原爆の日、敗戦の日と続いて政治をテーマにすることが多かったので、今日は久々に食べ物の話を。
歳をとるにつれて、おいしいものが少なくなってきました。子供の頃初めて食べたものはどれも、びっくりするくらいおいしかった記憶があります。それはそうですね。子供の頃というのは初めて食べるものがたくさんあって、初めて食べたものというのはたいていの場合、すごくおいしく感じるものです。インスタントラーメンでさえ、初めて食べたときは、世の中にこんなにおいしいものがあったんだ、と思ってしまったくらいです。
それがだんだんいろんなものを食べて経験を重ねてくると、食に対する新鮮味が薄れてきて、感動するくらいおいしいものにはなかなか出会えなくなってしまいます。これはひとつの贅沢なのかもしれませんが、見方を変えれば食物に対する感覚が成熟したとも言えます。いい言い方をすると、本当においしいものがわかるようになった、というふうにも言えます。しかし、本当においしいものという言葉自体、定義が曖昧な上に人によって違うでしょうから、やっぱり味覚が鈍感になったというのが真実かもしれません。
「金のかかる舌になった」と、そういう言い方が適切かどうかわかりませんが、少なくともインスタントラーメンを食べておいしいと感じなくなると、もっとましなものを食べようとしますよね。そうするとインスタントラーメンよりも金額的に高いものを食べることになります。そしてさらにそれよりもおいしいものを求める。そしてさらにそれよりも・・・・と、このプロセスがエスカレートすると、ブランドの食品を求めたり、高級料亭、高級レストラン、さらには旬のものが取れたてで食べられる場所に行ったり、有名シェフを家に呼んで料理を作ってもらったりします。いくらかかるのか見当もつきません。
一般庶民は経済的にも時間的にもそれほどの余裕はなく、おいしいものを食べたいなあと思いつつも、財布の状態を考えてなるべく安くなるべくソコソコのものを求める日々ですよね。そして思い出すのが子供の頃に食べた、おいしいものの記憶です。
ビアガーデンといえば枝豆ですが、このところおいしい枝豆になかなか出会えません。というのも、子供の頃に食べた枝豆の記憶がいまだに鮮烈でして、枝豆を食べようというときは、自分で畑まで行って枝豆を収穫し、その収穫してきたばかりの枝豆を大きな鍋で茹で、茹でたてを食べていました。取れたてで、茹でたてです。思い出は必ず美化されるということもあるでしょう。子供の頃だからまだ味覚も相当に敏感だったこともあるでしょう。しかしそういった部分を割り引いたとしても、やっぱり抜群においしかった。もう長いことあれほどおいしい枝豆は食べていないし、これからも食べられないかもしれません。一期一会なんですかねえ。
「お金かけずに手間かけて」が口癖のイタリアンのシェフがいまして、この人は高級食材を使うでもなく、家庭で普通に使う食材ばかりを使って家庭ではできない料理に仕上げる名人ですが、最近は野菜の値段が高すぎて「お金もかけて手間もかけて」いるのにメニューの値段は簡単に上げられないから、上げられるのは悲鳴だけだ、とぼやいています。もともと他よりずっと安いんだから上げてもいいよ、と常連は言うのですが、本人はためらっています。それはそうでしょうね、おいしいものをたくさんの人に食べてもらいたい、だから値段は安くていいんだ、というのがこの人の信条ですから。
野菜が高騰しているのは気象だけではなく、原油高が大きく影響しています。野菜を作るのに石油は使わないだろうと思ってしまいますが、実際はかなり使うんですね。肥料というと窒素リン酸カリウムというのが三大要素ですが、このリンについてはリン鉱山というのがありまして、そこから採掘します。当然石油を湯水のように使います。さらに温室の過熱や冷却も発電機を使うので石油を使います。あとは流通の過程で運送が必要になりますから車両用に石油を使います。このほかには灌漑や給排水のポンプも石油で動きますし、トラクターや耕運機、コンバインといった農機具、スプリンクラーや大型の農薬散布機、場合によってはヘリコプターやセスナ機なども使います。保管するのにも大型の冷蔵施設が必要ですし、運搬車両にも冷蔵設備が必要になってきます。こういった原油高の影響は野菜だけでなくすべての食料品、もっと言うとほとんどの商品について同様の図式が当てはまるわけでして、原油高は物価高の最大要因となっています。
日本の政府はなんの打つ手もなく、ただ手をこまねいているだけです。しかし、食料品というのは一番の生活必需品ですから、せめて消費税をかけないとか、そういった方策がとれないものかなあ、と淡い期待を抱いてしまいますね。悪く勘ぐれば、物価が上がると消費税収入も増えるし、相対的に国の借金の減少にもなると、政府霞ヶ関は喜んでいるかもしれません。
税法では、たとえば腕時計で30万円を超えるものは貴金属類の扱いとなって、生活必需品と認められません。そんなふうに分けるのであれば、食料品は生活必需品だから消費税は徴収しないとか、たとえば500万円を超えるような高級乗用車は生活必需品ではないので消費税を30%にするとか、そういうふうにすればいいのでは、と庶民は考えますね。業界からの反発は必至ですが、高級品を買う余裕のある人はそれに係わる消費税を支払う余裕もあるはずですし、高いものほど高い割合の消費税にすると実質的な税収はかなり増加するわけで、逆に食料品の消費税をなくすことで食料品業界が増収増益となればその法人税も増加してやっぱり税収が増加する、とまあ、理想論を言えばそうなります。
実際にはそう簡単にはいかないでしょうが、近い将来、消費税の税率が上がるのだけは確実なようです。しかし、生活に不必要な高級品と、生活必需品である食料品の消費税が一律に上げられることになりそうで、どうにも納得がいきません。せめて食料品と家賃は据え置きにして、それ以外のところだけを上げるとかいうわけにはいかないものでしょうかね。
「衣食足りて礼節を知る」というのは真実でして、もし衣食が足りない人々が大勢いたら強盗事件がたくさん起きたり暴動になったりスラム街を形成したりしますし、もっと大勢いたら他国との戦争になります。そうならないようにすることを、セーフティネットといいます。セーフティネットを取っ払った世の中になると、日本中がニューヨークと同じくらい怖い街になってしまいます。で、現実はというと、実は着々とそうなりつつあるのです。
食べ物の話がいつの間にか愚痴になってしまいました。ちゃんとした料理の話はまた別の機会に。