『東京の坂、日本の坂』その211。ときわ台駅〜小竹向原駅までの坂道散歩②。豊敬稲荷神社から街道を外れて墓地の周りを歩き、川越街道(国道254号)に出る。左に曲がると再び石神井川を上板橋という橋で渡る。
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環七を越えると先ほどの長命寺坂の延長線上にある長命寺の前に出る。この寺は残っている文献からも江戸時代前期からあった古刹、いつの間にかこれほど交通量の多い交差点に面することになったようである。
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寺の前を過ぎ、左斜めに進む細い道を歩く。上板橋小学校があるが、なぜか『東京都板橋區立上板𣘺小学校』と旧字体で書いてある。
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6本目を左に曲がると長い下り坂となるが、これが『堂坂』である。由来をネットで調べると『坂の途中に旧家で大庄庵と称した小野沢氏の家があり、地蔵堂があったので堂坂または地蔵坂と呼ばれる』とある。くねくねと右へ左に曲がりながらスーパーがあるあたりまで続く。
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真っ直ぐ歩くと再び石神井川の上の根橋、さらにその先に環七が通っている。橋を渡らず右に曲がりしばらく歩く。この辺りの石神井川は川幅はあるが、水の流れは緩やかである。
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宮前橋を左に曲がり、2本目のバス通を右に行くと大きな広場(草原)に出る。
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左手には毛呂山公園が現れ、この公園に沿って上って行く坂道が『ばんち坂』。これは昔、この山がばんち山と呼ばれたために付けられた名前である。
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『ばんち山』のばんちは山の持ち主であった山上氏の先祖が江戸城の警護衆が住んでいた番町(東京都千代田区)ところから来ているらしい。
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坂を上まで上がり、2本ほど先を右に曲がる。再び環七通りに出るが、これを歩道橋で渡り、左に行く。2つ先の信号を右、さらに次を右に曲がり行く。心神障害児総合医療療育センターの前に出るが、この敷地に沿って下る坂道が『すて場坂』。
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名前からしてゴミ置き場でもあったのかと思ったが、牛馬を捨てる場所が坂下にあったのが由来らしい。江戸時代までは牛馬の肉を食べることが禁じられていたために死んだ馬や牛を捨てる場所があったらしい。今ではとても信じられない気がする。
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坂を下り、コーシャハイムの先に伸びるのが『地蔵坂』。緩い坂でかつて地蔵堂があったことからこの名前がある。
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少し元の道を戻り、坂上まで歩き、道案内にある通り中学校と小学校の間にある道を左に行く。台橋通りと名付けられているが、くねくねと曲がりながらも要町通りまで続く。途中には今でも営業しているのかはわからないが、懐かしい小さな書店。
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子供の頃にコンビニは今のように発達しておらず、書店や文房具屋が学校の周りにあったことを思い出した。
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小竹向原駅に到着。要町通りを渡り、その先左に下る緩い坂道。これが『だらだら坂』、由来は坂を下るとよくわかる。左側は向原小学校、右側はゴルフ練習場となっている。
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くの字に曲がる坂であった。ときわ台駅から小竹向原駅までは寄り道をせずに真っ直ぐ歩けば2.5km程度だが、坂巡りをしながら歩くと5km近くなっていた。
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因みに、最初の写メは長命寺坂にあった古いホーローの地名案内板である。