三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ロボット修理人のAi(愛)」

2021年07月19日 | 映画・舞台・コンサート
映画「ロボット修理人のAi(愛)」を観た。
 http://roboshu.com/

 ファンタジー映画である。タイトルにあるようにAIが登場する。アイザック・アシモフが紹介したロボット工学三原則の見本のようなロボットが、HONDAのASIMOやSONYのAIBOだと思うが、本作品ではSONYのAIBOが扱われる。AIBOはその名前のとおり、AI搭載のロボットだから、機械的な駆動部分と、飼い主との触れ合いを学習するソフト的な部分によって成り立っている。初期の販売価格は185,000円で、中古の軽自動車が買えるくらいの高額だ。しかし生きている犬はもっと高いし、エサ代や病院代、小物類の消耗品費や犬が壊す家の修理費などを考えると、AIBOは費用対効果の面でとても優れている。それに衛生的でもある。

 本作品の主人公倫太郎は、終映後の舞台挨拶で主演の土師野隆之介くんが紹介したように、孤児ではあるが周囲の愛に支えられてグレることなく真っ直ぐに成長し、みんなから愛され続ける人気者になった。それはみんなの愛によって、倫太郎自身が思いやりのある、愛のある少年に育ったからである。それに加えて頭がよくて身体が丈夫な働き者なら、人気者になって当然である。
 町ぐるみで応援されている倫太郎だが、孤児である以上、出生の悩みはどこまでも付いて回る。本作品は偶然から出生の秘密に迫ることになった倫太郎がどのように振る舞うかを描く。存在さえ忘れていた妹との邂逅。ファンタジーらしく幻想と現実が上手く交錯する。
 AIBOは現実のシーンと幻想のシーンの両方で活躍する。AIBOがなかったら本作品は成立しなかったかもしれない。AIBOの修理を完璧なレベルにしたいという倫太郎の、エンジニアというよりも科学者のようなこだわりも、AIBOとともに本作品に不可欠だと思う。

 総じてとても優しい作品で、街の人も倫太郎自身も、思いやりに溢れている。こんな町が本当にあったらすぐにでも引っ越したいくらいだが、ファンタジーはあくまでファンタジーだ。現実は上手くいかないことだらけである。
 しかし本作品がDVDやブルーレイになって発売されるようであれば、ときどき鑑賞して心のササクレを治したい気がする。

映画「走れロム」

2021年07月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「走れロム」を観た。
 
 時代が不明である。映画紹介サイトの解説には「ホーチミン市」ではなく「サイゴン」と明記されているが、ホーチミン市の中心部のことだろうか。それともベトナム戦争が終結する前のサイゴン市のことだろうか。
 数年前にハノイに数日間行ったことがあるが、誰でもスマホを持っていた。本作品にはスマホは登場しないから、ホーチミン市以前の話なのか、それともスマホも所持できないほど貧しい人々ばかりなのかもしれない。登場人物は女子供と年寄りがほとんどで、もしかすると若い男はみんな戦争に駆り出されているのかとも思った。
 もし現在のホーチミン市の中心部を扱っているのなら、スラムのような場所に貧しい人々が犇めきながら住んでいることと、働かないで宝くじばかりやっているそこの住民たちを映し出す映画を、社会主義の当局が検閲で許可するとも思えない。しかしその一方、ベトナムも中国の役人のように賄賂天国で、金さえ出せば検閲にも手心を加えてもらえるという可能性もある。実際に本作品中の違法宝くじの胴元は当局と結びついているから取締を受けない。
 ベトナム語がわかれば、現在なのかベトナム戦争終結以前なのかは言葉で解るのかもしれないが、当方にはわからなかった。
 
 ただ、時代がどうあれ、本作品で扱われている、貧しい人々が自分の利益だけを考えて一攫千金に走る現象は、昔から普通に起きていると思う。暖かい国では酔っ払って道路に寝ても凍死することは少ない。住居の心配がそれほどないのだ。隙間だらけの家でもいい。寒い国のように常に家の補修を行ない、暖房のための燃料を確保するために働き続けなければならないのと比べて、暖かい国ではいきあたりばったりでも生きていける。勢い怠け者になり、やりたくないことはしないから、不労所得を求めるようになるのは自然の流れだ。
 本作品に登場する低収入地域の住民の家は、勝手に他人が出入りするほど防犯性が低く、財産を安全に管理できない状態である。贅沢をするためにはまず大金を手に入れてちゃんと鍵のかかる家に住むことが第一だ。普通に働いていてはそんな金は一生稼げない。そこで宝くじに手を出すのだが、宝くじは賭博と同じで、のめり込むと人生観が刹那的になり、拝金主義に陥る。まさに本作品に登場する人々だ。
 我慢することをしないから、暴力が日常的で、人から暴力を振るわれるのも人に暴力を振るうのも普通のことになってしまう。ボニー&クライドのように絶望的な日々で、いつか破綻することは目に見えている。
 主人公の少年ロムの人生は、更生して堅気の生活をする可能性はとても低く、おそらくは裏社会に入って暴力の日々を送るか、または若くして非業の死を遂げるか、あるいはその両方になるのだろう。
 原題は「Rom」で「走れ」などとはどこにもない。邦題の「走れロム」は、ロムが実際に作品の中で走り回っているから、疾走感や躍動感を出したかったのかもしれないが、ロムの走る先には絶望しかない。原題の通り「ロム」だけにしておいたほうがよかったと思う。