草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

幸福度調査はお上の越権行為

2010年03月01日 | 思想家

 GDP(国内総生産)とは別に、国民の幸福度を調査するというのは、問題のすり替えでしょう。鳩山政権や民主党のやることは、首を傾げたくなることばかりで、付き合いきれないよね。要するにGDP以外の調査項目を並べ立てて、自分たちの無策を隠蔽したいんじゃないのかな。それだけ経済の舵取りについての自信がないんだと思うよ。それに幸福度という言葉自体が好きになれないし、嫌な感じがするよね。個人的なレベルの部分もあり、お上がとやかく言うべきではないよ。お上がやるべきは、新たな成長戦略を示すことでしょう。鳩山首相のように、月1500万円の子供手当てをもらっていた人の発想は、一般庶民とはかけ離れているよね。この場にいたって、何が幸福かを論じようというんだから。ハンナ・アーレントは「人間の心は人間の眼が入り込むことのできない暗闇の場所である。心の特性は暗闇を必要とし、公衆の光から保護されることを必要とし、さらに、それが本来あるべきもの、すなわち公的に表示してはならない奥深い動機にとどまっていることを必要とする」(『革命について』)と書いていたっけ。各個人の心の暗所を国家権力が土足で踏みにじったのがナチズムであり、スターリン主義だったわけで、いくらソフトな語り口であっても、鳩山政権や民主党は、それとまるっきり同じだよ。一党独裁の中国共産党と民主党が友党になのも、目指すべき方向が一致しているからじゃないの。そうでなければ、幸福度を調査するという、越権行為をするはずがないから。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

 人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアイベントとしての偏向報道

2010年03月01日 | 思想家

 マスメディアによる偏向報道には腹が立つから、テレビのニュースやワイドショーなんかほとんど見ないけど、国民への影響力はまだまだ無視できないよね。高瀬淳一の『情報と政治』によると、偏向報道は「合理的な非中立性」「政治的な非中立性」「文化的な非中立性」の三つに分けられるんだって。「合理的な中立性」というのは、報道ですべての党派や政治的な動きを取り上げられないので、そこで選別が行われるということだよ。「政治的な非中立性」というのは、新聞社やテレビ局が特定の政治的な意図を持っていることで、当然批判されてもしかたがないよね。一番問題なのは「文化的な非中立性」なんだよね。高瀬は「マスメディアは、報道内容に作用する癖をもっている。そうした癖に基づく非中立性は、合理的でも政治的でもない。メディアのもつ文化特性に由来する点からすれば、文化的としか言いようがない」と述べるとともに、テレビのニュース報道の特徴として、「映像化」「即時化」「人物化」を挙げているよ。刺激的な映像を流したり、臨場感を演出したり、政策それ自体ではなく、政治家の駆け引きや対立がクローズアップされるということだよ。そして、面白いテレビドラマに仕立て上げるんだよね。先の総選挙での政権交代も、そうしたシナリオが描かれていたんじゃないのかな。民主党、社民党、国民新党による新政権が誕生して、メディアイベントとしては最高だったわけだから。特定のイデオロギーにもとづく番組製作はチェックしゃすいけど、「文化的な非中立性」については、別な価値尺度が必要だと思うよ。娯楽性が強くなりすぎて、政治が真正面から論じられなくなっているわけだから、国民がマスメディアに愛想をつかすのもあたりまえだよ。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

 人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする