「秋茄子嫁に食わすな」という諺があります。これはもともと他人だった嫁に、貴重でおいしい秋の茄子を食べさせるのはもったいない、という意味であったはずなんですが、それがあまりにも浅ましい心情なので「茄子は体を冷やす働きがあるので子供を生む嫁が食べるのはよろしくない」と、もっともらしい理由を考え出したわけです。
暴力はどんなことがあっても感情の産物であって、決して「教育」ではありえないことは明らかなんですが、たとえば教師が生徒に、親が子にに暴力を振るうのを「愛のムチ」というと教育のひとつの形みたいに聞こえますし、そう信じているタカ派の人もいるかもしれません。「愛のムチ」という言葉が生れたのは「体を冷やすのはよくないから嫁には秋茄子を食べさせない」という言葉が生まれたのと同じ事情です。こういうのを一般的に「正当化」といいます。教育する側が自分を正当化することほど、教育にとってよろしくないことはありません。
東京の有名なフランス料理店のオーナーシェフが従業員を殴って書類送検されました。これまで誰も訴えなかったことが不思議なくらい、従業員を殴るので有名なシェフでしたから、「やっと訴えられたか」というのが正直な感想です。いわゆるオーナーシェフの草分け的存在ですから、そのカリスマ性に従業員が従ってきたので、だから殴られても訴えたりしなかったんでしょう。このところの不景気で店の経営とか人気とかに翳りが出て、同時にカリスマ性が薄まってしまったということが訴えられた理由でしょうか。こちらは経営者で教育者ではありませんから、言い訳は「愛のムチ」ではなく「指導の一環」とでも言うんですかね。
北鮮がテポドンを発射したようです。ノドンから進化したテポドン。トムクランシー(『レッドオクトーバーを追え』などで有名なアメリカの作家)が詳しかったような記憶があります。ともかく、アメリカが言うことを聞かないから発射した、ということでしょうね。金正日の苛立ちが発射レバーを押したわけです。
無理やりかもしれませんが、子供や生徒や従業員に暴力を振るう人と、金正日との違いがわかりません。弱い立場の人に対しては暴力を振るっていうことを聞かせようとするという点では、まったく同じ構図なんですね。だから日本人の中にもウヨウヨいるわけです、金正日が。不思議なことにそのミニ金正日たちが一番、金正日に対して腹を立てているわけです。それから領海問題や海底石油開発問題なんかで、中国や韓国に対しても、怒っています。そして言うのが「日本は普通の国にならなければならない」ということ。それは軍隊を持って核武装して近隣のとんでもない国々(南北朝鮮と中国ですね)に対して備えなければならない、とのたまうわけです。暴力を否定する一般庶民から見れば、同じ仲間なんだからもっと仲良くすればいいのに、と思ってしまいますが、金正日と一緒にするな!と怒られそうです(笑)。狼同士は仲良くしません。
二週間くらい前に、奈良県で高一の男の子が自宅に放火して義理の母と義理の弟妹の計三人を死なせた事件がありました。この事件の構図は、窮鼠猫を噛むというか、言うことを聞かせようとした父親の暴力に対して相当長い年月にわたって我慢してきた少年が普通の反応をしたわけで、押し入ってきた強盗の隙を見て反撃したのと同じです。男の子は自分にできる範囲で最大の反撃を行ないました。児童相談所なんていう気休め的な組織もありますが、もともと日本には弱いものを救うシステムがないというか、施政者が強い者、お金持ちの見方ですからね、起こるべくして起こった事件ですし、これからも同様の事件がたくさん起こるでしょう。
繰り返しますが、弱い立場のものに対して暴力で言うことを聞かせようとするのは金正日とまったく同じですし、人類の不幸な歴史をつくってきたのは、まさにそういう人間たちでした。なぜかというと、暴力で言うことを聞かせようとしないような「いい人」たちは決して世の指導者になれないし、なろうとしないからです。そこで世の中は相変わらず、いじめられる人といじめられない人の二つに分かれて、これからも不幸な歴史を重ねていきます。やっぱり人類には救いはありません。
次回はいじめられる人に対して中学生の男の子の立場で書いてみた作文をご紹介します。