映画「フォードvsフェラーリ」を観た。
http://www.foxmovies-jp.com/fordvsferrari/
ル・マンはあまり見なかったが、F1レースは時々テレビで見た。プロスト、セナ、マンセル、シューマッハなどが活躍していた頃だ。数日前に観た「男はつらいよ お帰り寅さん」の後藤久美子を見て、ジャン・アレジも活躍していたことを思い出した。
イモラ・サーキットでのセナの事故を最後にあまりF1レースを見なくなった。セナはやたらに後続車をブロックするのであまり好きなドライバーではなかったが、それでも事故は気の毒だった。その後はフェラーリが全盛期となり、どうも毎年のレギュレーションがフェラーリに都合よく変えられているように思えて、急速にF1に対する興味を失ってしまった。
F1中継は遠いカメラから俯瞰して望遠で映すので、あまりスピードを感じないが、オンボードカメラの映像はかなりの迫力があり、特にテールトゥノーズの場面はスリリングで興奮したことを憶えている。レースは直線のスピード比べとコーナーのブレーキング競争が醍醐味で、本作品にもその辺のシーンがたくさんある。映画は好きなように撮影できるから、本作品の映像ではF1のオンボードカメラを遥かに凌ぐ臨場感と緊迫感を味わえた。
マット・デイモンは、ロバート・ラドラム原作の「暗殺者」のジェイソン・ボーンを演じたときの切れ味鋭いアクションのおかげでアクション俳優という印象もあるが、セシル・ド・フランスと共演した「ヒア・アフター」(クリント・イーストウッド監督)やスカーレット・ヨハンソンと共演した「We bought a zoo」(邦題「幸せへのキセキ」キャメロン・クロウ監督)では、情緒豊かで思いやりのある役柄を演じ、演技派の俳優として認められたと思う。そして「サバービコン 仮面をかぶった街」(ジョージ・クルーニー監督)では、表面を飾った利己主義者をケレン味たっぷりに演じてみせた。
本作品では優しさ溢れる熱血漢キャロル・シェルビーを演じ、ときにいたずらっ子のような側面も見せて、非常に魅力的なキャラクターの主人公を作り上げた。もうなんでもできる役者である。ダブル主演のクリスチャン・ベールも、3歳時のわがままさと素直さとひたむきさを残しながら中年になったようなマイルズを存分に演じた。
作品の構図は、自動車の能力向上とその証としてのレースでの勝利を目指す純粋な男たちと、利益第一の資本家の力関係である。フェラーリはF1でオフィシャルに圧力をかけたが、昔からそういう会社であったことがわかる。フォードはアメリカらしく大量生産の会社だが、自動車は精密な機械だ。少なくともエンジニアは大雑把ではない。
自動車は人を載せてある程度以上のスピードで走る輸送の道具である。当然ながら安全が第一だ。F1マシンのコックピットは相当に頑丈に作られていてドライバーを守る。それでもセナの事故は起きた。自動車レースは常に危険と隣り合わせなのだ。
本作品のレース映像は屈指の迫力である。それは主にカメラの位置の低さによるものだとは思うが、事故が起きないかとハラハラする気持ちも手伝って、手に汗握りながら観ることになる。おかげで153分の上映時間があっという間だ。むしろ短く感じるくらいである。
キャロル・シェルビーの演説のシーンに、10歳の頃になりたかった職業に就くことができるのは一握りの幸運な人々であり、幸いなことに自分もそのひとりだという言葉があった。まさにその通りであるが、そのためには多くの障害を乗り越え、多くの妥協もしなければならない。
本作品は二人のレーサー兼エンジニアの生き方に人生の真実を投影する。彼らは自動車の発展に寄与し、人々にレース観戦の楽しみを提供してきた。失うものも多かった二人だが、得るものも多かった。人を恨まず、状況を受け入れて真っ直ぐに努力した彼らの生き方に、爽やかな感動を覚えたのであった。