三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「SEOBOK ソボク」

2021年07月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「SEOBOK ソボク」を観た。
 
 主演のコン・ユは前出演作の映画「82年生れ、キム・ジヨン」で初めて見た。自由を求める妻と封建的な実家の家族との間に挟まれて、優柔不断な態度の気弱な夫を上手に演じて見せていて、なかなか好感が持てた。本作品でもそれと似たような優柔不断な工作員ギホンを演じていて、やっぱり上手い。こういう役がハマっているのだろう。クローンの青年ソボクを演じた俳優は、無表情の中に悲しみが見えて、こちらもとても上手だった。
 
 映画紹介サイトでは「危機的な状況の中で逃避行を繰り広げるギホンとソボクは、衝突を繰り返しながらも徐々に心を通わせていく」とあるが、少し違う。ソボクは人工的なミュータントであり、人工的ということから、自分のアイデンティティに疑問を持つ。何のために生み出されたのか、永遠に生きるとはどういうことか。その疑問をそのままギホンにぶつけるのだが、その哲学的な問いかけにギホンは戸惑い、返す言葉がない。
 推測だが、工作員であったギホンは命令に従うことに慣れ、自分で考えることに慣れていない。ソボクの問いかける疑問など、考えたことすらない。上の者の命令に従い、それが正義であると信じてやってきた。しかしソボクの問いかけは、正義云々よりも前の、生きるとは何かという人生観の問いかけである。ギホンは自分の来し方を振り返るが、そこに答えはなかった。
 ストーリーはソボクを巡る3つの陣営の争いだが、アメリカは直接手を下すことはなく、韓国内の官僚と大企業の経営者との戦いとなる。ソボクを守るためにはどちらを信じるべきか。ギホンは単純だから、信じられないと判明した逆の側を信じる。しかし現実はもっと複雑だ。ギホンが工作員としてやっていけなかった理由がこの単純さにあるのだろう。もうひとつは非情さに欠けることだ。
 
 二人きりの逃避行で互いに影響し合う訳だが、ソボクがギホンに影響されたのに対して、ギホンの方は根本的にはまったく変わっていなかった。ソボクの問いかけに、世界とは、生命とはというテーマを少しだけ考えてみた程度だ。もしソボクから影響を受けていたら、最後に銃弾を向けるのは自分の脳だったはずである。
 そうなれば、ひとり残されたソボクに、さらなる哲学的な自問自答が湧き起こる。そこでソボクがどのように考え、どのような行動を選ぶのか、それが観たかった。あのシーンと哲学の組み合わせは頗るレアだと思う。少なくとも当方は観たことがない。しかし期待した展開にはならなかった。途中まで実存的な会話が続いて面白かったのに、最後にありきたりな世界観で終わってしまったのがとても残念である。ダメ男のギホンは、最後までダメ男で終わってしまったのであった。