『東京の坂、日本の坂』その141。蜀江坂をゆっくりと下るが、左側の煉瓦塀はかなり長い。聖心女子学院の通用の前を通り、坂を降り切るとパス通りに出る。
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目の前には北里大学と病院、さらに左に曲がると白金ヶ丘学園がある。次の信号は三光坂下とあり、右の方に登って行くのが『三光坂』である。
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名前の由来には色々な説があるが、説明板には『本来は坂下専心寺にあった三葉の松に基づき、三鈷坂(三鈷は仏具でさんこと読む)だったというが、日月星の三光などともいう』とある。
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やや、言葉足らずの説明で補足すると『三代将軍家光が鷹狩の際に専心寺に立ち寄った際に寺の松が珍しい三葉だったので三葉の松と名付け、その前の坂道は三葉坂と読んだ。しかし、地元の人はこの松を三鈷の松と呼んでいたことから三鈷坂と呼ばれた。また、日月星の三光が由来という説もあるある。』と言ったことらしい。
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まっすぐ伸びる急坂で両側には高級マンションや豪邸が立ち並び、その究極が左側にある旧服部金太郎邸であろう。この旧宅はGHQに接収されたりもしたが、現在は外国のファンドが保有している。また、周辺には名前はないがいい坂が結構ある。この坂道など服部邸の隣にあるから『服部坂』とでもつけたくなる。
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また、右側には『聖心女子学院』と書かれた校門の柱が残されているが、ここが入口のようである。
坂上からそのまままっすぐ歩き、途中右に折れると東大研究所と聖心女子学院の境目の通りに出る。かなりの距離があり、さらに坂を降りた後上り坂となる厳しい地形で突き当たりを右に曲がる。その先は下り坂となっていて下まで下り、外苑西通りを渡る。
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その先突き当たりは白金自然教育園だが、一本手前の右に降りていく坂道が『日東坂』である。説明板には『日東紡か日本精糖の用地であったため、日東坂もしくは日糖坂と呼ばれていた。大正初年に開通した坂道である。』とある。
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坂を降りると白金トンネルの前に出る。
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今回は4本の坂道を歩いたが、いずれも勾配が厳しく、さらに長い坂ばかりであった。