草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

春日八郎と昭和維新の歌

2010年03月03日 | 思想家

 春日八郎の「昭和維新の歌」を聞いて、なぜか切ない思いがこみこみあげてならなかった。春日節とまで評される独特の節回しが、悲壮感をただよわせるのだろうか。春日は大正13年10月9日、会津坂下町塔寺に生まれた。昭和27年のデビュー曲「赤いランプの終列車」をはじめ、「お富さん」「別れの一本杉」「山の吊橋」「長崎の女」は、今でも多くの日本人に歌い継がれている。春日は戦後のどさくさの時期に、ギターを片手に、会津地方の演芸会を荒らして回ったそうだ。そして、歌手になるために上京したのだという。奥さんや子供もいたともいわれるが、後ろ髪をひかれつつ、故郷を後にしたに違いない。一度だけ、坂下二中の体育館で行われた歌謡ショーで春日を見かけたことがある。たまたま風邪をひいて熱があったんもかかわらず、最後まで歌い通したのが印象的だった。春日は平成3年10月22日に死去しており、この世を去ってから約二十年近くの歳月が経過したことになるが、つい最近になって春日が軍歌を吹き込んでいたのを耳にして、身が震える思いがした。とくに「昭和維新の歌」には聞き惚れてしまった。『現代会津坂下町文化人の素顔』という小冊子で、春日は「会津人としての誇りをもって話をすることがあります」と述べるとともに、戦後腑抜けになってしまった日本人を「ややもすると魂が抜けて骨抜きになっているかのようにみられやすい」と批判していた。そして、「白虎魂をもって、人に後ろ指を指されることのない人間として生きてゆきたい」との言葉でしめくくっていた。郷土や日本をこよなく愛した春日は、一本筋の通ったバックボーンを持っていたのではなかろうか。

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おべんちゃら首相はもうたくさん

2010年03月03日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相のおべんちゃらにはまいってしまうよね。4月から政府が導入を目指している高校の授業料無償化をめぐっても、朝鮮学校を含めるかどうかで二転三転しているみたいだけど、問題となっているそこの生徒と面会するというのは、いくらパフォーマンスだとしてもやり過ぎでしょう。誰に対してもおべんちゃらを言うわけだから、その場で余計なことを言いかねないと思うよ。朝鮮学校が北朝鮮の影響下にあるというのは明々白々なわけで、日本人拉致事件が解決していないのに、そこまでする必要はないわけだし。日本海海戦で日本がロシアに勝ったのは、連合艦隊司令長官だった東郷平八郎のおかげだといわれているよ。東郷というのは、それこそ謹厳寡黙な人物で、おべんちゃらとは無縁な人物だったんだよね。だからこそ、存在感があって、部下も信頼して付いていけたんじゃないかな。下村寅太郎も『東郷平八郎』のなかで「東郷大将の生涯も性格も純粋に古典主義的に簡素・簡潔であって浪漫的多彩性はない。あたかも墨一色の一輝の書に似ている。光栄の艦橋を去ったのちは、謹厳寡黙な生活に沈潜している。外的には比類なき栄光に包まれながら大将自身はいよいよ簡素に、いよいよ寡黙に、いよいよ単調に存在した。それが東郷大将の本来の面目であった」と述べているように、古武士然とした風格があったんだよね。口数が多くておべんちゃらだけの鳩山首相は、東郷の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいと思うよ。

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