三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Never Rarely Sometimes Always」(邦題「17歳の瞳に映る世界」)

2021年07月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Never Rarely Sometimes Always」(邦題「17歳の瞳に映る世界」)を観た。
 
 性犯罪は加害の対象が財産ではなく身体であることから、被害者の心を深く傷つける。同じく身体を攻撃する傷害は被害が医学的に明らかであるのに対し、性犯罪は被害を物証によって証明することが難しい。加害者側や冷酷な裁判官がそこを追及すると、被害者の心はさらに傷つくことになる。性犯罪は、被害者の身体だけでなく、人間としての尊厳を傷つけるのだ。
 人工妊娠中絶を肯定するか否定するかは、宗教も絡んで複雑な議論となっている。しかし性犯罪の被害者が人工妊娠中絶を望むのは不自然ではない。動物や昆虫の雌が雄を選ぶように人間の女性も、もし子供を望むとしたら、自分で選んだ男性との子供を望むのではないだろうか。
 
 本作品のハイライトは、多くの人が同意見だと思うが、原題でもある4択の回答例を出してカウンセラーが主人公オータムに質問する場面である。性行為についての質問をするのだが、初体験の年齢や相手の人数を聞く。場合によってはノーマル、アナル、オーラルなどの際どい質問もするが、オータムは淡々と答えていく。しかし相手との関係性を4択で質問するあたりから、オータムは答えられなくなる。それはオータムの人格が傷つけられた体験であるからだ。
 物語の中では明かされないが、赤ん坊の父親は誰なのか。オータムの母親はオータムのことを気遣っている。そういう場合、娘と母親の関係は良好である。しかしオータムは妊娠のことを母親に相談できない。オータムには幼い弟妹がいて、母親は弟妹の世話で手一杯である。オータムの父親と夜の相手をするのも大変だ。父親がオータムを見る目は怪しさで溢れている。ということで本命は父親。対抗は学園祭で下品な掛け声をかけたアホ男子だ。相手の人格が低劣なだけに、尚更オータムの心は傷つく。だから4択の質問に答えられず泣いてしまう。
 
 オータムを演じたシドニー・フラナガンはまだ無名の女優だが、17歳のオータムの幼さと勇気の両方を上手に演じていた。相手役の従姉妹スカイラーを演じたタリア・ライダーが素晴らしい。2002年生まれで撮影時は17歳か18歳であったが、幼さの残るオータムよりもずっと世の中を知っていて、感情に流されることなく現実的に行動するスカイラーをリアルに演じる。ときには現金を盗み、時には嘘を吐き、時には唇を与えて現金を得る。大人でも舌を巻く強かさだ。
 
 ニューヨークは、行ったことのない当方から見ると、相当危険な街だという印象だ。ワルがそこら中にいるだろうし、拳銃を持っているかもしれない。若い女性は格好の獲物だ。しかしスカイラーの判断力と夜の下町に近づかない賢明さによって、なんとかニューヨークの夜をやり過ごす。これは本作品のコンセプトに従ったストーリーだと思う。主人公をこれ以上酷い目に遭わせると、物語のテーマがずれてしまうのだ。それにしても、二晩も寝ないでいられるとは、さすがに17歳の体力である。
 幼い精神性の残るオータムだが、スカイラーの助けもあって勇気を出して行動した。彼女にとっては4日間の大冒険だった。この体験はオータムを生涯にわたって勇気づけるだろう。これからはノーと言える人生を送るのだ。