『改めて日本語を考える』その16。耳慣れない造語をよく耳にする。少し前まで新聞の見出しを飾っていたのは『もりかけ問題』、立ち食い蕎麦屋での喧嘩かと思うような表現もまだ今なら『森友・加計学園問題』つまり安倍首相を発端とする不公正な問題とわかるが、2年も経てば何のことかは分からなくなる。
もっと新しいのが『奈良判定』、これは日本ボクシング協会会長が奈良県出身のため、国体や高校総体で審判が奈良県に有利な判定をすることを言うらしい。こんなところに地名が使われるのも『奈良』の人には憤懣やるかたないだろう。
しかし、同じ奈良を使ったあまり良くない表現に『奈良刀』という言葉がある。何となく名工が鍛えた刀のように聞こえるが、室町時代以降に奈良地方に住む刀工が鍛えた刀は大量生産されて粗悪なものが増え、鈍刀の代名詞となってしまった。
同じようなダメなものをいう言葉に『くだらない』というのがある。現代では『しょうもないこと』などと使われるが、元は上方から関東に行くものを『下りもの』といい、特に酒は関西の方が質が高かったため、『下りもの』が価値があった。その逆を『下らないもの』といい、関東でできた粗悪品が上方に流れた場合に莫迦にする意味を込めて使ったのである。
『茶番劇』という言葉があるが、これは『猿芝居』と同様に見え透いたつまらないことした場合を言うが、江戸末期に歌舞伎から流行した下手な役者が身近なもので滑稽な寸劇や話芸を演じることがその由来。まあ、今で言うつまらないコントのようなものである。『茶番』自体はお茶の用意やこれを給仕する者をいうが、そんなことをしていた大部屋の役者が余興で茶菓子などをオチにしたことから茶番狂言と言われ、転じて茶番劇となった。今では与党の国会での質問などで応援演説のような場合に『茶番劇』と使うことが多い。
つまらないこと、しょうもないこと、質が悪いことなどをそのまま言わず、表現の仕方を変えて使うというのも日本語の特色なのかもしれない。