hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

新江古田駅(2)

2017-11-15 05:00:25 | 日記

『メトロに乗って』その69。江古田の続き、江古田駅北口の地形はかなり個性的で道も入り組んでいる。錦華学院という児童養護施設、壊れ掛けたような焼き鳥屋、なぜかメロンパン屋などが不規則にならんでいて、その先の袋小路には小さな公園がある。

駅前に戻り、横を見ると国指定重要有形民俗文化財『富士塚』という看板がある。鳥居の方に向かうと浅間神社とある。


そびえ立つケヤキは幹の太さ3.1m、高さ21mもある。山車が神輿を入れる倉庫が立ち並び、本殿の横には富士塚がある。


確かに門の向こうには富士のように石が積まれているが、門の中に入れるのは年末年始、山開きなどわずかな期間に限定されているため、富士登山は断念する。

神社にお参りをした後、南口に出て、先ほどいた新江古田駅まで10分ほどかけて舞い戻る。さらに目白通りを越えて5分ほど行き、バス通りを右に曲がると江古田の森公園に到着。


この公園は江戸時代は鷹狩り場、その後結核の療養所となり、1993年に新宿区の国立国際医療センターへ移転統合後に隣にあった北江古田公園と併合、2007年に現在の姿となった。20mクラスのモミやポプラ並木が残された58911㎡もある公園である。因みにローマ字では『Egotanomori』、やはり中野区はエゴタと読むのが主流らしい。

『エゴタ』と『エコダ』と読み方が2つに分かれるのも不思議な気がして色々と調べたが、練馬区旧江古田町と中野区江古田の関係には色々と説がある。住居表示は西武池袋線江古田駅近くは練馬区旭丘、その隣は中野区江原町、さらに南にいくと中野区江古田になっているのだが、住居表示前は江原町も江古田と言っており、この辺り一帯が元は全て江古田であったという説。

中野区江古田が本村で新田開発をして作られたのが練馬区旧江古田(現在は旭丘などに住居表示が変更されている)で元々離れた土地であったいう説、などである。ただ、いずれにしてもなぜ練馬区は『エコダ』、中野区は『エゴタ』というかは分からず仕舞であった。まあ、どっちでもいいことではあるが。