三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

ニッポンチャチャチャ

2006年08月20日 | 政治・社会・会社
 昨日、今日と、女子バレーボールをやっています。日本はキューバと韓国に連勝しました。この2006年ワールドグランプリというのがどのような位置づけの試合なのかわかりませんし、そんなに興味があるほうではないのですが、ヒマだったので見ていました。日本のチームでは高橋みゆきさんという人が群を抜いて優れた働きをしていて、キューバチームは前に見たことのあるすごい選手が出ていなくて、かなりのハンディがあったような気がします。引退したのでしょうか。キューバ人の体のバネというか瞬発力というかスピードというか、そういうものが好きでキューバを応援していたのに、ちょっと残念でした。

 という話を知人にしたところ、どうして日本人なのに日本を応援しないのか、と聞かれて困ってしまいました。どうして日本を応援しなければならないのか尋ねると、日本人なら日本のチームを応援するのは自明の理であって、太陽が東から昇るのと同じくらい当たり前の話である、と言われました。あと、日本を応援しないのは非国民であると、冗談めかして言っていました。
 この人はまだ30代で頭も悪くないのに、どうしてこういう精神構造になってしまったのか、と嘆くよりも前に、もしかすると同じように思う人がかなりいるのではないかという疑問があります。そしてそれよりも不安なのは、日本を応援したいと思わないほうが少数派かもしれないということです。日本人なら日本のチームや日本人選手を応援するのが当たり前、と半数以上の日本人が考えているとしたら、ある意味で危険な事態であると言えそうです。
 ところで、同じ知人に、F1グランプリでは鈴木亜久里のチームを応援しているのかを聞くと、シューマッハ兄を応援しているとのことで、その整合性のなさはどう説明するのか聞いていると、F1は別だから、とのことでした。これで理解できる人はいないと思いますが、この人の中では当然のことのようです。どうしてでしょうか?

 ひとつの仮説として、F1もバレーボールも、もっと言えばオリンピックも、主にテレビで見るわけですから、テレビの取り扱い方によって感情移入の仕方も変わってくるのではないか、ということが言えると思います。F1の場合は、テレビ中継があまりスーパーアグリを応援していないというか、取り上げ方も力が入っていないので、見ているほうも優勝争いにからむ可能性のある有力チームを中心に見てしまいます。それでこの間のハンガリーグランプリのように重馬場というか雨のサーキットで有力どころがリタイアする中で、ホンダチームのバトンというドライバーが初優勝して、よかったね、というノリだったので見ているほうも、ああ、よかったんだ、と思ってしまいます。しかし他のスポーツの場合はたいてい日本選手や日本チーム中心の実況中継ですから、どうしても感情移入してしまうのは仕方のないところでしょう。つまり、テレビの中継の仕方で感情移入のありようも変わってくるものなのだと、そういうことだと思います。
 もうひとつの仮説としては、たとえばサッカーのワールドカップが日本で行なわれたときに、大分県の中津江村にカメルーン代表が宿泊したことがありましたが、直接に選手と親しんだ中津江村の人は日本代表をそっちのけでカメルーンの応援をしていました。そしてそのことを非難する人はひとりもいなかった。つまり、親しんだものをつい応援してしまうのが人情だということです。だから以前からF1中継を見ている人にとってはスーパーアグリなんて新参者に過ぎないわけで、当然ながら感情移入はできません。だから応援しないと、そういうことだと思います。

 ゲームや試合や競争を見るとき、我々はより親近感のあるほうを応援してしまうのがどうやら一般的な傾向なんでしょうね。それを日本人とか日本とか、果ては非国民だとか、そういうことに結び付けて考えてしまうのが、実はおかしいことなんです。そこのところを理解しないと、妙な愛国心が芽生えたりして、悪い方向に走ってしまう可能性がある。この道はいつか来た道・・・・と、そうなる危険性があります。

 テレビの中継についても、もっとフラットな立場で焦点の解説をしてくれると、スポーツもずっと面白く見ることができます。野球にしても打者と投手の駆け引きだとか、何故いまあの球を投げたのか、どうして見逃したのかなど、プロの選手のすごい技を解説してくれれば、どちらのチームも応援していなくても、試合を面白く見ることができます。加えて、球場の応援団が静かにしていてくれればなおよろしい。というのも、プロ野球中継が人気がないのはあの応援団のうるささに視聴者がうんざりしていることも一因だと思えるからです。相手の失敗に喜んだり、「残念でした」風の音を出したりして、オリンピックのフィギュアスケートでロシアの選手が転んだのを見て「やった」と思ったと、荒川静香本人に向かって言った、アホ丸出しの政治家と同じで、レベルが低すぎます。アメリカ人のレベルが高いとは決して思いませんが、少なくとも相手チームであっても見事なプレーに対しては拍手を惜しみませんし、応援しているチームであっても下手なプレー、やる気のないプレーに対してはブーイングもまた、惜しみません。
 こういう態度というのは特に褒めるべき態度ではなくて、普通の態度と考えなければなりません。逆に言えば、相手のミスを喜んだり鳴り物を鳴らしてうるさく応援したりするのが異常な態度なのです。さらに言えば、テレビの中継やマスコミの報道に惑わされずに、親近感も先入観も捨て去ってしまわないと、単に勝ち負けの話だけになってしまい、選手たちのすごい技量や駆け引きや、試合や競争の中にあるドラマを楽しむことができなくなってしまいます。ましてや愛国心と結びつけるのは言語道断と言わねばなりません。むろん元凶はマスコミなんでしょうが、その中継の仕方に簡単に左右されてしまい、結果だけに注目してしまう私たちの精神の脆弱性が、実はもっと問題なんですね。