hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

二子玉川付近の坂道④

2021-06-10 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その139。とうかん坂を降りて大蔵通りを左に行くと静嘉堂文庫が現れる。

現在は美術館は臨時休館中だが、中に入ると道がまっすぐ続く。緩い坂になってその頂上あたりに岩崎弥之助・小弥太が収集した美術品を納める静嘉堂美術館が現れる。大正13年に作られたイギリス風の瀟洒な建物である。昨年9月に中にも入ったが眺めもいい。

(前回往訪時の写メ)

しかし、この秋には都心に移転してしまうため、もう中には入ることも難しくなってしまうようである。



入口まで戻り、目の前の坂道を上る。この坂が『馬坂』で同じ名前の坂をつい先日府中市でも歩いた。中央で折れる坂であるが、折れたところに石の標識がある。



名前の由来は元々あった坂道が急勾配で人は歩けたが、馬は通れなかったため、傾斜の緩やかな坂を新たに作り、馬でも通れる坂道となったことから名前が馬坂となったらしい。

馬坂を降りて大蔵通りを歩く。しばらくして『やのはし』というバス停があるのでこれを右に入ると右側に崖があらわれる。この崖に沿って歩くと右に登っていく急坂が現れるが、これが『無名坂』である。



この坂は最初の上り始めの部分は平均斜度6度と右側が階段になっているほどきつい。しかし、その先は緩やかとなり、住宅地となる。坂道の頂上、左側に仲代達矢氏の主宰する無名塾があるが、これが『無名坂』の由来となった。入口にまだ季節前のひまわりの花が咲いているのが印象的である。



この建物には『若きもの、名もなきものがただひたすらに駆け上る。ここに青春ありき、人呼んで無名坂』という仲代達矢氏の自筆のレリーフが収められているのである。

この辺りの国分寺崖線に沿った坂道はいずれも急坂であり、私のような老人には厳しい。

二子玉川周辺の坂道③

2021-06-09 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その138。二子玉川付近の坂道を歩く。実は以前に渋谷に向かい右側の坂道は歩いたので今回はその3回目、渋谷に向かい左側の坂道を歩く。

東急田園都市線二子玉川駅を出て、玉川通りを渋谷方面に歩く。この辺りは商業施設が充実しており、人通りが多い。広い道はあまり好きではないのだが、しばらく行くと高架道の下に二子橋の旧橋の親柱が置かれている。



二子橋は1925年に作られた鉄道道路併用橋で1939年に鉄道専用橋ができるまでは電車と車が並行して走っていた。この親柱は大正時代のものである。

少し上り坂になり、左に階段が出てくるがこれを降りると丸子川(次太夫堀)が流れている。これに沿ってしばらく歩く。次の橋が次太夫橋、ここに川の成り立ちが書いた説明板が置かれている。



この橋の上を通るのが昔の大山道だが、これを右に曲がる。次の角を右に曲がると玉川大師、木が茂った中に建物がある。



少し戻ると右側に坂道が出てくるが、これが『慈眼寺坂』。その名前の通り、坂を上ると慈眼寺に至る。手前には玉川寺もある。



一旦、丸子川に戻り、右に曲がる。この辺りは大きなマンションや老健施設が並んで建っているが道路はとにかく狭い。しかし、対面通行のため、歩行者や自転車も通りにくい。



次の橋が下山橋、これを渡り、緩い坂を上って行くと道が左右に分かれる。これを右に行くのが大倉通り、岡本静嘉堂緑地と世田谷区有形文化財旧小坂家住宅の敷地となっている。



その横に山に上がって行く階段坂がある。これが『とうかん坂』である。この坂道の由来は調べたが分からなかった。(以下、次回)







電光石火〜東京駅ランチグルメ

2021-06-08 05:00:00 | グルメ
緊急事態宣言自体はやむを得ないと思うが、そのおかげで店がやっているのかが分からないケースがある。東京駅地下の東京駅一番街には孫たちが好きなキャラクターショップや諸国名物の物産を売る店、地方の名物を食べさせる店などが軒を連ねている。昼休みに近くを通ったので『すみっこぐらし』の玩具を買おうと前まで行くと閉まっている。ミッキーやクレヨンしんちゃん、チコちゃんの店は開いているのに。次にきしめんを買いに諸国物産の店に行くとこちらは開いている。

向こうも都合があるかも知れないが、行ってやっていないとガッカリ。昼になったので飲食店はというと鹿児島のトンカツ、博多の明太子、函館の立ち食い寿司はやっているが、富山の白エビや横浜崎陽軒はお休み。その中で広島のお好み焼きの『電光石火』はやっている。まだ、席も空いているので入店する。

予め自販機で食券を買うのだが、豚玉・イカ玉などの種類はなく、『電光石火』『夢』『キングオブルーキー』『人に優しく』などどんなお好み焼きかはわからない。やむなく一番人気の『電光石火』(1250円)にした。

アクリルで囲われたカウンターに座るが、流石にお好み焼き、待っている人が多い。名前が『電光石火』だから早いかなと淡い期待をするが、出てきたのは15分後、まあやむなしである。

出てきたのはこんもり山のようになったうす焼き卵焼きに青ネギがたっぷりと掛けてある。手前から崩すが、一口目は卵焼きのみ、でも味はいい。



つづいて山を崩すとたっぷりのもやしとキャベツ、時々豚バラ。甘めのおたふくソースが優しく、美味い。すると緑の葉っぱが大量に出てきたが、紫蘇の葉の刻んだもの。これだけたっぷりあるのは珍しいが、さっぱりさせてくれる。
周囲を見渡すとやはり混み始めてきた。店が少ないから余計だが、ラーメンの某名店など長蛇の列。店員は若い人ばかりだが、店内の片付けをしながら大声で客引きをしている。



元気があっていいと、普段なら気にならないが、目の前に『大声を出さない』というプレートがある。矛盾だらけと思いながら店を後にした。ご馳走さまでした。
電光石火東京店
東京駅地下 東京駅一番街B1
05054575818

『品』について考える

2021-06-07 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その30。今回は『品』という字について考えてみる。品の字は『もの』という意味以外にも日常でよく使う。特に『品がない』『上品な人』『品格』『品位』と使う場合である。
実はこの『品』の起源は中国の人を評価したり、官吏を登用する際に使っていたもので例えば『上品』であるとこれを3つに分けて『上上品』『上中品』『上下品』としたもので『三々九品』と読んだ。

(浄瑠璃寺)

この手法を仏教の経典を翻訳する際に当てたもので中国の階位と同じように『上品』『中品』『下品』とし、『しな』ではなく『ほん』と読む。さらにらそれぞれに『上生』『中生』『下生』があり、例えば『上品下生』『中品上生』のように9通りの往生の仕方があるとした。

『観無量寿経』には極楽に往生を願う人の性質や行いによって九種に分けられた往生人の階位がある。その違いはあれどこそ、極楽に行くのは同じと教えている。

例えば『下品下生』は十悪罪を犯し、当然地獄に落ちるような悪業を重ねたものであるが、幸にして教えを受け、南無阿弥陀仏を唱えて十念を具足した人であり、八十億劫の生死の罪が消え、金蓮華を見て往生する。さらに十二大劫を経て蓮華を開き、観音・勢至より教えを聞いて菩薩心を起こすとちゃんと極楽に行くことができるのである。

極楽からどのようにお迎えが来るのかを9通りに分けて図にしたものが宇治平等院に残されており、その違いを見るのも面白い。
また、九品寺には九躰の阿弥陀仏が収められていてそれぞれに印相が異なるのである。まあ、どんなに考えても私など『中の中』、これもたぶん仏教から来ているのだろう。『下の下』と言われないようにしたい。

恵比寿餃子大豊記〜恵比寿ランチグルメ

2021-06-06 05:00:00 | グルメ
恵比寿周辺をランチの店を探して歩いていると『恵比寿餃子』という看板を発見した。宇都宮餃子や浜松餃子、亀戸餃子などは聞いたことがあったが、初見のため、思わず入店してしまう。

店の名前は『大豊記』、大豊と聞くとついつい昔阪神タイガースに在籍したスラッガーを思い出してしまうが、彼も確か台湾出身であった。



メニューを見ると餃子セット(950円)、Aセット(五目炒飯+油琳鶏・1000円)、Bセット(四川麻婆豆腐かけご飯+油琳鶏・1000円)、Cセット(坦々麺+五目炒飯・1000円)の4択である。最初は餃子と思ったが、坦々麺の魅力に負け、餃子は次回とした。

その後、2組6人入店するが、誰も餃子は頼まず、坦々麺が一番人気。楽しみである。意外に時間がかかり、10分ほど待たされ、ランチ到着。坦々麺、炒飯、小鉢(メニューの写真のサラダはない)、焼売がトレイに乗せられている。

まずは炒飯を一口、オーソドクスな五目炒飯だが、具材も同じ大きさになるよう、細かくカットされ、さらに出来立ての上、味もいい。



次に坦々麺に取り掛かるがスープが美味い。かなり辛いが山椒と唐辛子の辛味が合わさっていて後を引く味。麺も細麺の縮れ麺でスープとの相性もいい。また、そぼろも味がしっかりつけられていた。




小鉢は牛蒡とこんにゃくの煮物、唐突感はあるが、それなり。焼売は割に美味かった。メニューには酒の種類も色々あるが、コロナ禍の中の時短営業。厨房は2人、フロアは1人の体制で感染対策も十分行われていた。ご馳走さまでした。




恵比寿餃子 大豊記
渋谷区東3ー25ー3
05055890359

大岡山駅付近の坂道②

2021-06-05 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その137。鉄飛坂を降りてそのまま行くと左側に中根小学校、この辺りから今度は緩やかな上り坂になる。

この上り坂が『寺郷の坂(てらごうのさか)』である。寺郷はこの辺りの古い地名(衾村寺郷)でそれが坂の名前となった。



江戸時代初期、九品仏浄真寺への参拝する人々で賑わった道沿いに4軒の水茶屋があった。

坂の途中には名主である岡田家の屋敷があったことから一帯は岡田の森と言われ、すぐ下には呑川の水車が回る景勝地であった。今も残る長屋門と付近の森は当時を偲ばせている。



坂を通り過ぎ、右に曲がると石垣に囲まれた中根公園がある。この角から左右に伸びる坂道が『兵庫坂(ひょっこうさか)』である。由来は諸説あるが、中根公園は元来岡田家所有の土地であり、その北側に兵器庫があったことからこのように呼ばれるようになったと考えられている。



兵庫坂を上り、突き当たりを左の方に行く。この辺りには大きなお屋敷が多く、規模のみでなく、斬新なデザインにも驚かされる。

道を行くとずっと先まで下り坂となっていることがよくわかる。2つ目の信号の先が『旭坂』、この辺りは戦前から海軍関係者の多い住宅地であり、その頃つけられま名前のようだ。

隣の坂道が『ちどり坂』、この坂の名前の由来はよくわからない。大正末期から昭和にかけて開発された分譲地であり、日当たりがよく、見晴らしもよいので人気があったのであろう。



坂道の登り降りで少しくたびれたので休んで前の家を見ると手入れが行き届いた立派な庭木がある。しかし、よく見ると幹がコンクリートと一体化しているのである。縄で巻かれてはいるが、コンクリートに木の幹が食い込み、不思議な様子であった。



1本道を隔てて次の道が『稲荷坂』、この坂は江戸時代に名主だけが許されていた稲荷神社をもつ家が坂の途中にあったことからその名前がついた。



この坂道を降り、そのまままっすぐ歩くと東急大井町線緑ヶ丘駅まで行くことができる。

初物をいただく〜冷やしたぬきと冷やし中華

2021-06-04 05:00:00 | グルメ
いつものように近くの蕎麦屋に行ってあんまり暑いので『冷やしたぬき蕎麦』と言ったら、店の人に『まだ、やっていないんだよ。』とすまなそうにいわれ、ざるそばを食べる。さすがに昼飯にこれだけでは腹が減る。この経験を生かして2日後は今年初ものの『冷やしたぬきそば』を食べに『高松』に向かう。

ここもよく行く店だが、今年初めての冷やしたぬきそば、お姉さんに言うとすぐに調理場に通してくれる。確かに立食い蕎麦の小諸そばや富士そばには年中冷やしたぬきそばはあるメニューだが、普通の蕎麦屋は暑くならないとないのである。


『高松』の冷やしたぬき蕎麦は確かに冷たい。容器も冷やしてあり、ツユも冷蔵庫から出した冷たさ、蕎麦もまだ水道水が冷たいからかも知れないが、よく冷えている。上に乗っている小松菜と揚げ玉だけは常温、ワサビを溶いて一口食べるが、これは冷たい。

さっきまで暑かったため、始めは美味いが、だんだん寒くなってくる。蕎麦もキリッと締められていて喉越しもいい。ただ、まだ外気は25℃、少し早い気はした。というのも最後に蕎麦湯を飲みほっとしたからである。

少し雨の日が続き、冷たい物が食べたいという気分ではなかったが、梅雨入りが近づき、暑くなってくると中華料理店の『冷やし中華』という紙が目に入る。

 今日は『冷やし中華』の初ものを食べに菊水軒という町中華にお邪魔する。この店で最も高いメニューが天津丼とカツカレーの950円、これに対して冷やし中華は850円、ラーメン+ミニチャーハンが800円だからやはり高く、コスパは悪い。などと言わずに冷やし中華をオーダー。


店のおじさんは丁寧に冷やし中華を作り、7分ほどで到着。ザ・冷やし中華という彩り、錦糸卵、わかめ、メンマ、チャーシュー、キュウリ、ナルト、さらに紅生姜。色どりも黄色、緑色、黄土色、茶色、黄緑色、ピンクと白、赤色と8色も使っている。

辛子を溶かして麺から行くが縮れ麺に酸っぱいタレがよく絡む。タレも麺もよく冷やされていて涼感が漂う。麺の量もそこそこあり、何より嬉しいのはタレの量。これをケチっていないのが嬉しい。

まだ、6月に入ったばかりでやや早すぎるのかも知れないが、『はしり』の物を食べるのは季節感先取りで気分がいい。ご馳走さまでした。



高松  中央区日本橋堀留町1ー4ー16
0336611484
菊水軒 中央区日本橋人形町1ー10ー1
0336663766

大岡山駅周辺の坂道①

2021-06-03 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その136。今回は東急大井町線大岡山駅で降りて高級住宅地にある坂道を歩く。大岡山駅は旗の台駅と自由が丘駅の真ん中あたりにある東京工業大学の最寄り駅である。駅前は整備されていて南北に道が伸びているが、今回は北口で降りる。



駅前から大岡山北口商店街が伸びている。3つ目の眼科医院を左に曲がるとすぐに商店街は切れ、住宅街に。坂は少し歩くと下り坂が現れる。



始めは大したことはないと思っていたが、急で長い坂『鶯坂』である。この通りは切り通しであり、ウグイスの声が聞こえてきた事からこの名前となった。坂のほぼ中間地点に石標と木製の標識がある。

坂を下り切ると道が細くなるが、左側に区立第十一中学のグラウンド、さらにその先は車の通れない呑川(のみかわ)緑道となっている。



呑川緑道は世田谷区深沢〜目黒区大岡山・緑ヶ丘駅南側は暗渠となっていて、その上部は緑道として整備されている。この辺りは比較的丈の低い桜の木が並んでおり、春は多分綺麗なのであろう。

緑道に沿ってしばらく歩き、消防署を左に曲がると『シェア畑』というサポート付き貸し農園、よく見ると唐辛子やトマトの苗が植え付けてあった。



次の道を右に曲がると上り坂、『鉄飛坂(てっぴさか)』という長くて急な坂道である。ヒイヒイ言いながら坂道を上り切ると古いお堂がある。



お堂の中には3基の庚申塔(鉄飛坂庚申塔群)などがあると説明板に書かれていた。鉄飛坂の由来はてっぺんから来たと言われている。



ただ、異説として①テッピョースというポルトガル人が住んでいた、②鉄砲鍛冶が住んでいたとも言われている。(以下次回)

たいめいけん〜日本橋グルメ

2021-06-02 05:00:00 | グルメ
どうも今年は季節が少し早くなっているようで5月中旬あたりから梅雨のように雨の日が続く。別に雨が特に嫌いな訳ではないが、プロ野球が中止となると楽しみがなくなってしまう。

今日はまさにそんな1日。甲子園の試合が昼には早々と中止が決まり、東京も雨模様。それならば夕食はゆっくり取れると4月29日にオープンした『たいめいけん』の仮店舗にお邪魔した。

この場所は『豊年満腹』というレストランの跡地、仮店舗とはいえ、2階建ての立派な建物である。元の店同様1階はカジュアルなレストラン、中に入ると日本橋川沿いで風景もよく、テラス席も併設されている。

メニューは名物のオムライスをはじめ、カレー、シチュー、フライなどの洋食メニューに加えてラーメンも多種揃っている。今回は『ミックスフライ定食』に『ボルシチ』をつけるが、合わせても1850円である。

まずは50円のボルシチ、ニンジン、ジャガイモ、タマネギがサイコロ状に切られていてビーツで色をつけたスープ。小さめのココットだが、飲むと意外に量がある。味ももちろん美味しい。


続いてミックスフライ、中身はエビ2尾、ホタテ2個、イカ1本が盛り付けられ、コールスロー、ポテトサラダ、ケチャップで味がつけられたスパゲティ、レモンがつけられている。自家製マヨネーズが付いており、ホタテから頂くが、マヨネーズ旨し。イカは3等分してソースで頂くが、このイカが柔らかい。ライスは少なめであり、バランスをとりながら食べる。エビにはマヨネーズを付けて食べるが、かなり旨い。

もちろん尻尾まで美味しく頂く。特筆すべきはコールスロー、フレンチドレッシングの味が酸味がうまく抑えられていて日本人好みに仕上がっている。




これでビールがあればちょうどよいつまみになるのであるが。ご馳走さまでした。次はシチューのような煮込み系にチャレンジしてみます。

たいめいけん
中央区日本橋室町1ー8ー6
0332712520

高幡不動尊に参拝

2021-06-01 05:00:00 | 日記
『古刹を巡る』その51。関東三大不動の一つ、高幡不動尊にお参りに行く。日本人は三大〇〇が好きだが、関東三大不動は成田山新勝寺(千葉県)、雨降山大山寺(神奈川県)とこの高幡不動尊(高幡山明王院金剛寺)を指すらしい。



京王線高幡不動駅で降りるとすぐ前が参道、これも短く、すぐに寺の入口に到着する。京王線沿線にもあるが、蕎麦が名物。その縁起は色々とあり、大宝年間(701〜704年)とも、奈良時代に行基菩薩開基とも言われ、寺伝では平安初期に円仁が清和天皇の勅願により開いたことになっている。



歴史の話をすると新撰組副長土方歳三の菩提寺であり、境内には銅像がある。この銅像に迎えられ、中に入る。入口には仁王門、立派な仁王様に守られている。


すぐのところにあるのが不動堂、1335年(室町時代初期)に円仁が山中に建てたものが倒壊したため、ここに移築したもの。堂々とさており、都内最古の文化財建築物である。

階段を登ったところにあるのが奥殿(寺宝庫)である。1000年ぶりに修復を終えた丈六不動三尊像などが展示されている。もちろん、拝観料300円を支払い中に入る。

土方歳三の手紙や釈迦の誕生像などもあるが、圧巻は不動明王像、矜羯羅童子、制咜迦童子を従える2.8mの木像である。平安時代に作られたものだが、1335年に不動堂が倒壊した際に大破、修理を何回か行ってきたが、2002年にようやく修復作業が完了した。

元々の金剛寺の建物も1779年の火災で大日堂、大師堂、客殿などを失ったが、近代になり一つずつ再興してきている。この大日堂は天井に描かれた龍が描かれている。



ここまで登り、さらに聖天堂、大師堂などを見て五重塔まで戻る。6月になれば山アジサイが美しいが、まだ咲いてはいなかった。五重塔は1980年に新たに作られたもので高さが45mの立派な塔である。



入口近くの土方歳三像まで戻る。土方は1835年石田村(日野市石田)生まれで新撰組副長として鳥羽伏見の戦いなどに参加、旧幕府軍が五稜郭に入城、箱館攻防戦で流れ弾にあたり死去した。土方の菩提寺が金剛寺のため、彼の資料も寺に保管、1995年にこの銅像は地元の有志により作られたものである。



高幡不動尊(金剛寺)は不動堂を除き新たに建築されたものが多いが、規模も大きく、奥殿に祀られている不動明王像も迫力満点であった。