三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「手」

2022年09月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「手」を観た。
手 | 映画 | 日活

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趣味、おじさん観察。年上好き。同世代の彼と出会って、日常が、心が動き出すー。『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟が描く恋愛のリアル。「ROMAN PORNO NOW」第1弾作品。

日活

 セックスと女性の自立を描いたらこうなりましたといった作品である。男は常に能動的で女は常に受け身だと思ったら大間違いだ。セックスで女がどんなに感じても、どんなに深くオルガスムスに達しても、それで女を支配したと思ったら、それもやっぱり大間違いだ。
 女が恋の奴隷だった時代はもう終わった。いまは女もセックスを楽しむ時代である。性器だけでなく手や口でも女に快楽を与えられるように、男を訓練する。男の快楽は女を悦ばせることにある。女の快楽はそのように男を仕向けることだ。
 キスをする前に「キスしていいですか」と聞いたり、入れる前に「入れていいですか」と聞くのは、男の責任逃れである。女がNOと言わないことを見越しての質問であり、男の狡さが丸見えだ。
 
 セックスは個人的なものだから、人によって千差万別である。性格と互いの関係性に大きく影響される。どのようなセックスを望むかも人それぞれだから、セックスのありようは無限と言っていい。
 大江健三郎が描いた性交は、男は挿入時に形而上的な思考をし、女は男の肛門を刺激するというややこしいものだった。心理描写が的確だったから、なるほどこういうセックスもあるのだなと妙に納得したことを覚えている。
 
 本作品のヒロイン寅井さわ子は現代っ子の側面もあるが、世間の価値観にとらわれないニュートラルな心の持ち主である。「ダサい」という言葉はさわ子にとっては褒め言葉だ。
 おじさんたちの好色も狡さも厚かましさも、さわ子は可愛いと思う。世の中の男たちにしてみれば女神のような女である。
 だから誘われる。そしてさわ子は断らない。幅広い年齢の男遍歴の挙げ句に、さわ子はこれまでの自分が本当に求めていたものを知る。それは父の手だ。そこから卒業しなければ、人生に次のステージはない。
 ラストシーンのさわ子の涙とクスリとした笑顔は、女神あるいは菩薩のようなさわ子のこれからの人生が、きっと晴れやかなものになることを予感させる。とてもいい作品だった。

映画「雨を告げる漂流団地」

2022年09月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「雨を告げる漂流団地」を観た。
映画「雨を告げる漂流団地」公式サイト

映画「雨を告げる漂流団地」公式サイト

スタジオコロリドが贈る長編アニメーション映画第3弾『雨を告げる漂流団地』。大ヒット上映中! Netflix全世界独占配信中!

映画「雨を告げる漂流団地」公式サイト

 

 様々なパラダイムに心が雁字搦めになった子供たちを描く。製作者の意図とは異なるかもしれないが、子供たちの独善的な台詞は、独善的なパラダイムに由来していることがよく解る。それは即ち、子供たちの生きてきた環境である社会そのものが独善的だということだ。

 
 子供たちは羞恥心と虚栄心と嫉妬心に支配されて、心が不自由になっている。それが序盤の設定だ。中盤の前半では団地が漂流しはじめた状況に戸惑い、当面の状況を何とか打開しようとあたふたする。中盤の後半では状況が厳しくなり、ヒステリックになったりもするが、みんなで対策を考えたり、リーダーシップを執ったりする。終盤は大団円に向けて子供たちに最後の試練が待っている。起承転結がはっきりしたメリハリのあるストーリーで、作品としてよくまとまっている。
 
 大冒険を終えると、子供たちは時の流れや時代が移り変わることを改めて理解する。それは価値観も時代とともに変わっていくということだ。つまり時代や大人の価値観は絶対ではないことに気づいたのである。子供たちはこれまで自分たちの心を支配してきたものから少しだけ解放されて、精神的に少しだけ成長する。この 少しだけというところにリアリティがあり、とても好感が持てた。