『創業の地を歩く』その7。法政大学の発祥の地の横にはもう一つ石碑があり、『大久保彦左衛門の屋敷跡』とある。大久保彦左衛門は時代劇では見たことがあるものの、人となりはあまり知らないので調べてみた。
大久保彦左衛門は通称であり、本名は大久保忠教。徳川家康、秀忠、家光と3人の将軍に仕えたが、あまり世渡りがうまくなく、兄が沼津藩主になったが兄の子が早世したため、養子に入る話を断り、改易されたこともある。80歳と当時ではかなりの長生きであった。講談などでは天下のご意見番と呼ばれているが、徳川幕府成り立ちから武勲をたてた武士であったことは間違いない。
駿河台下まで降り、神保町を左に曲がると学士会館が現れる。その建物の横にあるのが『日本野球発祥の地』の石碑。巨大な右手がボールを握る意匠である。
石碑によると、『1872年東京大学の前身である開成学校に教師として招かれたアメリカ人牧師ホーレス・ウィルソンが生徒たちに野球を教えた、これが日本野球の始まりである』とある。そばで見ると爪やボールの縫い目まである中々生々しい石碑である。
学士会館正面には『わが国大学発祥の地』という石碑がある。1877年(明治10年)4月12日に開成学校と東京医学校が合併してこの地に東京大学が開学したものである。
おまけとして、向かい側には共立女子大学並びに共立講堂がある。共立講堂の前にはやはり共立女子大学の校舎完成のオブジェもあった。