hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

大岡山駅付近の坂道②

2021-06-05 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その137。鉄飛坂を降りてそのまま行くと左側に中根小学校、この辺りから今度は緩やかな上り坂になる。

この上り坂が『寺郷の坂(てらごうのさか)』である。寺郷はこの辺りの古い地名(衾村寺郷)でそれが坂の名前となった。



江戸時代初期、九品仏浄真寺への参拝する人々で賑わった道沿いに4軒の水茶屋があった。

坂の途中には名主である岡田家の屋敷があったことから一帯は岡田の森と言われ、すぐ下には呑川の水車が回る景勝地であった。今も残る長屋門と付近の森は当時を偲ばせている。



坂を通り過ぎ、右に曲がると石垣に囲まれた中根公園がある。この角から左右に伸びる坂道が『兵庫坂(ひょっこうさか)』である。由来は諸説あるが、中根公園は元来岡田家所有の土地であり、その北側に兵器庫があったことからこのように呼ばれるようになったと考えられている。



兵庫坂を上り、突き当たりを左の方に行く。この辺りには大きなお屋敷が多く、規模のみでなく、斬新なデザインにも驚かされる。

道を行くとずっと先まで下り坂となっていることがよくわかる。2つ目の信号の先が『旭坂』、この辺りは戦前から海軍関係者の多い住宅地であり、その頃つけられま名前のようだ。

隣の坂道が『ちどり坂』、この坂の名前の由来はよくわからない。大正末期から昭和にかけて開発された分譲地であり、日当たりがよく、見晴らしもよいので人気があったのであろう。



坂道の登り降りで少しくたびれたので休んで前の家を見ると手入れが行き届いた立派な庭木がある。しかし、よく見ると幹がコンクリートと一体化しているのである。縄で巻かれてはいるが、コンクリートに木の幹が食い込み、不思議な様子であった。



1本道を隔てて次の道が『稲荷坂』、この坂は江戸時代に名主だけが許されていた稲荷神社をもつ家が坂の途中にあったことからその名前がついた。



この坂道を降り、そのまままっすぐ歩くと東急大井町線緑ヶ丘駅まで行くことができる。