hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『品』について考える

2021-06-07 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その30。今回は『品』という字について考えてみる。品の字は『もの』という意味以外にも日常でよく使う。特に『品がない』『上品な人』『品格』『品位』と使う場合である。
実はこの『品』の起源は中国の人を評価したり、官吏を登用する際に使っていたもので例えば『上品』であるとこれを3つに分けて『上上品』『上中品』『上下品』としたもので『三々九品』と読んだ。

(浄瑠璃寺)

この手法を仏教の経典を翻訳する際に当てたもので中国の階位と同じように『上品』『中品』『下品』とし、『しな』ではなく『ほん』と読む。さらにらそれぞれに『上生』『中生』『下生』があり、例えば『上品下生』『中品上生』のように9通りの往生の仕方があるとした。

『観無量寿経』には極楽に往生を願う人の性質や行いによって九種に分けられた往生人の階位がある。その違いはあれどこそ、極楽に行くのは同じと教えている。

例えば『下品下生』は十悪罪を犯し、当然地獄に落ちるような悪業を重ねたものであるが、幸にして教えを受け、南無阿弥陀仏を唱えて十念を具足した人であり、八十億劫の生死の罪が消え、金蓮華を見て往生する。さらに十二大劫を経て蓮華を開き、観音・勢至より教えを聞いて菩薩心を起こすとちゃんと極楽に行くことができるのである。

極楽からどのようにお迎えが来るのかを9通りに分けて図にしたものが宇治平等院に残されており、その違いを見るのも面白い。
また、九品寺には九躰の阿弥陀仏が収められていてそれぞれに印相が異なるのである。まあ、どんなに考えても私など『中の中』、これもたぶん仏教から来ているのだろう。『下の下』と言われないようにしたい。