生まれが1958年7月27日だから、私は本日で63歳となる。これは事実。
ブログでは毎年の誕生日に色々なことを書いてきたが、今回は縁起でもない話を書くことにした。
ブログでは毎年の誕生日に色々なことを書いてきたが、今回は縁起でもない話を書くことにした。
3歳や5歳になれば七五三、7歳になると小学校、20歳になれば成人式、42歳になれば厄年、60歳になれば還暦と一区切りが付くが、それ以降は精々喜寿や米寿くらいしかない。実は63歳というのは中途半端な年齢。昭和の時代は60歳は還暦でよく長生きしたとお祝いをし、さらについ10年くらい前までは60歳でリタイアするケースが多かった。サラリーマンは退職金をもらい、ゆったりと過ごすこともできた。しかし、今は雇用形態も変わり、原則65歳までという動きが太宗。つまり、リタイアしたくてもできない中途半端な年齢なのである。
まあ、65歳になれば年金もフルに受給できるようにはなるが、そこまではあと2年。63歳は特別給付の老齢年金の受取をするかどうかの決断を迫られる緑色の封筒が届く。しかし、会社に属していてこの年金を受け取れる人は多くない。
それならばいつまでも健康でいられるのであろうか。実は私が63歳に特別な思いを持つのは私の叔父が亡くなった年齢が63歳だからである。祖父が69歳で亡くなったり、父親が71歳で亡くなったり、と我が家の男性で長生した人があまりいない。こうしたことからもやはり『死』というものからは目を背けられないとつい思ってしまう。
63歳で亡くなった有名人、北の湖のような角界の人はともかく、西城秀樹(歌手)、いずみたく(作曲家)、池田満寿夫(作家)、村山実(野球選手)、ハナ肇(コメディアン)最近ではコロナで亡くなった岡江久美子さん、と意外に多いので驚く。もちろん、こうした人々が亡くなった時に意外に若いなあと感じたことも思いだすのだが。
63歳となったとしてもあと寿命がどれだけあるのかは私には分からない。ただ、かなりリスクも出てくる年齢であり、後で後悔しないようにやりたいことをやり残さず生きていくことを少し考えてみることにしたい。