『1丁目1番地1号』その15。今回は人形町周辺を散策する。人形町駅を降りて隅田川方面に歩く。この辺りは江戸時代は玄冶店と呼ばれた場所で格式の高い料亭『濱田家』が今もある。通りを挟んだ先は日本橋富沢町と地名か変わる。
目の前にNTT茅場兜ビルという大きなビルが出てくるが、ここが『中央区日本橋富沢町1ー1』である。
その先は江戸時代には浜町川が流れていた跡が浜町緑道として残されている。ここにかかっていた橋が小川橋、そして小川橋の石碑も残されている。
明治19年に馬喰町でピストル強盗が発生、この地で久松署小川巡査と格闘となり、重傷を負いながら逮捕した。しかし、その後、この傷が原因で亡くなったのだが、その名前を残すべく「小川橋」としたのである。
その石碑があるのが久松小学校のとなりの児童公園、ここが『中央区日本橋久松町1ー1』なのである。
大通りを反対側に渡り、しばらく歩くと人形町通りに面したクラシカルなパチンコ屋さんの隣に出る。これを渡り、まっすぐ行くと日本橋小学校の立派な建物が見えてくる。
日本橋小学校は明治5年創立の十思小学校と明治33年創立の東華小学校が平成2年に統合、旧東華小学校の敷地に作られたのだが、実はこの地はかつて西郷隆盛が下野するまで住んでいた屋敷跡である。
ただ、残念ながら日本橋人形町1丁目1番地ではあるが、住所は『中央区日本橋人形町1ー1ー21』なのである。(以下、次回)