hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ピロリ菌退治レポート(上)

2018-09-10 05:00:53 | 日記

銀行を卒業してからは身体は好調、医者の指示に従ってγーgpt、血圧、中性脂肪も順調に減っている。しかし、今年の胃の検査(バリウム)で指摘され、さらに胃カメラを苦しみながら鼻から入れて生検したら、やはりピロリ菌を指摘されてしまう。

医師からは退治をしないとリスクが高いと脅される。還暦となり、胃がんなどのリスクが高くなる中、8年ほど前に退治しかけて断念したピロリ菌を再度退治しようと薬の投与を開始。

処方されたのが、ボノサップ800、一度に錠剤3つ、カプセル3つ飲む。武田薬品の製品らしいが、『曙』と『ボブサップ』を足したような強そうなネーミング。中身は赤い錠剤が胃酸の分泌の抑制、白い錠剤とカプセルがピロリ菌を退治するとのこと。

実はこの薬、7日朝夕、つまり14回服用しなければならず、この間禁酒を励行しなければなりません。風邪で寝込んだ時もせいぜい5日、不安と共にスタート。では実際にはどんな様子なのかを簡単にレポートしてみた。

【木曜日、1日目】週に2日は酒を抜こうとしているだけに1日程度は平気、身体の変調もなく、順調。
【土曜日、3日目】妻と外食、酒なしにどんな店でディナーと熟考した上で吉祥寺のスープカレーの店に。ライス中心のメニューならばこなせることが分かる。飲み物はジンジャーエールで我慢。しかし、夜からだんだん腹が緩くなり、これは副作用だろうと実感。

【日曜日、4日目】一日中雨が降っていたこともあり、休養に当てる。だからなのか、腹もそれほどひどくない。禁酒も慣れてきた。
【月曜日、5日目】腹は再び悪化、悪くなる一方。整腸薬を買い忘れ、トイレに何回も行ってしまう。しかも午後からは左腕がなぜか筋肉痛。やむなくサロンパスのお世話になる。もう、禁酒はあまり気にならない。まあ、ノンアルビールは飲んだけどね。

【火曜日、6日目】世の中は台風21号の話題ばかりだが、私は体調ばかりが気になってしまう。整腸薬のおかげで腹はやや回復するものの、左腕の鈍痛に加えて、今度は左の二の腕に赤い発疹ができる。よく考えたら前日からあったようで、どおりで少し痒いなあと思った。
気になって医師に電話相談、日常じんましんなどなったことがないというと、多分薬疹と言われ、薬の投与をどうするか、再度午後に連絡して欲しいと言われる。夕方には発疹が少し薄くなり、痒みもそれほどなく、また、発疹もひろがっていないと再度連絡すると、医師は後1日だから頑張ってと言われた。何を頑張るのか?意味不明。投与が終了後も発疹が残っている場合は受診して欲しい旨を告げられる。
【水曜日、7日目】幸いに発疹はかなり薄くなり、痒みも殆どなくなる。また、整腸薬が効いているのか、腹も治ったみたいである。

と何とか7日間無事に飲み続けることはできたが、厳密には発疹も残っているし、左腕のだるさもまだ消えていない。やはり、身体にはかなり負荷のかかる薬なのであろう。問題はこれでピロリ菌が退治できたのか、発表は10月末になる模様。






















小倉城、田川石炭歴史博物館〜夏旅行(10)

2018-09-09 05:00:05 | 旅行

夏旅行第10弾、最終日は小倉からスタート。まずは小倉城に向かう。小倉城は鎌倉時代頃より記録があるが、その後関ヶ原の論功行賞で1602年に細川忠興入城、1632年には細川氏国替えに伴い小笠原忠真が入封している。明治以降は陸軍歩兵師団が置かれていた。

現在の城は1959年に鉄筋コンクリートで再建されたものだが、内装工事中で残念ながら中には入れなかった。

周囲には小倉城庭園が再現されていて、現在では市営の施設として公開されている。池に向かい建物があり、

また、その後ろに天守閣を望む風景は美しい。


向かい側には八坂神社、入口には、大きな石が配され、社殿も堂々としたものである。


松本清張記念館もあり、中には彼の年表や映画化された作品の紹介、さらに2階は東京高井戸にあった仕事場が忠実に再現されている。清張ファンの私としては大変興味深く見て回る。

小倉城を離れて次は田川石炭歴史博物館へ。筑豊にあまり足を運んだことがなかったが、田川周辺は鉄道網が入り組んでいて踏切が多い。博物館は三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地にあり、竪坑櫓や二本煙突などそのものが残されている。


中に入ると日本石炭採掘の近代化が一目でわかるような展示物があるだけでなく、炭鉱住宅で暮らしていた人々の様子などを見る事ができる。また、2011年に日本で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録された山本作兵衛コレクションが飾らせている。

漫画調で採炭を行っていた庶民の姿を丁寧に描いた作品は大変興味深かった。他にも実際に炭坑で使用された大型機械や復元した炭鉱住宅、蒸気機関車などが野外展示されている。


次に飯塚市まで車を走らせて『伊藤伝右衛門の旧宅』を見に行く。伊藤は筑豊の炭坑王と呼ばれ、NHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』に登場した柳原白蓮が伝右衛門の後妻として一時すごした屋敷である。飯塚市幸袋にあり、敷地300坪、部屋が25という広大な建物で白蓮が大正天皇の従兄妹のため、菊の紋章が入ったシャンデリア、白蓮のすごした部屋などを見る。


その後、白蓮は伊藤の元から離れてしまうのだが、その後も地元のために貢献し続けた伝右衛門、そのフィルムも鑑賞することができた。
伝右衛門の死後には売却され、取り壊しも検討された中で地元民の強い保存運動から飯塚市が譲渡を受け、一般公開されている。庭から見る建物も立派で保存を求めた人々の気持ちがわかる気がした。

この後、台風20号の影響を怖れながらも定刻より少し遅れた程度で東京にたどり着いた。ほぼ雨にも降られることなく、数々の知らない場所を見ることができた旅、でも暑かった!

九州鉄道記念館と門司港レトロ〜夏旅行(9)

2018-09-08 05:00:59 | 旅行

夏旅行第9弾。本州を離れて九州に向かう。ルートは橋とトンネルがあるが、橋は250円に対しトンネルは150円。ただ、ETCの通勤割引ならば橋も150円と均衡を保っている。カーナビどおり走るとトンネル経由となっているのでこれに従い走ると門司港駅近くに出る。

まず、駐車場に車を停めて向かったのが、九州鉄道記念館。入口左側には銀色のEF30、赤色のED76、それに481系特急の運転台部分が並んで停車している。これらの運転台には乗り込むこともできる。


車両の展示は9600系蒸気機関車、C59蒸気機関車、EF10電気機関車、キハ07気動車、特急にちりん(481系)、特急月光(581系)、14系客車(特急さくら)と並んでいる。


本館は左側の旧九州鉄道本社の建物を利用していて、乗るとすぐに明治時代の客車があり、右手には広々としたジオラマ、二階には鉄道写真の展示や懐かしい鉄道関連(特殊弁当、記念切符、サボ、タブレット、ヘッドマークなど)がたくさん飾られている。


どれを取っても興味深く、また懐かしい。これらをゆっくり時間をかけて見る。夏休みのため子供だらけだったが、ジオラマが動いていたタイミングのため、あますことなく見ることが出来た。

次は門司港駅を目指す。初めて降りたのが大学2年の頃だから40年も昔だが、外観は変わっていない。


奥にはかつて関門連絡船が出ていた頃の地下通路の遺構も残っている。現在改修の最中だが、完成後はさぞや立派になって戻ってくるのだろう。

いわゆる門司港レトロの建物を見て回る。駅前にあるのが旧門司三井倶楽部、裏にあるのが旧大阪商船。その前は船溜りとなっていてロバートの秋山氏のお父さんがやっているハンバーグ店『海賊船ファンキータイガー』が係留されていたが、修理中のため、中に入れなかった。船の老朽化のため、もうすぐ姿を消すらしい。

国際友好記念図書館、旧門司税関が向かいあっていて立ち、その先には31階建の門司港レトロ展望室がある。登ると下関の火の山公園展望台と対になるような風景を楽しむことができる。船溜り周辺は一面がウッドデッキとなっていてゆっくり散歩することができる。ただ、この時期、暑すぎて歩いているとかなりくたびれる。そんな時は有料ではあるが、展望室に登り、冷房の効いた部屋でお茶を飲みながら周りを観るのが一番である。

また、九州鉄道記念館〜めかり公園を結ぶトロッコ列車や北九州の路面電車も見ることができた。


下関市街を歩く〜夏旅行(8)

2018-09-07 05:00:23 | 旅行

夏旅行第8弾、西長門リゾートを出発して国道191号沿いの福徳稲荷神社を目指す。響灘に面した神社であるが、皆が五穀豊穣、商売繁盛、豊漁、航海安全などを祈願して奉納した鳥居が千本以上、その姿は圧巻。


まずは本殿にお参りしたあと3つの社をめぐるように立つ鳥居の数を数えながら歩く。ナンバーリングされており、確かに千本鳥居を確認できた。

その後は国道を走り、1時間ほどかけて下関市街に。車はカモンワーフという港沿いのレストランの集結したビルに停める。早めのランチと思ったが、流石に海鮮丼や刺身定食には食指が動かず、中華料理を頂く。

その後、唐戸市場を見に行くが、昼にやっている店もまばらですぐ終了。ただ、トラフグの薄造りの安さには驚いた。


そこから歩いて赤間神宮にお参りに行く。この神社は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、入水した安徳天皇の御霊を祀る。竜宮城のような朱塗りの水天門から中に入り、社殿にお参りをする。

その隣には耳なし芳一を祀る芳一堂や平氏一門の御霊を祀る七盛塚などもあり、荘厳な感じが漂う。ただ、安徳天皇陵は鍵が掛かっていて入ることはできない。

その先の細い道を辿るとふぐ料理の老舗春帆楼の前に出る。何しろ料亭の名前の前に『史蹟』と入っているくらい。伊藤博文が毒のあるふぐの料理を解禁したから今我々もふぐを食べることが出来るようになったのである。

この料亭は日清戦争の講和会議を下関で行なった際の会場となったもので隣には当時の様子を説明する日清講和記念館がある。無料で入ることができ当時の日本代表の伊藤博文や陸奥宗光、清代表の李鴻章が座って会議する様子が再現されていて興味深い。

駐車場まで戻り、関門海峡が見渡せる火の山公園に向かう。小高い山で頂上まで無料自動車道があり、簡単に登れる。


山頂にはテレビ塔のほか、砲台跡などがある。ちょうど関門橋の横に位置するため、壇ノ浦から巌流島、彦島まで見渡すことができる。この山に立つと九州までの距離の近さに驚く。ライトアップした姿もかなりいいらしい。


海南鶏飯〜水道橋ランチグルメ

2018-09-06 05:00:51 | グルメ

『海南鶏飯』と書いて『シンガポール チキンライス』と読ませる。水道橋から神保町に向かって歩いていたら吉野家の2階にこの文字を見つけた。普段は西荻窪の『夢飯(ムーハン)』でよく食べるのだが、食べたくなって2階に上がった。

11時45分なので結構広い店内は2人くらいしか先客はいない。この辺りは日大を始め、村田簿記など学校、出版社などが多く、ランチは激戦区で以前は古本屋や研数学館という予備校があったのだが、いつのまにか食堂やレストランが並んでいる。

注文はシンガポールチキンライス(900円)、鶏肉は蒸したものか揚げたものかと聞かれ、揚げた方を選択する。ランチタイムだからなのか、すぐに運ばれてくる。

トレイの上には揚げたチキンとキュウリ・トマトのスライス、3種類のソース(シンガポール風醤油、チリソース、生姜とネギが混ぜたもの)、味のついたライス、スープである。

この店のはライスが茶碗に入っている。このソースとチキン、ライスを組み合わせながら食べる。醤油は濃いめねたまりのような味でまずはチキンに付けてライスに乗せて食べるが、パリパリに揚げてあり食感がいい。チリソースは甘みが少なく、酢がよく効いていて結構辛いがキュウリに付けてライスと頂く。こうして『鶏+醤油+生姜+ライス』『キュウリ+チリソース+ライス』といった色々な組み合わせを楽しみながら食べるのが楽しい。

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スープはキャベツが少し入った黒胡椒が効いたもので合間に食べる。ライスはニンニクとショウガが微かに香るジャスミンのような香りがする。お茶も冷えたジャスミン茶で良くあっている。

そのうちお客さんが入ってくるが8割は女性。カレーやヌードル、ラクスなどメニューも多く、また、チキンライスも蒸し鶏と揚げ鶏が半々にするメニューもある。揚げたチキンだが、ジャスミンのおかげか、さっぱりいただけるのが女性に人気がある所以か。

もう、店ができて12年経っていて、すっかり根をおろしているようだ。ご馳走さまでした。

海南鶏飯 水道橋本店
千代田区神田錦町2ー1ー1
05055714641

元乃隅稲成神社と角島〜夏旅行(7)

2018-09-05 05:00:31 | 旅行

夏旅行第7弾。仙崎の街を後に今回の旅行の目玉、というかフォトジェニックな場所に向かう。幸い天候にも恵まれている。まずは元乃隅稲成神社に向かうのだが、道がわかりにくい。というのも昔からの観光スポットでないため、カーナビがあまり正しくない。


まず、行き先に打ち込んでも反応しないのである。途中の指示板が沢山あって、迷うことはないのだが、流石に海に近づくと道が狭くなる。すると急に前が開け、整備された駐車場が出てくる。
神社はその目の前、海が近いからか風がとにかく強い。

この神社は1955年に津和野市にある太皷谷稲成神社から分霊されたもの。鳥居の上部に賽銭箱があって子供達が鳥居の前で小銭を投げ合っているが、10円玉に当たりそうになる。キツネのついた可愛らしい御朱印をもらい、海に続く沢山の鳥居をくぐる。神社にあまり若い人の姿を見ることはないが、ここは別。子供連れやカップルで混み合っている。確かに海に向かって123基の赤い鳥居をくぐるのだが、中に入るより周りで写真を撮る方が良いポイント。


海に近づくと竜宮の潮吹というダイナミックな自然現象を見ることができる場所があるが、波が静かで全く見ることは出来なかった。

次いで角島(つのしま)を目指す。角島は山口県北西部にある島であるが2000年に本州との間に角島大橋が架けられて車で行けるようになった(無料)。橋はコバルトブルーの海の中を割って入っていく。

ゆっくりドライブすると海の底がよく見えるらしく、海の色が度々変わるのがよくわかる。とにかく、この橋こそまさに絶景ポイントである。天候も快晴で南の島に来たような気分。


橋を渡って先端にある角島灯台まで走る。総御影石造りのフォルムが美しい灯台は登ってみるが、360度の展望も素晴らしい。隣の記念館に入るとお雇い外国人であったリチャード・H・ブラントンにより1876年に作られたこの灯台のことがよくわかる。

この日は西長門リゾートに宿泊、とにかく海水浴、ジェットスキー、プールなどマリンレジャーが全てできるため子供連れに大人気。部屋に入っても目の前に角島大橋が全て見えるビューは素晴らしい。

夕食も夕日が落ちて行くのを見ながら取ることが出来、食べ物も美味かったが、さらにこの日本海に落ちる夕日が贅沢な気分にさせてくれた。

仙崎を歩く〜夏旅行(6)

2018-09-04 05:00:35 | 旅行

夏旅行第6弾。翌日は山口市のザビエル記念教会を見てから高速道路などを乗り継ぎ美祢市に。

途中、道の駅『おふく』を経由するが、名前と異なりモダンな道の駅にびっくり、温泉も併設されている。


今日は日本海側の仙崎に向かう。青海島は有名だったが、最近は金子みすゞで一躍注目され、さらに最近は2017年10月オープンの『センザキッチン』ていう道の駅で流入客が大幅に増加している。まずはセンザキッチンに車を停めて、建物内に入るが、仙崎という小さな漁港とは思えない規模で鮮魚や野菜だけではなく、小物を売る店やレストランも充実。ただ、連日の和食、しかも魚ばかりたべているため、あまり食指は動かず屋台のイカ焼きそばにするが、ソースの香りが新鮮で美味い。

仙崎の街中に向かう。中心を通る道がみすゞロードと名付けられているが、昼時暑いからか殆ど人はいない。ただ、どの家にも金子みすゞの詩が玄関先に飾ってあるのが印象的。

5分ほど歩くと金子みすゞの実家であった『金子文英堂』の跡地に建てられた記念館に到着。館内にはみすゞの住居が復元され、本館には仙崎の昭和10年頃の写真、そこには人が溢れていて子供が沢山いる。

展示室には彼女の短い生涯、生い立ち、環境などが細かく記されているが、金子みすゞの生き様のなかで心優しさ、奥ゆかしさ、儚さが伝わってくる。


特に彼女の詩を一編ずつ手書きで書かれたコーナーで一つ一つの詩を読むと思わず涙腺が緩んで来そうになる。その感受性には驚くしかない。『わたしと小鳥とすずと』『大漁』『こだまでしょうか』など子供でもわかるフレーズがなぜはっとさせるのか、改めて感じた。

みすゞロードを戻り、八坂神社を抜けていく。どこにでもある海辺の神社ではあるが、この辺りを金子みすゞが歩いたのかなあと思いながらモダンなセンザキッチンの駐車場に戻った。ただ、振り向いたら『あべさんの笑顔』、そうか彼の選挙区だったんだ。これには感動しないのは何故だろうか。たぶん、笑顔が胡散臭いからだろう。

あづま軒〜人形町ランチグルメ

2018-09-03 05:00:02 | グルメ

庶民派中華、いわゆる町の中華料理店が人気である。人形町界隈にもいくつかあるが、今回は昭和23年創業の『あづま軒』にお邪魔した。創業から70年になるが、改装をされているので店は至ってモダン。11時半からランチが開始するのに40分に行くともう1階は満席、2階も結構人がいる。

お願いしたのは『ラーメンセット』(800円)だが、この店にはラーメン定食もある。ラーメン定食はラーメン+ご飯+漬物+冷奴で750円、これに対してラーメンセットはラーメン+ミニチャーシュー丼+漬物、よく検討してセットにする。周りを見るとほとんど誰も食べていない。おじさんがビールを飲んでいるだけ。

ところが5分くらいすると1テーブル毎に料理は到着、結果、10分待たずに無事ランチがやってきた。

ラーメンはともかく、チャーシュー丼は6枚もチャーシューが乗っていてかなりお得感がある。

まずはラーメンから、いわゆる東京ラーメン、スープは懐かしいしょうゆ味。麺はストレートの中太で、長浜ラーメンを少し太くした感じ。コシがあるように茹でられ、喉越しもいい。また、メンマが太くて美味い。

ミニチャーシュー丼は上から甘だれがかかっていて柔らかいチャーシューがご飯の熱で温まり、すごく美味い。先にラーメンを食べ、スープを啜って丼を食べる。普通だけど大変美味いランチとなりました。チャーハンや餃子も美味そう、夜しかないが焼売が名物のようである。ご馳走さまでした。

あづま軒
中央区日本橋人形町2ー3ー8
0336661984

山口 瑠璃光寺〜夏旅行(5)

2018-09-02 05:00:42 | 旅行

夏旅行第5弾、萩を後にして萩往還を通り山口市を目指す。途中の道の駅『萩往還』にはちょっとした博物館があり、なかなか面白い。朝から防府市、萩市と回り、山口市に到着したのが午後4時前。殆ど晴れていたのだが、瑠璃光寺を前に空には黒い雲、小雨が降り始める。

瑠璃光寺は毛利氏の前の室町時代にこの地を繁栄させた大内氏の菩提寺である。正確には3つの寺が関わっている。元々は大内義弘の配下であった陶広房が戦死した際に夫人がその菩提を弔うため建てた安養寺があった。しかし、手狭であったため新たに瑠璃光寺を建立、安養寺を廃して新たな寺に寺領を寄進する。現在の瑠璃光寺がある場所には大内氏の菩提寺である香積寺があったが、大内義弘が戦死したため、弟の盛見が五重塔を建設する。しかし、跡を継いだ毛利家が香積寺を萩市に引寺したため、この地に瑠璃光寺が移されたという複雑な経緯がある。

現在は香山公園となっていて、車を停め、中に入ると右手に国宝の五重塔が見える。1442年に建立されたものだが、醍醐寺(京都府)、法隆寺(奈良県)とともに日本三大名塔と呼ばれる。高さが31mで屋根は檜皮葺、二層にのみ回縁があるのが特徴。その美しい姿は桜の時期が最高らしい。それにしても500年以上の長きにわたり、木造の塔が雷や火事、台風などにもめげずに残っているのはいかに周囲の人が大切にして来たのかを改めて思い知らされた。


少し歩くと本堂がある。薬師如来がご本尊であり、本堂内は豪華な作りであった。また、その前にボケ封じの地蔵があるが、病気とボケに効くと言われて参らない中高年はいない。

さらに右手の禅堂には大きな数珠が縦に吊るされていてちょうど8個落とせば願いが叶うと言われて、やって見たがなかなか難しい。

その日は山口市近くの湯田温泉泊まり。温泉も活きイカも最高であった。因みにこの湯はキツネが見つけたので湯田温泉駅にはキツネの大きな像があります。

萩 東光寺と松陰神社〜夏旅行(4)

2018-09-01 05:00:44 | 旅行

夏旅行第4弾、防府市内の観光を終えて山口市に向かうが、まだまだ時間もあるので約60km先の萩市まで足を延ばすこととする。萩市は長州藩の中心ではあるが、これは関ヶ原の戦いで毛利輝元が破れ、従来の所領が長門・周防国の2つとなった際に徳川家康から山口市から萩市に中心を移すことが命じられたからである。

今回はその毛利家の菩提寺の一つである東光寺を訪れた。東光寺は毛利家3代吉就が造らせた黄檗宗の寺院である。(形式的には寺が新しく作ることができなかったため、下関にあった寺院を移築したことになっている。)黄檗宗は江戸時代に中国僧の隠元が日本に伝えたのであるが、隠元の高弟木庵の弟子である慧極は萩出身で、この慧極に吉就が帰依したことによる。


寺は立派な朱塗りの門があり、入口で入山料を払う。三門も大きく、階段があり、中に上がることができる仕組み、もちろん今は公開していないが。その先には右手に鐘楼、正面には大雄宝殿が立っているが、いずれも堂々たる建物であり、また、日本様式の寺とは少し異なる。


寺の裏手には毛利家廟所があり、3、5、7、9、11代の藩主と夫人の墓計10基、さらに近親者などの墓もある。周りに500近い石灯籠が並んでいるが、これは封建時代には当たり前に行われていた殉死を藩の力が弱くなるとして禁じた毛利家が重臣たちに自ら死ぬ代わりに献上させた石灯籠である。


なお、偶数代の藩主の墓は萩市の大照院にある。また、藩主の墓の前に石で作られた亀の上に石碑が載せられているものがあるが、これは黄檗宗の寺の特徴、『亀趺(きふ)』と言われ、故人の遺徳を称え、生涯の功績を碑文に刻んだものである。よく見ると亀の顔が色々とあるのが面白い。

参拝を終えて寺の前にある東光窯の陶器を売っている店に入る。全て手作りとのこと、せっかくだからと記念に青の片口を一つ求める。

私は以前に萩は来たことがあるので萩の観光は簡単にとは思ったが、やはり松陰先生の手を合わせないわけにはいかず、松陰神社に向かう。神社に参拝した後、松下村塾や蟄居した家なども見て回り、また山口市に向かった。