三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「銃 2020」

2020年07月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「銃 2020」を観た。
 村上虹郎が主演した前作「銃」に比べると、世界観の矮小化は否めない。加えて、銃を持っていることによる主人公の心の揺れはあまり描かれず、幼少期からの不幸やトラウマばかりが描かれる。これでは銃を拾ったことがテーマになりえず、タイトルがおかしいということになる。佐藤浩市や友近、加藤雅也が振り切った演技をしていただけに、なんとも主人公の描かれ方が残念である。
 子供の頃から人格や尊厳が蹂躙され続けると、無自覚に他人の人格や尊厳も蹂躙するようになる。暴力を受けて育った子供が暴力を振るう人間になるのと同じである。主人公はまさにそういう人間だが、銃を拾ったことがエポックメイキングな出来事になるためには、主人公のどこかにまともな部分がなければならない。
 しかしそういう部分は描かれることなく、立ちんぼで客を騙して1ミリも罪悪感を覚えない人格破綻だけが描かれる。人格破綻者には感情移入できないから、観客からすれば銃を拾ったクズ女のストーリーを観せられることになってしまった。主演した日南響子が気の毒になるような作品だ。
 施設で育っても、優しい人に出会う期間があれば、その頃の思い出を心の灯にして生きていける。銃を拾ったことでその灯を消してしまうことになるとすれば、主人公の心の揺れは大きく、観客も感情移入できるかもしれない。また、そういう主人公であれば、佐藤浩市や友近の演技も生きてくるだろう。
 前作と殆ど同じスタッフなのに、出来が悪すぎる。観ていて楽しくなかったし、悲しいとも辛いとも面白いとも思わなかった。感情を揺さぶられない映画を観るのは時間の無駄である。村上虹郎と日南響子で演技力の差がそれほどあるとは思えず、もしかしたら前作にあった主人公のモノローグが、観客を感情移入させていたのかもしれない。思考実験的な意欲作であった前作のイメージがあったので楽しみにしていたのだが、残念だった。