『東京の坂、日本の坂』その140。渋谷川の橋めぐりの後、天現寺橋まで来たら白金周辺で行き残した坂道があることを思い出し、歩くことにした。前回この辺りを歩いたのが2016年7月、気がつけば5年も経過していた。
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天現寺橋から慶應幼稚舎の前を通って首都高速の方に歩く。シロガネーゼという言葉があるくらいお洒落な店が軒を並べている。
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しかし、首都高速を潜ると八百屋さん、外苑西通りを三田方向に少し行くが五軒長屋、洋食屋さんの名前が『ハチロー』と庶民的である。2つ目の路地を右に曲がると『明治坂』の下にちょうど出る。
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明治坂は坂下あたりは細く、うねりながらやや広くなる坂道で長くやや急な坂道である。名前は木製の説明板に『昔から存続した坂であるが、明治坂と呼ばれたのは大正初年と言われている』とある。両側は住宅地で子供がしゃがみ込んで遊んでいた。
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坂の頂上あたりを左に曲がるが、道が分かりにくく、さらに広い邸宅を細切れにしたようなミニ開発により作られた細い道がよりわかりにくくする。
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途中、興禅寺という寺院を右に見ながらまっすぐ歩くと急に左に降りていく坂道が現れた。右側は聖心女子学院の煉瓦塀、左は無理矢理崖地に建てたような家が並び、その間からは下が見渡せる。
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この坂道が『蜀江坂』である。周辺は『江戸時代に坂の上を紅葉の美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台呼んだところからつけられた』と説明板にはあった。全く同じ名前の坂が新宿区にあり、名前の由来もほぼ同じ。
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坂を降りていくと左側に家はなかった頃には高台から遠くが見下ろせたであろうと思われる場所である。(以下次回)
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