑も一部が損傷しており、事件発生からの年月の長さを感じさせる。その後の薩英戦争にまで発展した歴史的大事件が発生した場所をかなり遠回りはしたが、訪ねてみることができた。