三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Minding the Gap」(邦題「行き止まりの世界に生まれて」)

2020年09月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Minding the Gap」(邦題「行き止まりの世界に生まれて」)を観た。
映画としては観ているのがつらい作品だ。登場人物の多くが、自分では望まなかった状況に落ち込んでいく。全部が全部本人のせいという訳ではなく、全部が全部環境のせいという訳でもない。何が悪かったのだろうか。
子供に「無限の可能性」などないことは大人なら誰でもわかっている。生まれ育った環境で既に将来は限定的になっているのだ。大都会の裕福で円満な家庭に生まれた子供と、紛争地域の貧乏で子沢山のあばら家に生まれた子供とでは、おのずから将来が異なる。
本作品の主人公たちは、いずれも問題のある貧しい家庭に生まれ育った。その時点で既に将来は限られている。高等教育を受けられないから、自分なりの価値観を形成することができないまま大人になる。そうすると世間の価値観をそのまま受け入れることになる。ちゃんと働き、金を稼いで親孝行する、子供には高等教育を受けさせていい人生を歩ませるといった価値観だ。
しかしそんな価値観は人生にとって本質的ではないことに次第に気づいていく。白人のザックは大人になって漸く気付きはじめるが、気付いたときには既に人生を台無しにしてしまっていた。
中村元さんが訳した「ブッダのことば:スッタニパータ」によると「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は実に喜ぶことがない」という悪魔パーピマンの問いに対して、ゴータマは「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない」と答えている。
避妊技術が発達して避妊具が行き渡っている先進国では、子供を作るかどうかはある程度計画的なテーマである。しかしそうでない地域もある。たとえば小競り合いのような戦闘がずっと続いているアフガニスタンでは、タリバンが支配した1996年には人口が1840万人だったのに現在では3000万人を超えている。治安が悪い地域、貧しい地域ほど子沢山の傾向があるのだ。
本作品の舞台であるロックフォードもアフガニスタンほどではないにしろ、おそらく治安が悪くて貧しい地域なのだろう。主人公たちはそのあたりも自覚していて、この場所には未来がないと思っている。しかしどこに行けば未来があるのだ。他所の街では収入の当てはないし、仕事の当てすらない。とはいってもロックフォードにしがみついているだけでは何の発展もないだろう。
八方塞がりのような彼らだが、思い切って一歩踏み出すことでそれなりに道は開ける。世間の価値観で自分を判断して落ち込むようなことは無駄なことだ。ブッダの悟りにまでは永遠に至ることはないだろうが、暴力を振るった親たちの価値観を超えることはできる。そのあたりに微かな希望が見える気がした。