hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

干物○まる〜日本橋ランチグルメ

2024-02-20 05:00:00 | グルメ
今日のランチはCOREDO室町IIの地下にある『干物○まる』にお邪魔した。ランチに魚専門のお店はよくあるが、この店は干物専門店がやっているイートイン。

自分の経験からすると干物を食べる機会は割にあるが、例えば海辺の一流旅館の朝ごはんに出てくるように鯵の干物をふっくらに焼くことは難しい。

しかし、このお店は干物を売るだけでなく、焼いてお弁当にしたり、食べさせてくれるのである。ただ、以前にもお邪魔したことはあるが、丁寧に焼くためには少々時間がかかる。そのため、時間に余裕がある日に伺ったのである。

お店では中々珍しい干物も販売している。私の目を惹いたのが伊勢海老の干物、これが国産のものは4100円、海外産は3180円とかなり差がある。また、珍しいところではマグロの尾の身や鰻の干物なども扱っている。



イートインにはまだ早いため(11時半)からかまだお客さんはいない。私が入ると店の方がすぐにお茶とおしぼりを持ってきてくれた。メニューは真ホッケ、真鯖、秋刀魚、トロアジ、ムロアジ、ノドグロ(欠品中)など色々とある。この日はトロアジがサービス品だったのでこれにする(通常は税込1848円が200円引き)。



店の人は塩とワサビの入った容器、この店特製のふりかけを持ってきて、これから焼きますので少々お待ちくださいと言われた。



それから15分、お待ちかねのランチ到着。お盆には大きなトロアジの干物、ご飯、ふりかけ、醍醐(豆乳と麹の飲み物)、さらにお茶漬けセットとして梅干し、ミツバ、お出汁、ウニ出汁がついてくる。
まずはサービスのウニ出汁、ウニと言えばウニだが、言われなければシジミのような味がする。

まずは鯵の骨外し、背骨を取り去り骨についた身を頂くがこれが美味い。骨に近い身が美味いのは羊や鶏の手羽先などと同様なのである。大きな骨をはずし、まずは身から頂く。



ふっくら焼かれた身は鯵の塩焼きより身が美味いし、脂も乗っている。皮もぜいごに注意しながら美味しく頂く。半身を頂きながらご飯も進む。



半分より食べ進めたところでご飯の上に鯵の身、ミツバ、ワサビを乗せ、出汁を掛けて出汁茶漬けにする。これも秀逸、少しふりかけも振って頂くが、魚好きなら嫌いな人はいない。

気がつくと10分もかからず完食、最後にほのかに甘い醍醐を戴く。確かに1600円は安くないが、これほどにうまく焼けたアツアツの干物も久しぶり、十分満足した。ご馳走様でございました。


干物○まる
中央区日本橋室町2ー3ー1COREDO室町2B1
0362623288


都営浅草線スタンプラリー④

2024-02-19 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その226。都営浅草線スタンプラリー④。都営地下鉄浅草線日本橋駅の駅名は開業時には『江戸橋』という名前であった。1963年の開業時は東京メトロ銀座線はあったものの、東西線はまだなく、また、銀座線からの地下通路もない日本橋駅とは別個の駅であった。

1967年に東西線が開業すると東西線日本橋駅と江戸橋駅は乗換駅とはなったが、日本橋駅に改名したのは1989年とかなり後のことである。位置的には都営浅草線日本橋駅は昭和通りの地下、銀座線日本橋駅は中央通り地下、東西線はその中間にある。

都営浅草線日本橋駅はA線とB線を結ぶ構内通路がないので誤って乗った際にはいちいち駅員に話し、さらに改札外の通路を歩かなくてはならず、極めて不便である。

スタンプに描かれているのは『日本道路元標、日銀本店』といずれも駅からはかなり離れている。ただ、『江戸橋』自体はもちろん現存するが、地名としての江戸橋は1973年になくなり、今は日本橋となっており、なぜか交差点の名前にのみ残っている。



因みに銀座線日本橋駅のスタンプには『日本橋』が描かれている。

人形町駅は都営浅草線と東京メトロ日比谷線が交差している。スタンプには『人形町名物のからくり時計、下町KING人之助(人形町のマスコット)』が描かれている。

カラクリ時計は人形町通りに2ヶ所設けられていて定時(毎時00分)に中の人形が動くとともには組の木遣を聞くことができる。ただ、機械が古いためか、木遣があまりよく聞き取れないというのが真実だが。


日比谷線のスタンプも『からくり時計』である。人形町にお見えの節はぜひ見て行ってください。

東日本橋駅はJR線馬喰町駅、都営新宿線馬喰横山駅と通路で繋がっている。東日本橋駅のスタンプは『薬研堀不動尊、柳橋』、いずれも風情がある。



薬研堀は七味唐辛子の別名として使われるほど有名だが、1番メジャーなお店は浅草にある。しかし、本家薬研堀にもいまだに七味唐辛子を商う店がある。



柳橋は日本橋川が隅田川と合流する場所に架けられた緑色の可愛らしい橋でかつては周辺が花柳界で賑わった。この名残で橋にはかんざしが埋め込まれていた。

都営新宿線の馬喰横山駅のスタンプは『横山町繊維街と薬研堀不動尊』の意匠である。

JR総武線の馬喰町駅のスタンプはその名前の通り、江戸時代に多くこの辺りにいた『馬喰』つまり馬の商人が描かれている。(以下、次回)

そばよし日本橋店〜日本橋ランチグルメ

2024-02-18 05:00:00 | グルメ
立喰そばは年中食べているが、日本橋には特に有名な店がある。2012年のブラタモリ『江戸の食』で実際にタモリ氏が訪問して激賞した『そばよし』(日本橋店)、ほかにも京橋と神谷町にも店がある。この店は老舗の鰹節問屋が経営する店で昭和通り江戸橋交差点から上野方向に少し歩いた左側にある。

店はいつも混んでいる。店内も狭く、立食いなのに立つ場所がないため、タイミングを外すと出来上がった蕎麦をお盆に乗せて伸びるのを待つ間抜けなことになってしまう。券売機で食券を購入。

定番ながら『かき揚げ蕎麦』(550円)と『小ライス』(150円)とした。すぐにカウンターに食券を出して半券をもらい、席をさがす。1番カウンター寄りの席が空いたのでお冷を汲んで待つ。

いつものことだが席に着くと呼ばれる。『ネギ入れる?』とカタコトで聞かれ、『入れて』と答える。半券を渡すが、お盆の上には蕎麦、半ライス、粉カツオが乗っている。最初にこの店に来た頃はテーブルに粉カツオがあったが、悪用することがあるのか、最近はライスを頼まないと付いてこない。

七味を振って頂く。蕎麦は普通の茹で蕎麦ながらやや細めで喉越し良好。かき揚げはカリッと揚げてあり、干しエビとネギのよい香りがする。
出汁を頂くが、鰹節たっぷりの味は堪らん。これだけ出汁の美味い蕎麦屋は路面店によなかなかない。



小ライスには粉カツオを適量振って、醤油をたらっと垂らす。醤油差しもよくできていて蓋の上を押すと一滴毎に出るタイプ。早速カツオご飯を頂くがこれが美味い。

この店がこれだけ流行る大きな武器である。

見ていると人気はかき揚げ蕎麦と春菊天蕎麦と納得のラインナップである。11時20分でこの混雑ならば今後どうなるのか、それは単に列が伸びて食べることのできる人の数だけ蕎麦が食べられるのである。

ここから13時半までは大変。厨房も4人体制でお客さんを捌いていた。いつ来ても出汁の香る立食いそば、ご馳走様でした。

そばよし
中央区本町1ー1ー7
0332410884

泉岳寺駅付近の坂③

2024-02-17 05:00:00 | 創業の地
『東京の坂、日本の坂』その199。泉岳寺駅付近の坂③。三田台公園の並びにあるのが亀塚公園、名前からして古墳の匂いがする。



この土地は江戸時代は上野沼田藩の下屋敷で明治維新後は皇族である華頂宮邸があった。しかし、1924年に華頂宮が断絶、太平洋戦争で庭園も破壊され、戦後1953年に区立亀塚公園として開園した。



円墳状の盛土は古くより古墳ではないかと言われ、昭和と平成の2回に渡り調査が行われたが副葬品や埋葬施設、周溝などが発見されなかった。それゆえに古墳であったとは言えない。

ただ、実際に19段の階段を登ってみると盛り土の上には亀山碑と名付けられた石碑があり、これは1750年に当時下屋敷があった沼田藩主土岐頼熈が建立した。



これはこのあたりが更級日記の竹芝寺伝説地で塚の頂部にある酒壺のもとに出入りすることで神として崇められていた亀が石になったという土地の由来を伝えるために建立した。



ただ、私見であるが、形が野毛大塚古墳によく似ており、古代の謎が解き明かされることに期待したいところである。



再び二本榎通りを三田方向に歩く。平坦な道が下り坂となるが、この坂道が『聖坂』。

説明板によると『この通りは古代中世の通行路で商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、宿所もあったため』この名前となったとある。(以下、次回)

グラシア〜浅草橋ランチグルメ

2024-02-16 05:00:00 | グルメ
ガッツリしたものが食べたいと浅草橋駅に降り立ったのが11時35分、そこから店を探しながらスマホを頼りにお店に到着したのが11時40分頃。しかし、あまり広くない店内は満席、外には1人男性が待っていた。



こうなっては後ろに並ぶしかないと私としては珍しく飲食店の前で待つことにした。しかし、開店が11時半、まだ20分ほどしか経たず、簡単に先客が帰るとは思えない時間だが、やむを得ない。しかも日陰だから結構寒い。ようやく1人目お客さんが出てきたのは11時50分。しかし、前の人がいなくなったので日当たりの良いところで待つことができてラッキー。

12時になると急に3人が帰り、私も店内に入ることができた。

メニューは壁にかかっていてどう注文すれは良いか分からなかったが、やはり名物の四日市『とんてき』(1600円)をお願いする。同時に入店したカップルは常連のようで『かきバターソテーはいくつですか?』と尋ね、マスターは『6個だけど1個単位で増やせる』などと会話していた。また、カレールーを机に乗せている人もいたが、こちらは謎のまま。

どうもこの店の牡蠣バターも人気商品のようである。次のお客さんも注文して、『後1人前』とマスターがボソリ。
次いでまずはお冷と漬物が出された。

マスターはすぐに厚切りの豚ロースをフライパンに乗せて焼き始める。ニンニクと醤油の焦げるいい香りが立ち込める。この店では注文を受けてから一つずつ調理するようである。作るのに時間もかかり、さらにカウンター5席、テーブル4席しかないので混むのも致し方ない。

7、8分して料理が仕上がりかけると『ご飯を1番さんへ』とマスターがいう。これで私のトンテキの出来上がりがわかる。すぐにグローブのような大きなトンテキとご飯が到着する。あれ?味噌汁はとは思ったが、取り敢えず食べ始める。大きな皿にトンテキ、山盛り千切りキャベツ、ポテサラが乗っている。グローブ状の肉を切り離し、短冊状にナイフを入れてから箸で頂く。

口に入れるとカリッとした食感、次にジュワっと豚の脂が滲み出し、ソースと醤油、ニンニクなどでできた濃いめのタレの味が口に広がる。これが、実に美味い。とにかくご飯がすすむ、すすむ。

隣の席を見ると大ぶりの牡蠣が到着、いい牡蠣である。(今日のは三陸産らしい)
そういえば確か壁のメニューにキャベツ、味噌汁、ご飯はおかわりOKとあったはずと忙しそうなマスターに『味噌汁は?』というと、驚いた次の瞬間に大変恐縮して『申し訳ありません。すぐにお出しします。』と言って頭を下げてくれる。そしてフロアの女性に指示する。

マスターは小皿に牛肉の煮物を入れ、『お詫びにお召し上がり下さい』と言って出してくれた。つまむとこれが美味い。これだけでもご飯が一杯食べられてしまう。

トンテキを食べ進めるとキャベツがタレと絡まり、こちらも美味い。山のようにあったキャベツもおかわり。ただ、カロリーオーバーを気にしてご飯とおかわりはやめておいた。私はあっという間に完食、いやはや、四日市風トンテキなど聞いたこともなかったが、実に美味い。一度でファンになってしまった。

マスターも人柄がよく、帰る際には『お待たせした上に申し訳ありませんでした。また、よろしくお願いします。』ととにかく丁寧。実に美味くて気持ちいい店であった。次回は夜に予約し、酒を組み合わしながらトンテキや角煮を食べに行くことにしたい。ご馳走さまでした。
グラシア
台東区浅草橋2ー27ー5
0338658966


都営浅草線スタンプラリー③

2024-02-15 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その225。都営浅草線スタンプラリー③、今回は新橋駅からスタートする。新橋駅には都営浅草線以外にJR、東京メトロ、ゆりかもめが乗り入れている。



さすが日本最初の鉄道が開通しただけのことがあり、JR駅(汐留駅)は1973年10月に開業、地下鉄銀座線は1934年に東京地下鉄道として開通、都営浅草線は3番目に1963年12月に東銀座〜新橋が開通したことにより延伸。ちなみにゆりかもめは1995年11月に開業した。

スタンプのイラストも都営浅草線は『(駅前に停めてあるC11とガスライト)』に対して東京メトロ銀座線新橋駅では『浜離宮恩賜公園』と全く違う。

JR新橋駅はやはり『旧新橋駅の駅舎とSL2台』、まあ、こちらはあたりまえである。

東銀座駅のスタンプは『歌舞伎座、和光の時計台』が描かれている。



実際に東銀座駅の出口を出ると歌舞伎座ビルに直結していて目の前に大きな提灯が見えてくる。いつ行ってもとにかく外国人観光客で溢れかえっているのである。

一方で東京メトロ日比谷線の東銀座駅は『築地川銀座公園』、晴海通りと首都高速環状線が交差する上に作られた公園でかつてはこの辺りに万年橋がかかっており、今もその名残として交差点の名前として残されている。

宝町駅は永代通りと昭和通りの交差点の地下あたりにあり、駅から地表まで88段の階段をとことこ上らなければ(新橋方面行き出口)ならない私のような老人にはきつい駅である。



スタンプに描かれているのは『江戸歌舞伎と自動交換電話機』の二つの発祥の地である。(以下、次回)

都鳥〜京橋ランチグルメ

2024-02-14 05:00:00 | グルメ
 京橋の表通りから少し入った路地に美味い鶏料理の店が並んでいる一角がある。ちょうど11時半になったあたりでランチにすることとなった。店は手前から『伊勢廣本店』『都鳥』『栄一』となる。


名物はそれぞれ、伊勢廣本店は串に刺した焼鳥の丼と焼鳥6〜9本の定食で焼鳥3本丼で1300円とやや高め。都鳥はそぼろ丼や焼鳥丼もいいが、やはり鳥の唐揚げ定食(1500円)はボリューム満点。栄一は焼鳥丼(1300円)一択、確か以前は親子丼もあった。

伊勢廣は列ができ、栄一は写メ禁止のため悩んで今回は都鳥の唐揚げ定食に決めた。この店はは1階がカウンターで1人で来るとここ、2人以上は2階。今回は2人できたので2階、まだ空いていたので2人席に座る。(この店は混むため、4人席や6人席に座ると相席必須。しかも狭い)

おばちゃんがお茶を持ってきたらすぐに『伝統の鶏の唐揚げライス』をお願いする。何しろ限定50食のため、早い者勝ちなのである。




待つ間暇なのでキョロキョロすると勲章の賞状が真ん中に飾られ、その横に『美味んぼ』の単行本。たぶん漫画にも取り上げられたのだろう。

5、6分で唐揚げライスが到着、まずは皿に大きく広がった鶏唐揚げ、千切りキャベツ、辛子が添えてある。他に鶏スープ、ご飯、白菜漬けである。

熱いと言われながらもスープを一口、生姜が効いている。しかも鶏からもいいスープが出ていて口の中に鶏の旨みがある染み渡る。


唐揚げは大きな部分と小さな部分があるが、全てもも肉。口に入れると染みた醤油ベースの味とジュワッと出る脂、皮がカリッと揚げてあり、もうたまらん。なんといいバランスなのだろう。



唐揚げの旨さは薄い衣のためにカリカリ感が薄れず、身の部分は硬くならず、揚げ方のこだわりがすばらしい。それでいて叩いて薄くしているのか、食感は軽く楽しめる。極上味の鶏の唐揚げが食べることができる素晴らしい店。

とにかくこの唐揚げはご飯に合うようにやや濃いめの味付けがしてあり、ランチには堪らない。さらにたまには山椒を振って味変を楽しむのも面白い。

私見だが、これからも益々人気が出るのではないかと思う。ご馳走さまでした。

都鳥
中央区京橋1ー4ー10
0332451378

水天宮〜久しぶりの日本橋七福神⑧

2024-02-13 05:00:00 | 日記
『日本橋七福神を巡る』⑧、8社目は水天宮である。七福神なのに8社目というのは勘定が合わないが、これは恵比寿天を祀る神社が寳田恵比寿神社と椙森神社の2社あるから。地口で『おそれいりや(入谷)の鬼子母神、びっくりしたや(下谷)の広徳寺、そうで有馬(有馬)の水天宮』などと江戸っ子がシャレたが、なぜ有馬なのだろうか。

これは元々水天宮は1818年に久留米藩(福岡県)有馬頼徳公が港区赤羽の藩邸内に久留米水天宮の分霊を祀ったのが由来。藩邸内にあったため、一般庶民が参拝することは難しかったが、幕府の許可を得て毎月5日には一般開放をした。この辺りから『情け有馬の水天宮』と言われるようになった。



明治に入り一旦は赤坂にあった有馬家屋敷に遷座したが、1873年に有馬家中屋敷のあった今の地に移った。



今の近代的な社屋が完成したのは2016年で1階は駐車場、2階に上がると境内になっていて正面に社殿がある。社務所もビルの中にあり、新生児を連れた初節句や安産祈願に来る妊婦にも優しい構造になっていて真夏でも快適に神事を受けることができる。私自身も孫の初節句を水天宮で行ったが実にスムーズであった。

今回もコンクリートの階段を上がると左右に狛犬がいて正面の立派な社殿にお参りをする。やはり子供連れが多い。

境内には『子宝犬』の銅像、子犬を優しく見つめる母犬の像で周りに十二支が配してある。生まれ年の干支を撫でるとご利益があるらしい。

また、宝生弁財天の社もある。これはかつて有馬家上屋敷に市杵島姫神が祀られていて、代々当主が弁財天を篤く信仰していた。5日と巳の日には扉が開き、ご神像を拝むことができる。ほかにも安産子育河童像もある。



お参りを終わり、社務所に入り御朱印を頂く。しかし、その種類もお守りの数も多数あって選ぶのに困った。

これで七福神全てのお参りも終了。なかなか大変な出だしである今年も少しは良い年にしていきたいところである。


川府〜神保町ランチグルメ

2024-02-12 05:00:00 | グルメ
神保町はランチグルメの宝庫、特にカレーと中華料理は素晴らしい。ただ、学生街だったことも加わり、全体的にリーズナブルでその分店も混んでいるのが困りもの。

中華料理でも食べようと11時50分頃歩いていると餃子で有名な三幸園にはもうすでに10人くらいの列。すずらん通りを曲がるが、揚子江飯店は高いし、スヰートポーズは閉店済みだしと適当な店がない。そこで以前宴会に誘われたことのある『川府』(せんふう)を思い出し、2階へとことこ。中は混んではいるが大きな店なのですんなり入ることができた。



この店は四川料理なので麻婆豆腐が有名だが、気をつけないと辛さが半端ない。今日はサービスランチの『担々麺+3色小籠包+焼売』(1300円)をチョイスした。



周囲を見ていると担々麺が人気があるが、運ばれてきた麺を見るとたっぷりの香菜、これはしまった。

私のところにも担々麺が到着したが、細かく刻んだ香菜がたっぷり。やむなくこれを取り除く作業からスタートとなった。

(残ったのは青梗菜)

ゴマの香り高い美味いスープは思いの外辛くなく、辣油を追加して頂く。麺は細麺の縮れ麺でよく麺が絡む。肉味噌にたっぷりの豚肉が入っているが、挽肉ではなく、包丁で叩いたもの。そのため、肉肉しさも残っている。付け合わせはこんにゃくとメンマの和物、キャベツのサラダが付いてくる。



完食後、すぐに小籠包が出てこない。というのもちゃんと蒸籠で一つずつ蒸してあるのでやむを得ない。


ようやく到着した小籠包は3色、白は餡が豚肉、緑が鶏肉、黄色は豚肉+フカヒレ。熱々でレンゲに乗せて食べるが、レンゲが小さすぎてスープが垂れてしまう。

なんとか頑張って食べるが、スープを吸うと熱い。また、焼売も甘みもあって美味しかった。

デザートも杏仁豆腐が付いている。十分満足がいくランチセット、満腹になった。しかし、会計時まで知らなかったが、定食を食べると豆腐サラダ・白飯・チャーハンは食べ放題。お得がたくさんあるお店であった。ご馳走さまでした。



川府 神保町店
千代田区神田神保町1ー5ー1神田須賀ビル2階
05055705922

泉岳寺駅付近の坂②

2024-02-11 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その198、泉岳寺駅周辺の坂②。洞坂から桂坂まで戻り、坂を降りていく。第一京浜との交差点のところに高輪海岸の石垣石が展示されていた。



これは区の1995年の発掘調査で見つかったのだが、高輪海岸に沿って3段に渡り築かれていた石垣に使われた石である。



左に曲がり、バス停(高輪北町)を発見、先ほど歩いた坂を再び登るのも疲れるので魚藍坂下までバスに乗ることにする。具合よく3分でバスが到着、4つ先まで乗車。

魚藍坂下まで行き、ここから今来た坂道を登る。この長くて険しい坂が『魚藍坂』、坂の途中に魚藍観音を祀った魚藍寺があるためという。



坂道を登ると左側にはお寺が並んでいて日本における三味線の始祖とされる石村近江という人が眠る大信寺をはじめ、寳徳寺、その奥に清久寺などが続く。



朱塗りの山門があるのが魚藍寺、もちろん本尊は魚藍観世音菩薩であり、1652年に創建された古刹である。本殿にお参りするが、ほかにも薬師如来などが祀られている。



坂上が『伊皿子』交差点。さらに先に登る坂が『伊皿子坂』である。伊皿子とは面白い地名と思っていたが、坂道の案内板には『中国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝わるが、他に大仏(おさらぎ)がなまったとも言われる』と書かれていた。



この辺りの土地の旧町名は伊皿子町。1909年10月1日の報知新聞の『芝伊皿子の名の由来』の記事がネットに乗っていてその内容は『この地にあった長応寺が移転する際に明からの渡来人の墓が見つかった。

江戸初期に明からの渡来人が7人住み、人々がエビスやイビスと呼んだため、うち1人が自らを伊皿子(いびす)と名乗った。1662年に彼が亡くなり、丘の下に葬られた』さらに『伊皿子は地域の主要人物だったため、寛文年間に江戸町奉行が上高輪村の一部を伊皿子と命名した』とある。はっきりはわからないが明からの渡来人である伊皿子に因む名前なのであろう。

伊皿子の交差点を三田方向に歩く。二本榎通りと名付けられた通りをしばらくいくと右手に大きな公園が現れる。三田台公園と名付けられており、中に入ると伊皿子貝塚遺跡を記念して作られたものである。



伊皿子貝塚遺跡はNTTビル建設のため、今は壊されてしまったが、1978〜79年に詳細な発掘が行われ、その様子を公園内に展示してある。また、竪穴式住居も造られ、当時の人々の生活がわかるように模型も作られている。



通りを反対に渡り、少し行くと右に分かれる道が出て来る。下り坂がずっーと続くが、これが(三田の)『幽霊坂』である。



都内に幽霊坂はたくさんあるが、これだけ近い位置に同名の坂があるのも珍しい。
再び二本榎通りの反対側に亀塚公園が現れる。公園の中に入って行くと左側に間違いなく古墳だろうと思われる築山が見えて来る。(以下、次回)