hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

我が家のクリスマスディナー

2014-12-21 05:00:29 | 日記

12月に入るとクリスマスモードに町は包まれ、今週がそのピークとなるが、我が家では色々と予定の調整の問題もあり、少し早いクリスマスパーティになった。外でクリスマスディナーをいただくのもいいが、子供が小さい頃から何となく妻の手づくりで盛り上がる。

今日のメニューは1時間玉ねぎを炒めた“オニオングラタンスープ”、娘がソース作りに挑戦した“平目のカルパッチョ”、他に“カニのコキール”、“ベビー帆立のエスカルゴ風”などが並ぶ。特徴は何れもワインに合うこと。




市販品を買ったのは“帆立のムース、牛タンのゼリー寄せ”だけらしい。

メインは最近の我が家の定番“ラムチョップのヨーグルト風味オーブン焼き”、スパイスにカレーを少し使い、ボリュームがありながら、ヘルシー。


でも3人でスパークリングワインとハーフの赤ワイン1本ずつ、楽しく盛り上がりました。

勿論、クリスマスケーキも食後に頂きます。今年は娘の奢りで“カシスムース”、これも市販品だが、中々美味かった。一足早く、メリークリスマス!

恵比寿付近の坂

2014-12-20 05:00:36 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その16。今回はJR山の手線恵比寿駅から東横線代官山駅まで坂を巡りながら歩いたが、これを2回にわたりレポート。

恵比寿駅西口は再開発の最中で目印の交番も移転中。その脇を通り、線路際をいくと『いなり坂』。すぐ左側には恵比寿駅ホームが見える。


坂を少し下り、次の道を左折すると目の前には階段が出てくる。残念ながら名前は無い。クランク状に歩き、突き当たりが防衛省の施設、右に行くと社に囲われた道標を発見。近くの標識には『中央に南無阿弥陀、その左側にゆうてん寺みち、右側に不動尊みち』と書かれている記述あり。実際にはよく読めない。


ここを起点に『かんのん坂』あまり勾配のきつくない坂で右側にはケヤキの保存樹があり、さらに先には馬頭観音。これが坂の由来らしい。



坂を下りて2つ目の信号を左へ。広い通りを渡ると恵比寿公園が登場。

その先を左へ行くと坂になっており、その上に長谷戸小学校が現れ、校門脇には夕焼け小焼けの碑がある。実はこの作曲者の草川信氏が大正から昭和にかけてこの学校の音楽教師を務めていたことからこの坂を『夕焼け坂』と呼ぶようになったらしい。



これから先は次のレポートにて。

年賀用はがき・切手

2014-12-19 05:00:48 | 日記

切手シリーズその40。年賀状関連の切手・ハガキの発行について調べてみた。
今年のお年玉付き年賀はがきの印面(金額が書かれているの部分)は『ひつじがセーターを着ている』ものだが、丁度12年前の2003年用年賀はがきでは『ひつじが編み物をしている絵』が使われ、12年かけてセーターを編み上げた、ということが話題になった。

では年賀はがきの印面は幾つあるのか。2003年当時は先程のひつじが50円用、寄付金付きは『正月飾り』と2つだけだった。しかし、例えば2013年用を見ると『富士山と門松』(普通の無地)、『蛇の目傘と寒牡丹』(インクジェット用)、『おせち料理』(インクジェット写真用)、『紅白梅』(絵入り全国版)、『蛇の目』(絵入り地方版)、さらに色どり年賀状が2種、ディズニー年賀が2種と9種類もある。

年賀切手も1988年までは年賀切手1種類だけだったが、1989年に62円の寄付金.クジ付き切手が世界で初めて発行され、2種となった。さらに1990年には年賀切手1種、クジ付き切手が41円と62円になり、さらに1991年には年賀切手が41円と62円、クジ付き切手も同じく2種の計4種類となった。

さらに来年用からは海外年賀状用に国際郵便ハガキとして出せるように不足額の18円の切手も2種類発行され、計6種の切手が発行された。

また、さらに2004年(2005年用)として干支切手が発行されるようになった。これは干支の漢字を10種類集めて小型シートにしたもので毎年12月1日に発行されている。

しかし、お年玉付き年賀はがきは知っていてもまさかクジ付き切手があることや翌年の干支切手がシール切手で発行されている人は少ないと思う。因みにお年玉クジの当選番号はハガキと同じである。


まあ、これだけ日本郵便が頑張っても年賀状は減る一方、やや寂しい気もする。

けものへん

2014-12-17 19:51:39 | 日記

『改めて漢字を知る』シリーズ その7。漢字には偏(へん)と旁(つくり)に分けられるケースが多い。その中で偏はカテゴリーを表すケースが多く、例えば魚偏は寿司屋の湯のみに描かれるほど細かく魚の種類を表す。

今回は『けもの偏』について考える。『けもの偏』は魚偏と違い動物であっても付かないものが意外に多い。例えば十二支に出てくる動物を取ってみても犬を含めても猿と猪の3つしかない。(鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、鳥)

その理由はあくまで推測だが、『けもの偏』はもとは『犬』から来たもののため、家畜にはあまり使われないのではないか。先ほどの3つ以外には獅(しし、ライオン)、狼、狐、狸、猫、獺(かわうそ)、狒々(ひひ)、獏(ばく)、狢(むじな)などが自然に暮らしている動物が主なものである。

もちろん、犬を表す字として狛(こま)、狆(ちん)、狗(いぬ)などもあるが。

一方で獰猛な動物でも虎、豹(ひょう)、象、鼬(いたち)、犀(さい)などには『けもの偏』が付かない。

また、『けもの偏』の漢字はかなり危ない、ずるいなどの表現にはよく使われる。典型が狡猾、獰猛、狼狽などで熟語で『けもの偏』が付くものにはあまりいい意味がない。ほかにも犯罪、猜疑心、狙撃など物騒な表現にはよく登場する。
やはり、『けもの偏』は人の心を持たないといった意味で使われることが多いのかもしれない。


孤独のグルメ巡礼ガイド

2014-12-17 05:00:37 | 日記

孤独のグルメseason4も終わり、久しくなるが、小生にとってはもう今から次のシリーズが楽しみである。番組のファンならかなりの人が知っているが、このシリーズはかなり通常のマンガのテレビ化とは異なる。

というのは初めの頃のシリーズはともかく、原作にある店がseason2以降殆ど出てこないことである。つまり、テイストは原作に忠実だが、訪れる店、食べる料理、エピソードが全てオリジナルで作られていることである。

普通ならば原作と違うから盛り上がりに欠けることもあるのだが、何しろ原作がコミック1巻しかなく、ネタも尽きるため、止む無くという面もあるが。まあ、テレビ制作のメンバーと主演の松重豊さんの頑張りでテレビに一つのスタイルを作っているのがその成功の原因かも。
最近、書店で発見し、すぐ買ってしまったのだが、『孤独のグルメ』巡礼ガイドなる本も出ている。中を開くとseason1~3+原作の店が、余すことなく書かれていてファンにはこたえられない。

特に小生のブログの大切な読者であるM氏が愛して止まない『三ちゃん食堂』も細かく書かれているので是非ご一読頂きたい。

ただ、不思議なのはこの本を出しているのが、テレ東系でなく、フジテレビ系の扶桑社ということではあるが。

ハイブリッド気動車

2014-12-16 05:00:34 | 日記

鉄道シリーズ その87。ハイブリッド車両について調べて見た。鉄道は大きく2つに分けると電化・非電化に分けられる。電化されている場合は当たり前だが、電車が運行され、地下鉄のような第三軌道から電気の供給を受けるケースもあるが、殆どは架線にパンダグラフやビューゲルから電気の供給を受け、その電気でモーターを動かし走る仕組みである。

一方、非電化区間はかつては蒸気機関車が主力であったが、昭和40年代からディーゼルカーが主流である。これは軽油を燃料にしてディーゼルエンジンを動かして走る仕組みで、架線を張る必要がなく、保線のコストが安いなど廉価であるため、閑散線で多く使われ、JRでも四国などはほぼディーゼルカーが活躍している。

しかし、温室効果ガスなどあまり環境に好ましくないこと、車内がうるさく、石油の匂いがすることなどから敬遠されつつある。

そこで登場したのが、ハイブリッド車両である。これはプリウスなどのハイブリッド自動車と異なり、発電用のディーゼルエンジンを動かして発電し、これを蓄電池に貯めながらモーターを動かす仕組みで、ブレーキを使う際に出るエネルギーも電気に変えて蓄電池に貯めておく仕組み。

この仕組みで動く世界初の営業用車両が2007年より小海線で使われているキハE200型である。この車両の環境適応機能はNOxとPMの排出量を60%削減することに成功した。

さらに最近この新たな利用方法として東日本大震災で不通になっていた仙石線と東北本線を繋ぐ『仙石東北ライン』での活用が考えられている。仙石線は元は私鉄だったため、直流(1500v)電化であり、東北本線は交流(2万v)のため、今までは同一車両での直接乗り入れが難しかった。

これを解決したのがハイブリッド車両HBE210系の利用である。この導入により一定以上の増発ができなかった仙石線がさらに使いやすくなることが期待されている。やはり日本の鉄道技術は素晴らしい。

第51回ラグビー大学選手権セカンドステージ

2014-12-15 05:00:40 | 日記

久々に正月2日のラグビー大学選手権のチケットを購入してしまったので、セカンドステージ第1戦を約20年ぶりに見に行った。(かつては交流試合などと言われ、よく見に行った。)


14日の秩父宮は快晴ながら日陰はかなり寒い。まず投票に行き、弁当を買って出発。第一試合は筑波大vs大東文化大、好ゲームの予想だったが、それも前半まで。(10対10の同スコア)

後半は大東文化が体力も落ちて筑波大の走りについて行けず、終わって見れば筑波大44・大東文化大22の大差の試合となった。

第二試合は慶応義塾大vs中央大、小生は相手がリーグ戦5位だから楽勝と思っていた。まず、開始4分で慶応がSH森川のPGで先制、しかしその後がよくない。慶応は相手の背後にキックを蹴るが、フェアキャッチの連続でなかなかチャンスをものにできず、逆に相手のワンパターンであるモール攻撃を止められず2トライ、ようやく前半最後にFWが頑張りPR青木の突進でトライ(ゴールも成功)で同点で折り返すことができた。


後半も初めはミスが続いたが、12分モールを押し込みPR青木のトライ、19分もHO神谷のトライ、更に23分には矢川のDG、最後はPR青木が自陣深くから突進、最後はLO古岡がトライととにかくFWが頑張り、勝利することができた。

しかし、SO矢川の調子がイマイチて、トライ後のGやPGを外すことが目に付いた。また、攻撃でもすぐに蹴るなどまだまだバックスには課題が残る試合であった。とにかく、再来週の流経大戦に勝たなければ正月2日はない。是非頑張って欲しい。

蛇足だが、ラグビーにも朝の満員電車のように女性専用席ができたが、残念ながら殆ど座る人はおらず、宣伝不足を感じた。

秩父宮のバックスタンドに行かれる方に。場所により少し違うが、晴れの日は1時になると日が差すのでそれまでは防寒対策が必要。でも現場はやっぱりいいものだ。

外に出るとイチョウ並木も葉がほとんど落ちてまるでちがう風景であった。

鶴見線探訪 国道駅~海芝浦駅

2014-12-14 05:00:36 | 日記


鉄道シリーズ その87。鶴見線(2)国道駅で15分待ち、次の海芝浦行きを待つ。

ところで鶴見線は元々私鉄だが、駅名がなかなか趣きがある。もちろん、国道15号線上にホームがあるから国道駅というのもいいが、偉大な企業人の名前がこれほど多く駅名になっている線はない。国道、鶴見小野の次の『浅野』駅は浅野総一郎(浅野セメント総帥)、『安善』駅は安田善次郎(芙蓉グループ総帥)、『武蔵白石』駅の白石は白石元二郎(日本鋼管創始者)、『大川』駅は大川平三郎(日本初の製紙技師で数々の製紙会社を興した製紙王)に因む駅名と中々これだけは揃わない。

国道駅を出ると直ぐに鶴見小野駅に到着、木造の古い駅がなかなか味わいあり。さらに浅野駅も同じように古い。
浅野駅は三角の形をしており、1・2番線は鶴見線本線、3・4番線は海芝浦支線のホームである。なぜか3・4番ホームはとても広い。

その先は進行方向左手に曲がり、すぐに海に繋がる運河が見えてくるが、急にスピードも落ちる。

新芝浦駅のホームは両側、特に運河側は狭く、目の前はすぐに運河。さらにスピードは遅くなり、ちょうど埋立地に沿いながら電車は走る。右に緩くカーブをするとすぐに海芝浦駅に到着する。

海芝浦駅は中々特異な駅である。鉄道マニアの間では有名な駅。東芝の事業所の中にあり、駅には自動改札機はないが、事業所の自動改札が駅の出口に設置してあり、東芝関係者しか下車できない。


我々部外者はというと海岸沿いにある海芝公園という箱庭しか入る場所がない。もちろん11時11分に着いて、11時25分に発車する電車に乗らないと2時間電車がないのだから選択肢はもときた電車に乗るしかないのだが。

しかし、目の前に海(正式には京浜運河)が広がり、大黒ふ頭に繋がる高速道路湾岸線がすぐ前を走る風景は中々雄大で、この景色を東京から1時間かからず見れる場所はなかなかない。休日には鉄道マニアが集まるのも分かる気がした。
小生は折り返しの電車に乗って鶴見まで。


本当は浜川崎や大川にも行きたかったが、次の訪問の楽しみに取っておくことにした。


今年の漢字2014

2014-12-13 05:00:56 | 日記

『改めて漢字を知る』シリーズその6。毎年12月12日は『漢字の日』である。なぜこの日なのかというと、「いい字一字」のゴロ合わせ。今は『今年の漢字』を発表する日として有名になった。この発表するようになったのは1995年のことで今年で21字目である。

今はマスコミにも大きく取り上げるようになってきたが、小生の親戚が役員をしている漢字検定協会が清水寺で管主が太い筆で漢字を一字書いて発表するのが年末の恒例行事のようになっている。また、あまり知られていないが、中国、台湾、シンガポール、マレーシアでも我が国のように今年の漢字を決めて発表している。

今年の漢字は『税』、17年ぶりに消費増税したことから、最も高い得票を取ったようである。次点が『熱』、その後は嘘、災、雪、泣と続く。

因みに最初の年(1995年)は『震』、確かに関西淡路大震災があったためである。面白いのは漢字一字でその年の出来事を思い出すこと。例えば1998年の『毒』は和歌山カレー事件、2000年と2012年の『金』はシドニー・ロンドンオリンピックの金メダルが印象に残ったことがポイント。『災』は2004年の中越地震、『絆』は2011年の東日本大震災が思い出される。個人的には昨年の漢字『輪』は『東京五輪』や『楽天優勝での東北の輪』など幾つも重なり合った意味があり、なかなか良いのではないかと思う。

まあ今年の漢字も悪くはないが、あと数年経って消費税率が10%になる年もまた『税』では味気ない気はするが。

落合駅(東京メトロ東西線)

2014-12-12 05:00:10 | 日記

『metroに乗って』 その12。今回は東京メトロ東西線落合駅。この駅は山手通りと早稲田通りの交差点の下に位置し、始発の中野駅の次にあるが、ちょうど中野区と新宿区の区界に駅がある。

この辺りに住んでいる人を除き、降りたことがある人は少ないのではないか、そしてもし降りたとしても落合斎場に行く位ではないか。小生も東西線を利用することが多いが、今回降りたのは2回目である。


東京メトロ東西線が開通したのが1966年3月だからもうすぐ開業50周年になるが、駅も改修されかなり明るくなった。特色があるのがホームのベンチで瀬戸物のような白い丸い椅子である。こういう椅子はあまりない。また、落合駅は東西線で最も乗降客数の少ない駅らしい。

駅は前と後ろに出口があるが、取り敢えず上落合2丁目交差点側に出る。山手通りも地下に高速道路ができた関係で広げられ、昔の万年渋滞の面影はない。また、空気抜きの穴が煙突のように並んでいる光景は中々珍しい。


雨の中をしばらく中井方向に歩くが、大江戸線が山手通りの下を通っており、中井駅も350m程度しか離れていない。だったらなぜ落合駅を作らなかったのか、やはり、中井で西武新宿線に、東中野で中央線に乗換えすることを選択したのだろう。

先を左に曲がると小さな商店街があり、肉屋、魚屋、八百屋、クリーニング店など並ぶが、あまり活気はない。その先を右に曲がると目白大学があるらしいが、中々見えないし、寒い中、帰りが登り坂になるので諦める。

元の道に戻るが、幾つもの分かれ道は何れも細く、車両の通行が難しいという看板が出ている。そして、すぐに落合斎場に到着。その立派な建物に驚く。

左に曲がり、早稲田通りを目指すが、ホテル学校がある程度で住宅とマンション、児童公園、学校くらいで神社もなかなかない。また、当たり前だが、霊柩車が普通に追い越していく。


このシリーズはあまり降りない駅に降りてみて新たなものを発見することを目的にしているが、これほど何も見つけられないのは初めてである。

早稲田通りを目白方向に歩くと元の交差点、さらに山手通りを渡り先に行くが、地下鉄の反対側の入口のところに落合郵便局、それしか発見できず、雨が強くなったので諦める。なお、落合という地名は妙正寺川と神田川が合流する場所というのが起源とのことである。