映画「Cold Case Hammarskjold」(邦題「誰がハマーショルドを殺したか」)を観た。
怖い映画である。並みのホラー映画よりもずっと怖い。何が怖いかと言えば、本作品で紹介されているのと同じような事例が世界中で起きているに違いないと思わせるところが怖い。
当方はいわゆる陰謀論者ではないので、何でもかんでもCIAの陰謀だと言うつもりはないが、かつてラングレーに所在して3万人とも言われる職員が働いていた組織が、実は大したことはしていませんでした、という方が逆に信じ難い。似たような組織であるMI6やモサド、かつてのKGBも、世界情勢をただ調べて報告するだけの組織ではなかった筈だ。国防総省のNSAやDIAがどういうことをしていたのかはスノーデンの告発に詳しい。本作品の中で何度も言及される、ジェームズ・ボンドでお馴染みのイギリスのMI6は対内工作のMI5に対して対外工作を担当しているらしい。いずれもトム・クランシーやロバート・ラドラムの小説からの受け売りだが、当たらずと言えども遠からずの筈だ。本当のところはおそらく当事者にしかわからないようになっているのだと思う。
そういうブラックボックスみたいな組織が60年近く前に何をしたのかを探ろうとするのが本作品である。国家権力の裏の顔とも言うべき組織を探るのだから、それ相応に危険が伴うのは当然だ。本作品があたかもフィクションであるかのように撮影されているのは、少しでも作品の影響力を弱めようとしているための気がする。諜報機関の存在自体を相対化する狙いもあるだろう。裏の組織と言っても人間で構成されている訳だし、考えてみれば彼らも役人だ。精神構造は前例踏襲主義と保身で成り立っている。
役人にはいくつか種類があり、当方の勝手な分類では、手続を担当する事務職と実行部隊である現場職のふたつがある。霞が関の官僚はみんな事務職であり、警官や自衛官などは現場職だ。と言っても警察の上部組織や自衛隊の上部組織は事務職であり、官僚である。
事務職の中には現場職に命令を下す立場の人間がいて、現場職は基本的に上官の命令を忠実に実行する役割である。現場に出る警官は皆そうだ。権力構造がそうなっているからで、現場職の仕事は権力の実力行使である。つまり権力の忠犬だ。犬のお巡りさんがどうして犬なのかがおわかりいただける話である。猫のお巡りさんだと勝手気儘過ぎて権力の実力行使がカオスになってしまうのだ。犬ぞりはあるが猫ぞりがないのと同じ理屈である。犬は命令に従い、吠え、噛み付く。犬は役人に向いているが猫は向いていない。
権力の走狗たる役人たちが、前例を踏襲し自分たちの既得権益を守るために何をしたか。そこには常識では考えられない異常な精神性がある。森友問題で嘘八百を並べ立てた前国税庁長官や新財務事務次官の厚顔無恥な国会答弁を思い出すと、役人の中でも上級官僚になるとほぼサイコパスと同じような精神性になることがわかる。そうでない役人は国民のためにならない不正なことをした事実を恥じるし、中には自殺する人もいる。
権力は異常者を生み出し、権力を背景とした実力行使をする。「007殺しのライセンス」みたいに殺人などの重大犯罪を犯しても権力によって守られる。各国の権力が互いに実力行使をすると戦争になるが、戦争にならない程度に闇に紛れて現場をかき回すのが諜報機関だ。現場は暴力にまみれて裏切りや逃亡が横行する。忠犬だったはずの役人たちが猫のように自分勝手になるのだ。それを次にやってきた現場職が制圧する。
役人と言っても武器や格闘術がある現場職だからやることは恐ろしい。国連の事務総長を殺すくらいは朝飯前だろう。アメリカには巨大な軍需産業がある。世界の紛争がなくなると軍需産業は衰退し、場合によっては消滅する。紛争が必要な人々は権力に働きかけて紛争の火種を絶やさないようにするだろうし、その実行部隊は現場で雇う傭兵と役人たちだ。トランプ大統領の発言はまさに軍需産業を代弁している。誰がハマーショルド事務総長を殺したのかは明らかである。
世界の紛争は必要だから起きている。人々の不寛容や無理解はマスコミやネットを通じて刷り込まれる。これからも何人ものハマーショルドが殺され続けるだろう。本作品を観て悪い予感を覚えない人はいないと思う。