今日は・・・今回震災の被害に遭ってしまった二種類の生き方をしている人を検証してみたいと思います
共に70歳とします。
A類の人間は「人生何が起きるか解らない」と常に「もしもの時に」と自分や家族の事しか考えず、夫婦で月に25万円以上の年金を受け取りながらも、定年を過ぎてまだ労働力として参入、若者達の仕事や夢を奪って5000万円貯金していました
B類の人間は社会の事を考え「若者が育たなければ未来は無い」「我々が子孫に残さなければならないのはお金でなく、安心して暮らせる希望が持てる社会だ」と定年と共に後輩世代に席を譲り、年金の25万円を限度一杯使って遊び続けています。貯金も退職金の残りが500万円だけです
さてこの二人が・・・この度の震災で夫婦共に死にました
死んでしまえば・・・同じなんですが・・・殆どの場合、A類の人のようにお金が沢山残っていると・・・兄弟が「腹の探り合い」から始まって・・・憎しみ合うようになっています
次に・・・家は全壊、車も無くなり、避難所生活ながら二人共生きています
B類の夫婦は、遊び続けていた位ですから・・・避難所生活を結構愉しく過ごします。自分の家は諦め、仮設住宅に移る事に決めて又年金を一杯に使って遊び社会に還元します
A類の夫婦は、避難所生活を耐えるのが非常に苦痛の毎日です。お金があるから、何処にでも家を買うことも出来ます。しかし・・・もう70歳。残りを考えると・・・悩んでしまいます。親の家に子供が住む確立は非常に低いし、人口がどんどん減ってますから・・・日本は家自体が益々余ってきます。建てても朽ち果てるか、後20年後にはただ同然で誰かが処分するようになるでしょう。お金が無ければ悩まずに済むのに・・・あるから・・悩んで病気になり間もなく死にます
次に・・・放射能汚染で避難しなければならなくなったとします
B類の夫婦は・・・こんな時こそ消費して社会に役立たなければ・・・とキャンピングカーで旅に出ます世の中なるようにしかなりませんが・・・社会に役立つように愉しく遊ぶ事が一番です
A類の夫婦は・・・ここでも・・・お金があるから悩みます。その上に強欲ですから・・・居た方が余計お金が貰えるとか・・・被爆したら、その後は病院代が要らなくなるからとか・・・考えてなかなか避難しません。でも悩みと被爆から間もなく病気になって死にます
次に・・・避難地域では無いけれど・・・明らかに放射能に汚染されている地域に住んでいたとします
B類の人は、政府の発表なんて信用できないし、風の方向に拠ってはかなり濃度の濃い放射能が飛んでくるのは・・・当然ですし・・・その上余震にもビクビク暮らすなんて・・・真っ平。人は社会に役立ち、日々愉しくなければ生きている価値がない。と・・早々とキャンピングカーで旅にでます。
A類の人は、社会のことや自分の命より、財産やお金が大事ですから・・・ビクビク、ドキドキ、オロオロしながら・・・財産の監視をします。でも高濃度の放射性物質が時々襲ってきますから・・・いつの間にか被爆して・・・甲状腺が・・・そして廃人同様となり・・・死にますが・・・保証金がもらえます。
実際にはこんな事は無いと思いますが・・・
世の中にはこのような事が多々あります。
東電の計画を聞いたんですが、希望的観測で落ち着くのは6ヶ月から9ヶ月後と発表していました。
かなり離れた地域の野菜が汚染されていたりしています。
避難区域「半径30キロ」が風を考慮していると思えません。
川の流れの中に染料を落とすと、流れの中を筋になって進みます。
半径なんて言えるのは「無風」か「溜池」でしかありえません。
それを発表すると、東京が機能しなくなり、経済日本は終るでしょう。
だから発表しないのだと思うんですが・・・
経済日本で無くなってもいいんじゃない?
まだまだ何ヶ月も続くのなら、非難できる人は避難すべきと思います。
特に子供や若い人達は優先的に非難させなければならないように思えます。
多くの被災地で今していることは・・・
先が見えてないのでは・・・
さて今日の僕達ですが・・・庄原市、上の池公園で「おひさま」を見て出発
国道183号線を北上、枝道に入って「道後山スキー場」を越えて海抜1070メートルの登山口へ、10時に着きました
晴天だけど・・・雪が一杯。
でも・・・コースタイム二時間弱の山だから・・・ゆっくり準備して、おやつを持って登り始めました
雪の広い登山道を歩いている時、美由紀が「エノキが一杯生えているのを夢で見た」と・・・それが言い終わるか終らないうちに
雪の間に埋もれていた、倒れたミズナラの木に黄色い傘が並んでいました
それも・・・並んで三本に・・・ずらっと植えたように生えていました
エノキタケは別名を「雪の下」と言います。八百屋さんで売っているエノキと同じ菌ですが、野生のものは形が全く違います。
雪の下に生えていて・・・美味しいんですが・・・こんなに沢山のエノキを見たのは初めて
二人は喜んで採集
計ってはいませんが三キロ以上はあります
早速味噌汁にたっぷり入れて昼食。
登山口でテレビを暫らく見て・・・今は蒜山高原に来ています
写真はそのエノキタケです
写真をクリックすると大きく見えます
最後に大変不謹慎な事を書いて気分を害された方も多いと思います。
お詫び申し上げます。
しかし今の日本は「赤信号、皆で渡れば怖くない」的な風潮があり、集団で自分自身をも失っているように見え、可笑しいです。
戦争に突入した当時がこうだったのかとさえ感じます。
この文章で各自がもう一度、自分の立場を見直して頂ければ幸いです。
何よりも、各自が最善な方法を判断出来る様、何事も隠さず発表してくれることが一番なんですが・・・
共に70歳とします。
A類の人間は「人生何が起きるか解らない」と常に「もしもの時に」と自分や家族の事しか考えず、夫婦で月に25万円以上の年金を受け取りながらも、定年を過ぎてまだ労働力として参入、若者達の仕事や夢を奪って5000万円貯金していました
B類の人間は社会の事を考え「若者が育たなければ未来は無い」「我々が子孫に残さなければならないのはお金でなく、安心して暮らせる希望が持てる社会だ」と定年と共に後輩世代に席を譲り、年金の25万円を限度一杯使って遊び続けています。貯金も退職金の残りが500万円だけです
さてこの二人が・・・この度の震災で夫婦共に死にました
死んでしまえば・・・同じなんですが・・・殆どの場合、A類の人のようにお金が沢山残っていると・・・兄弟が「腹の探り合い」から始まって・・・憎しみ合うようになっています
次に・・・家は全壊、車も無くなり、避難所生活ながら二人共生きています
B類の夫婦は、遊び続けていた位ですから・・・避難所生活を結構愉しく過ごします。自分の家は諦め、仮設住宅に移る事に決めて又年金を一杯に使って遊び社会に還元します
A類の夫婦は、避難所生活を耐えるのが非常に苦痛の毎日です。お金があるから、何処にでも家を買うことも出来ます。しかし・・・もう70歳。残りを考えると・・・悩んでしまいます。親の家に子供が住む確立は非常に低いし、人口がどんどん減ってますから・・・日本は家自体が益々余ってきます。建てても朽ち果てるか、後20年後にはただ同然で誰かが処分するようになるでしょう。お金が無ければ悩まずに済むのに・・・あるから・・悩んで病気になり間もなく死にます
次に・・・放射能汚染で避難しなければならなくなったとします
B類の夫婦は・・・こんな時こそ消費して社会に役立たなければ・・・とキャンピングカーで旅に出ます世の中なるようにしかなりませんが・・・社会に役立つように愉しく遊ぶ事が一番です
A類の夫婦は・・・ここでも・・・お金があるから悩みます。その上に強欲ですから・・・居た方が余計お金が貰えるとか・・・被爆したら、その後は病院代が要らなくなるからとか・・・考えてなかなか避難しません。でも悩みと被爆から間もなく病気になって死にます
次に・・・避難地域では無いけれど・・・明らかに放射能に汚染されている地域に住んでいたとします
B類の人は、政府の発表なんて信用できないし、風の方向に拠ってはかなり濃度の濃い放射能が飛んでくるのは・・・当然ですし・・・その上余震にもビクビク暮らすなんて・・・真っ平。人は社会に役立ち、日々愉しくなければ生きている価値がない。と・・早々とキャンピングカーで旅にでます。
A類の人は、社会のことや自分の命より、財産やお金が大事ですから・・・ビクビク、ドキドキ、オロオロしながら・・・財産の監視をします。でも高濃度の放射性物質が時々襲ってきますから・・・いつの間にか被爆して・・・甲状腺が・・・そして廃人同様となり・・・死にますが・・・保証金がもらえます。
実際にはこんな事は無いと思いますが・・・
世の中にはこのような事が多々あります。
東電の計画を聞いたんですが、希望的観測で落ち着くのは6ヶ月から9ヶ月後と発表していました。
かなり離れた地域の野菜が汚染されていたりしています。
避難区域「半径30キロ」が風を考慮していると思えません。
川の流れの中に染料を落とすと、流れの中を筋になって進みます。
半径なんて言えるのは「無風」か「溜池」でしかありえません。
それを発表すると、東京が機能しなくなり、経済日本は終るでしょう。
だから発表しないのだと思うんですが・・・
経済日本で無くなってもいいんじゃない?
まだまだ何ヶ月も続くのなら、非難できる人は避難すべきと思います。
特に子供や若い人達は優先的に非難させなければならないように思えます。
多くの被災地で今していることは・・・
先が見えてないのでは・・・
さて今日の僕達ですが・・・庄原市、上の池公園で「おひさま」を見て出発
国道183号線を北上、枝道に入って「道後山スキー場」を越えて海抜1070メートルの登山口へ、10時に着きました
晴天だけど・・・雪が一杯。
でも・・・コースタイム二時間弱の山だから・・・ゆっくり準備して、おやつを持って登り始めました
雪の広い登山道を歩いている時、美由紀が「エノキが一杯生えているのを夢で見た」と・・・それが言い終わるか終らないうちに
雪の間に埋もれていた、倒れたミズナラの木に黄色い傘が並んでいました
それも・・・並んで三本に・・・ずらっと植えたように生えていました
エノキタケは別名を「雪の下」と言います。八百屋さんで売っているエノキと同じ菌ですが、野生のものは形が全く違います。
雪の下に生えていて・・・美味しいんですが・・・こんなに沢山のエノキを見たのは初めて
二人は喜んで採集
計ってはいませんが三キロ以上はあります
早速味噌汁にたっぷり入れて昼食。
登山口でテレビを暫らく見て・・・今は蒜山高原に来ています
写真はそのエノキタケです
写真をクリックすると大きく見えます
最後に大変不謹慎な事を書いて気分を害された方も多いと思います。
お詫び申し上げます。
しかし今の日本は「赤信号、皆で渡れば怖くない」的な風潮があり、集団で自分自身をも失っているように見え、可笑しいです。
戦争に突入した当時がこうだったのかとさえ感じます。
この文章で各自がもう一度、自分の立場を見直して頂ければ幸いです。
何よりも、各自が最善な方法を判断出来る様、何事も隠さず発表してくれることが一番なんですが・・・