人の中身はいくつになっても子供のままである。気の弱い子供が気の強さを獲得することはなく、飽きっぽい子供が粘り強い大人になることはない。それは老人ホームに入居するほどの老齢になっても同じである。
本作品を観ると、これがドキュメンタリーなのかと疑うほど、入居者の老人たちは生き生きとしている。何かの撮影だとして施設にカメラが入っていることを入居者全員が承知しているが、新しく入居してきた83歳のセルヒオがスパイだと知る入居者はいない。
入居者たちはもはや立場を守る必要がないから、恐れずに話したいことを話す。もちろん虚栄心や自尊心は子供のままだから、嘘も吐くし話を大きくしたりもする。ただ、人生経験が長いから、他人を傷つけるような言葉は言わない。
施設長はいい人だし、介護士やその他の従業員もきちんと真面目に仕事をしている。いい施設なのだ。しかしセルヒオの目には、ひもすがら茫然と過ごす入居者たちは、既に生きがいを失っているように見える。当方にも、彼らが棺桶に向かう長い行列に見えてしまった。
どこに問題があるのか。あまり面会に来ない家族か。いや、面会に来ないのではなくて来れないのかもしれない。とすると、何が悪いのか。セルヒオには答えが見つからない。
超高齢化社会は日本を先頭に、既に世界中ではじまっている。労働人口の割合も減っているから、少ない人数で多くの老人たちの老後を支えなければならない。働かなければならないから親を施設に入居させる。その料金を支払うために沢山仕事をしなければならない。すると労働時間が長くなるから面会に行けない。
富の分配であるセーフティネットがあまり上手く働いておらず、そのうちどの国でも金持ちの割合が減少して殆どが貧乏人になるだろう。貧しい地域で発生するスラム街が国中に広がっていく可能性もある。医療を受ける収入がなく、健康保険料も払えなくなり、病院に行くこと自体が不可能となってしまう。病気の老人からまず見捨てられ、次に収入のない老人が餓死していく。若者は自殺したり、戦争に行って死にたいとナショナリストになったりする。
一方で、こういう社会問題はいつの世にもあったとも言える。富める人たちだけが楽をし、貧乏人は苦労して苦労して、ボロボロになって老いた日々を過ごす。日々の小さな出来事だけが楽しみだ。人間はかくも悲しく生き、かくも悲しく死んでいく。面白くもあるが辛くもある作品であった。