hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

麻辣先生日本橋店〜日本橋ランチグルメ

2024-05-21 05:00:00 | グルメ
確かここは元中華料理屋店、しかも四川料理を出す店だったのだが、新たに麻婆豆腐やよだれ鶏などを出す店が居抜きで入っていた。店の名前は『麻辣先生』という。調べてみると最近店数を増やしている小チェーン店のようである。

豊洲と飯田橋に2店舗あり、日本橋が3店舗目、さらに店内には木場店のオープンのポスターが貼ってあった。気になったのが『先生』という表記ではあるが、中国では『〜さん』程度の敬称とメニューに書いてあった。

四川料理を標榜しているだけにメニューは豊富で麻婆汁なし担々麺、薬膳香辛料石焼麻婆豆腐、よだれ鶏、石焼麻婆豆腐麺など辛いメニューの他、チャーハンや鶏そはのように辛くないメニューもある。悩んだが結局デフォルトの『老四川麻婆豆腐』(980円)にした。また、辛さは7段階あるが、中辛で様子をみることに。



待つこと5分、その間にカウンターは全て埋まる。意外に女性の1人客、また慣れたもので大辛を選ぶ人が多い。トレイに乗って出されたのは麻婆豆腐、搾菜、スープ、ご飯である。

まずはスープを一口、トロッとしたワカメスープ、とにかく熱いのには要注意である。
麻婆豆腐を一口、辛いというか、痺れる『麻』の花椒(ホワジャオ)が強く感じられ、『辣』はまあまあ。机にある自家製ラー油と花椒(ミルで挽くタイプ)で調節。

たぶん、次回は大辛でもいけると思いながら頂く。もちろんライスを食べつつ頂くが、だんだん口の中の痺れが強くなって来ることを実感、台湾ラーメンと同じなのだ。ただ、辛いが、痺れるが美味いのが四川料理、また麻婆豆腐の醍醐味。



時折、スープで味を整え、搾菜を齧りながら頂く。店員もコックも皆中国人のようだが、日本人の作る中華料理とは少しスパイスが違う。もちろん辛さや痺れは本場ではこんな生やさしいものではないのであろう。食べ終えて一言で言うとあと引く味、クセになる味である。




お冷を飲み、杏仁豆腐を食べて席を立った。次はよだれ鶏にして見たい、石焼麻婆豆腐も美味そうではあるが。ご馳走さまでした。
麻辣先生日本橋店
中央区日本橋本町3ー2ー12
05055925883

都営大江戸線スタンプラリー⑫

2024-05-20 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その238。都営大江戸線線スタンプラリー⑫。次の豊島園駅に行く前に練馬駅から近い練馬区役所を訪ねる。1996年3月に竣工した地上21階建、高さ93.82mあり、文京区のシビックセンターに次ぐ高さがある。

登ると分かるが、文京区と異なり、周囲にはあまり高い建物がなく、遠くまで展望することができる。また、展望室にはゆるキャラのネリ丸が迎えてくれる。

豊島園駅までは西武豊島線と都営大江戸線が並走(もちろん、地上と地下だが)する区間となっている。



スタンプには『としまえんと庭の湯(温浴施設)』が描かれている。ただ、2020年に豊島園は一旦閉園し、昨年6月に跡地に『ワーナーブラザーズスタジオツアー東京・メイキング・オブ・ハリーポッター』が開業している。



また、付近には向山庭園や十一ヶ寺(浅草にあった田島山誓願寺の塔頭が関東大震災後に移転したもの)などがある。

練馬春日町駅は環八と豊島園通りの交差点にある駅で全くの住宅地にある。駅のスタンプには『練月山山愛染院観音寺と練馬大根』が描かれている。

いよいよ終点は光が丘駅、私は初めて降りた駅である。駅を降りると大規模商業施設である光が丘IMAに直結していて大変な賑わいのある駅である。



駅を降りて少し歩くと周囲の高層住宅に囲まれ、どちらを向いて歩いているのかがわからなくなるほど。ただ、多摩ニュータウン同様に人の導線と車の導線が立体的に分けられていて歩くにはいい。あいにくの天候であったが、四季の香公園の方に歩く。



花壇には水仙やチューリップなどが植えられていて休日には家族連れで混み合う様子が目に浮かぶ。ただ、雨が強くなってきたため、この日は再び駅に向かった。



スタンプの意匠は『光が丘公園と車両基地』である。





光が丘駅に到着後は再び大江戸線に乗車してまだ足を踏み入れていない新宿西口駅を目指した。(2024.4.4往訪。以下、次回)

うまいもの楽味〜下北沢グルメ

2024-05-19 05:00:00 | グルメ
下北沢駅を降りて2分、駅前広場ではジーンズのフリマが行われていてすごい数の若者で盛り上がっている。そんな喧騒からわずか歩いて2分ほどだが、和食の名店『楽味』にお邪魔した。

地下に降りる階段を下り、少し廊下を歩いた奥にお店はある。戸を開けると大将が『いらっしゃい』と声を掛けてくれる。
入口に近いカウンターに座り、前を見るとたくさんのメニューが書かれた短冊が所狭しと貼ってあり、途中で貼る場所がなくなったためなのか、横書きの紙もある。しかもメニューには『今大変美味しい』『旬です』などの形容詞が付いていて見ていて飽きることはない。




まずはアサヒラガー、通称赤星で乾杯。お通しは煮たばかりのコチのアラにポン酢を付けて頂く。これをせせりながらビールを飲む。もちろん美味い、阪神が大量得点差をひっくり返されたことなどすぐに忘れた。

まずは野菜のメニューの盛り合わせ、以前お店のお姉さんに教えてもらった頼み方で15種類くらいから3〜4種類選んで盛り合わせてもらう。今回は『根ミツバとエノキダケ、葛切りの煮浸し』『アスパラガスのくるみだれ』『新じゃが揚げ』『うどの酢味噌』を選択。どれも美味いが、根ミツバの味付けに感心。

お酒は『六舟』(刈穂、秋田県)、辛口だが飲み口の軽い飲みやすいものを選択。スルッと喉に入って行く。

お刺身は相方の好みで『白いか』、包丁の技が光る細造り、ちゃんとエンペラも添えてある。おろしワサビが良く効く。実に柔らかく、舌の上でねっとりとろける。もちろん見た目も美しい。

春らしく『活けサクラ海老の天ぷら』、悩むのが天つゆにするか、塩とレモンで食べるのか。私は塩がいいと思っていたが、天つゆも捨てがたい。



酒は『仙介』(兵庫県)、実は字が小さく『仙禽』(栃木県)と間違えて注文。どうも仙禽の割に酸味が少ないと思ったが、この仙介、華やかで香り立つお酒。流石に灘の酒である。

 『穴子の白焼』登場。梅肉醤油、塩、ワサビ醤油の3つの味で楽しめる。相方は梅肉醤油、私はワサビ醤油が一番フィットした。

おかわりの日本酒は『吾有事(わがうじ)』(山形県)、これはあまり飲んだことのないタイプの酒、不思議なコクという濃厚さがあるなかで爽やかなフルーティー感というか、喉越しがいいというか、複雑な味が心地よい。名前は曹洞宗の開祖道元の自分という存在と時間が一体になるということから取られたと蔵元のHPにあった。

『メバルの煮付』登場。一匹丸々が煮付けてあり、側線に沿って箸を入れ、上下に身を開くと驚いたことに腹の骨まで骨格標本のように綺麗に外れた。これも新鮮がゆえ、薄めの味付けで煮てあるが身がほろほろして実に美味い。

酒もすすんで困る。全て食べ終わると煮汁を持って行く人もいるわよとお姉さんに教えられ、テイクアウトする。

お腹もかなり膨れてきたので『自家製あん肝』とお酒『鳳凰美田』(栃木県)をお願いする。合わせて『アジ寿司』も注文。あん肝は臭みかど全くなく、実に美味い。酒がつるつる入る。



アジ寿司はこの店の名物料理の一つ。新鮮なアジを軽く酢で締め、細長いお寿司にして提供される。添えてある胡瓜の醤油漬けも実によく合う。この日はコハダ寿司もあったようである。

最後はデザートにあまり甘くない小豆の煮たもの、あんこ。それに熱いお茶。口直しにいい。メニューが多く、食べたいものもたくさんあるが、ついつい同じものを食べると話したら、板前さんも『皆さんそう見たいですよ。』とのことでした。久しぶりに相方と来たが、2人とも大満足。ご馳走さまでした。(なお、このお店は週末は予約必須です。)

うまいもの楽味
世田谷区北沢2ー12ー11島田ビルB1
0334106577


ときわ台駅〜小竹向原駅付近の坂道②

2024-05-18 05:00:00 | 日記
『東京の坂、日本の坂』その211。ときわ台駅〜小竹向原駅までの坂道散歩②。豊敬稲荷神社から街道を外れて墓地の周りを歩き、川越街道(国道254号)に出る。左に曲がると再び石神井川を上板橋という橋で渡る。



環七を越えると先ほどの長命寺坂の延長線上にある長命寺の前に出る。この寺は残っている文献からも江戸時代前期からあった古刹、いつの間にかこれほど交通量の多い交差点に面することになったようである。




寺の前を過ぎ、左斜めに進む細い道を歩く。上板橋小学校があるが、なぜか『東京都板橋區立上板𣘺小学校』と旧字体で書いてある。





6本目を左に曲がると長い下り坂となるが、これが『堂坂』である。由来をネットで調べると『坂の途中に旧家で大庄庵と称した小野沢氏の家があり、地蔵堂があったので堂坂または地蔵坂と呼ばれる』とある。くねくねと右へ左に曲がりながらスーパーがあるあたりまで続く。



真っ直ぐ歩くと再び石神井川の上の根橋、さらにその先に環七が通っている。橋を渡らず右に曲がりしばらく歩く。この辺りの石神井川は川幅はあるが、水の流れは緩やかである。



宮前橋を左に曲がり、2本目のバス通を右に行くと大きな広場(草原)に出る。



左手には毛呂山公園が現れ、この公園に沿って上って行く坂道が『ばんち坂』。これは昔、この山がばんち山と呼ばれたために付けられた名前である。



『ばんち山』のばんちは山の持ち主であった山上氏の先祖が江戸城の警護衆が住んでいた番町(東京都千代田区)ところから来ているらしい。



坂を上まで上がり、2本ほど先を右に曲がる。再び環七通りに出るが、これを歩道橋で渡り、左に行く。2つ先の信号を右、さらに次を右に曲がり行く。心神障害児総合医療療育センターの前に出るが、この敷地に沿って下る坂道が『すて場坂』。



名前からしてゴミ置き場でもあったのかと思ったが、牛馬を捨てる場所が坂下にあったのが由来らしい。江戸時代までは牛馬の肉を食べることが禁じられていたために死んだ馬や牛を捨てる場所があったらしい。今ではとても信じられない気がする。



坂を下り、コーシャハイムの先に伸びるのが『地蔵坂』。緩い坂でかつて地蔵堂があったことからこの名前がある。



少し元の道を戻り、坂上まで歩き、道案内にある通り中学校と小学校の間にある道を左に行く。台橋通りと名付けられているが、くねくねと曲がりながらも要町通りまで続く。途中には今でも営業しているのかはわからないが、懐かしい小さな書店。


子供の頃にコンビニは今のように発達しておらず、書店や文房具屋が学校の周りにあったことを思い出した。



小竹向原駅に到着。要町通りを渡り、その先左に下る緩い坂道。これが『だらだら坂』、由来は坂を下るとよくわかる。左側は向原小学校、右側はゴルフ練習場となっている。

くの字に曲がる坂であった。ときわ台駅から小竹向原駅までは寄り道をせずに真っ直ぐ歩けば2.5km程度だが、坂巡りをしながら歩くと5km近くなっていた。

因みに、最初の写メは長命寺坂にあった古いホーローの地名案内板である。



山利喜本館〜森下グルメ

2024-05-17 05:00:00 | グルメ
酒のあてに『煮込み』は嬉しい。煮込みとはももちろんもつ煮込みのことである。俗に東京三大煮込みは『大はし』『岸田屋』『山利喜』、五大煮込みならば『宇ち多゛』『大坂屋』と世間では良く言われている。この中の一軒、『山利喜本店』にお邪魔した。

東京メトロ半蔵門線住吉駅から都営地下鉄新宿線に乗り換えて森下駅で下車。ここは新大橋通りと清澄通りの交差点であるが、本館はほぼ交差点、新館は清澄通りを両国駅方向に歩いたところにある。

我々は提灯を目印に本館に行くが、入口で聞くと予約なしでも2階に席があるとのこと。階段を登ると目の前が調理場のカウンター席である。



まずは生ビールで乾杯。突き出しは切り干し大根。さらにつまみに『鰯の酢〆』を注文した。いつのまにかビールのうまい季節、もちろん一年中美味いのだが。酢〆の鰯もさっぱりとしていい味を出している。

まずは『やきとん』から注文、この店は2本440円でタレと塩は選べる。悩ん末に軟骨たたき、れば、たんは塩、しろ、はらみはタレでお願いした。

(これは塩)

まずはタレチームから到着、この店では溶きがらしが添えてある。ついで塩焼きチームが到着、食べ比べるが軟骨たたきはコリコリとした食感、ればも角切りになっていて表面は固く、中はしっとり、個人的には塩をオススメしたい。

あまりつまみを食べ過ぎてからでは『煮込み』が台無しとなるため、ここで煮込み(玉子付き)とガーリックトースト、赤ワインをグラスで注文する。こちらの煮込みはギィアラとシロのみを大ぶりに切ってワインも入ったソースで煮込んである、言わば和風シチュー。



素焼きの皿に乗せて到着。脂がよく乗っているが、それを感じさせない。もちろん玉子も美味いし、タレ(ソース)をちぎったトーストで付け、食べるのもいい。赤ワインもよく合うのである。うーん、口の中が幸せ満載、わざわざ食べに来る価値がある一品である。

酒はレモンハイ、キンミヤベースで殆ど甘くない。これを飲むと口の中がさっぱりとする。

続いて『自家製燻製盛り合わせ』。中にはゆで卵、チーズ、鶏手羽先、ソーセージ、ベーコンなどが乗っている。いずれも美味いが、チーズが秀逸である。

レモンハイ、ハイボールなどを飲む。ただ、飲み物のメニューがやや寂しい気がする。

かなり腹も一杯となってきたが、変わったメニューということで『鶏のパリパリ揚げ』を注文する。これがさっぱりしたおつまみ、鶏の胸肉をワンタンの皮で巻いて揚げ焼きしたもの。レモンを搾り、頂く。最後にいつものようにおしんこをいただき、今日はお開き。

やはりもつ煮込みが秀逸であった。しかし、もう一人前は少しヘビーだろう、歳をわきまえると。ご馳走さまでした。


山利喜 本館
江東区森下2ー18ー8
0336331638

都営大江戸線スタンプラリー⑪

2024-05-16 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その237。都営大江戸線スタンプラリー⑪。中井駅は西武新宿線との乗り換え駅。駅は山手通りの真下にあり、西武新宿線の駅では暗いイメージがある。



スタンプに描かれているのは『林芙美子記念館』、中井には一の坂から八の坂まであるが、このうち四の坂の横にある。林芙美子は昭和16年8月から昭和26年6月に亡くなるまで住んでいた住居をそのまま残して区立の記念館として解放している。

落合南長崎駅は新青梅街道と新目白通りの交差点近くにある。ほぼ新宿区西落合と豊島区南長崎の境に位置するため、この名前となった。



スタンプは『哲学堂公園と野方配水塔』が描かれている。哲学堂公園は東洋大学の創設者井上円了がソクラテス・カント・孔子・釈迦を祀った四聖堂を建設したのが始まりである。精神修養のための公園で哲理門、六賢台、三学亭などの建物も合わせて建築されている。

野方配水塔は荒玉水道の野方給水場に作られた配水塔で1929年造られ、1966年まで使用されていた。今は中野区の災害用給水槽となっている。

新江古田駅は中野区江原町と練馬区豊玉上の境に造られた駅である。『江古田』の読み方は『えごた』『えこだ』『えこた』の3種類があり、西武池袋線の『江古田』は『えこだ』、都営大江戸線の『新江古田』は『しんえごた』と読む。今も行政の町名として残っているのは中野区『江古田』(えごた)のみ、どうも練馬区は『えこだ』、中野区は『えごた』のようである。川などで向かい合う土地に同じ名前がつけられるケースは多摩川ん挟んで『等々力』『瀬田』『宇奈根』『(下、中、上)丸子』『鶴間』『相原』『矢部』などあるが、読み方が違うものは珍しい。
スタンプの意匠は『江古田の森公園と江古田の獅子舞』が描かれている。

練馬駅は西武池袋線との乗り換え駅である。駅近くには練馬区役所の立派な建物もある。ここからの眺めは周辺に高い建物がないため、見事なものである。
スタンプのデザインは『平成ツツジ公園』のものである。


彩り〜人形町ランチグルメ

2024-05-15 05:00:00 | グルメ
コロナ禍の後、居酒屋さんが閉店することが相次ぎ、ゆったりとランチが食べられる店が減ってきた気がする。チェーン店を嫌うつもりはないが、ご主人が丹精込めて作ってくれる料理は有難い。

人形町交差点近くにある『彩り』は1階がカウンターのみ、2階には4人座れる席が4つというこぢんまりした店で2年前は『双庵』という手打ちそばのお店であった。2人で伺うと2階へと言われ、やや急な階段を上り、4人席にゆったりと座る。

こちらのランチメニューは穴子丼(1000円)、マグロ漬け丼、海鮮ねばねば丼、鯛茶漬け(1100円)、他にも和定食やビーフシチュー定食などがある。

私はマグロ漬け丼、Mさんは穴子丼を注文。マグロの漬け丼は普通のご飯か酢飯のいずれかを選択できる。

すると5分程度で2人とも頼んだ品が到着した。マグロ漬けの乗った丼の他に小鉢がひじきの煮物、厚揚げ、昆布の佃煮、沢庵、味噌汁がお盆に乗ってくる。

まずは味噌汁を一口、具はナメコとミツバと豆腐、しっかり出汁が取ってあり、中々美味い。

熱々のご飯の上に冷たい刺身が乗っているアンバランスが私の好み、なぜか醤油に漬けるとトロッとした食感になるマグロの赤身に舌鼓、わさびとかいわれ、茗荷などと共に頂くがいい味である。

見た目がコンパクトの容器に入っているが、みっちりとご飯が入っているため、ランチにはちょうど良い量である。



箸休めに小鉢のひじきや昆布の佃煮などを頂くが、味が変わっていい。特に厚揚げの煮たものが1つ入っていたが、これが美味かった。

一緒に行ったMさん注文の穴子丼も煮穴子と錦糸卵をご飯に掛けたシンプルなる丼だが、こちらも中々美味しそうだった。食後には温かいお茶、ゆったり、ゆっくり食べられるお店であった。ご馳走さまでした。



彩り
中央区日本橋人形町2ー6ー11
0362311178


関東三十六不動尊巡り⑩〜川越大師喜多院

2024-05-14 05:00:00 | 霊場巡り
関東三十六不動尊巡り⑩、第28番札所川越大師喜多院の参道は第27番札所のすぐ裏手から始まっている。



参道をとことこ歩いて行くと時代がかった蕎麦屋さんがある。そのまま喜多院の境内となるが、花見の時期であったため、たくさんの露店が所狭しと出ている。

喜多院の歴史は古く、仙芳仙人の故事によると奈良時代とも言われ、平安時代に淳和天皇の勅により830年慈覚大師円仁により創建された勅願所があり、本尊阿弥陀如来を始め、不動明王、毘沙門天を祀り、無量寿寺と名付けられた。1205年に兵火により焼失するも1296年に再興、江戸時代となり天海僧正の時に徳川家が帰依することにより発展したものである。



境内は広く、すぐのところに多宝塔。これは1639年に元々山門と日枝神社の間の古墳の上に建造、今の位置には1910年に移築され、その後一回解体修理が行われている。高さが13mあり、江戸時代初期の多宝塔の特徴を残す。 



そのまま真っ直ぐ行くと少し高いところにあるのが慈眼大師天海を祀る慈眼堂である。天海僧正は1643年に入寂、家光の命により、1645年にこのお堂が創られた。

中には木造天海僧正坐像が置かれている。像の天海僧正は亡くなる2ヶ月前の姿である。

正面の本堂が慈恵堂と呼ばれていて比叡山延暦寺18代座主の慈恵大師良源を祀る堂宇である、


桁行9間、梁間6間の入母屋造り、1639年に焼失したものが再建されている。中央には慈恵大師、左右に不動明王を配し、毎日不動護摩供を行なっている。



右手には客殿や書院、庫裡などの江戸城から移築された重要文化財があるが、この日は拝観することが出来なかった。ただ、納経所は空いていて無事に御朱印はもらう。



ソメイヨシノを見ながら奥にある五百羅漢を見に行く。五百羅漢は川越の志誠(しじょう)という人が供養のために1728年から作り始めたもので志誠死後も僧侶や近隣の人々が遺志を継ぎ1825年に完成したもの。いざ入って行くと色々な表情や姿勢で仏具や日用品を持ったり、動物と一緒だったりと様々羅漢さんたちを見ることができる。

とにかく立派なお寺で徳川家の権力の強さを垣間見ることのできることができた。

菊水軒の冷やし中華〜初鰹ならぬ初冷やし中華を食す

2024-05-13 05:00:00 | グルメ
前日に立夏のブログをアップして翌日の5月10日にいつもの通勤路を歩いていたらいつもお邪魔している人気の町中華の『菊水軒』に『店主自慢、冷やし中華』のポスターを発見、早速ランチにお邪魔してしまった。

11時30分頃に入店したが、1階はもうほぼ満席、ちょうど1つ空いたのですかさず席に着く。お冷が運ばれてきたので『冷やし中華』と注文する。

注文してからポスターを繁々みると『1000円』とある。22年は850円、昨年は950円、そして今年は大台に乗ってしまっていた。まあ、円安や人件費の高騰もありやむを得ないのであるが。

5分ほどして冷やし中華到着。丸いお皿に放射状に具が美しく並べられていて、中央の真ん中から右回りに、ワカメ・メンマ・ナルト・きゅうり・チャーシュー・錦糸卵。さらに真ん中に紅生姜と7種類、この中でメンマは珍しい。赤、緑・黄色、茶色、白とピンク、深緑と配色は美しい。

溶きガラシを混ぜて食べ始める。タレは甘酸っぱいが、この店は甘さ控えめで酸味が強くさっぱり味。麺は細麺のちぢれ麺、タレとよく絡む。あまりぐちゃぐちゃにするのが好きではないので同じ具ばかり先に食べてしまう。 

外は暑いとはいえ25℃程度、湿度も低く私に共感(?)して冷やし中華を食べる人はいなかった。この店は殆どのメニューがハーフにすることができ、斜め前の常連さんは『半カレー+半ラーメン』それでも足らずに『半チャーハン』を追加、これでは1600円。色々と食べられるが、やはり割高である。ラーメン+チャーハンでも1500円なのに。
 
(近くの甘味処)
ただ、結構お年を召しているように見えるがその食欲は羨ましい。ご馳走さまでした。初鰹と同じで初物を頂くと75日長生きできるだろうか。 

菊水軒
中央区日本橋人形町1ー10ー1
0336663766

トキワ台駅〜小竹向原駅付近の坂道①

2024-05-12 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その210。今回は東武東上線ときわ台駅から東京メトロ有楽町線小竹向原駅までの坂道を散策する。



ときわ台駅は1935年に武蔵常盤駅として開業、1926年に今の駅名に変更された。名前の由来は天祖神社の境内にある『常盤松』から名付けられた。





常盤台は東急の田園調布や日吉、阪急の千里山のように駅開業時から住宅分譲地開発を東武電鉄が行ったもの。環状道路やプロムナード、クルドサックなどを備えた設計となっている。





排水は全て暗渠、専用水道を備えていて一戸の広さが80坪までとなっていた。駅舎は2018年のリニューアル工事の際に開業当時の大谷石造りの瀟洒な洋風建築にしたものである。



駅の歴史や常盤台住宅の移り変わりなどの写真をパネルにして『武蔵常盤小径』と名付けて駅舎側面に展示している。



北口から踏切を渡り、商店街を行く。2本目を左に下る緩い坂道が『暗闇坂』。昔は木が茂って暗かったためついた名前のようだが、いまは両側にマンションが立つ、緩い坂道。



坂下は環七、他の人のブログによると常盤台の名前の元になった常盤松の生えている天祖神社に向かう古道のようである。



坂下まで降りて環七を向かいに渡り、右に曲がる。目の前には板橋中央陸橋、そのまま川越街道との交差点迄行く。交差点のところを左斜めに進む細い道が出てくるが、これを戻るように行く。



この細い道が旧川越街道であり、交差点を越えた斜め前にある長命寺に到達する道であった。この緩い上り坂が『長命寺坂』である。今は太い通りに阻まれているため、名前の由来が分かりづらい。



坂を上って真っ直ぐ行くと石神井川にかかる下頭橋(げとうばし)の所に出る。この橋は近隣の村人が協力して1798年に石橋を架けたものであり、その際に六地蔵を置いた。



橋の名前の由来は六蔵という者が金を出したなど諸説あるが、よくわからない。橋を渡った先からが上板橋宿となっていた。



そのまま大山の方に歩いて行くが商店街となり、ちらほら店が出てくる。寿堂紙製品工業という会社のところで右に弧を描き曲がっていく。この辺りは旧街道のためか、かなり古い民家もところどころにある。



旧川越街道は緩い上り坂となっているが、この坂道が『海老山の坂』、かつて周辺が海老山と呼ばれていたことに由来するのだが、ネットで調べると『かつて飢饉に備えた稗(ひえ)蔵があり、ヒエが訛ってエビとなった』とあるが、ヒエがどう訛ればエビになるのだろうかと疑問に思った。



街道沿いには豊敬稲荷神社がある。(以下次回)