民主党に政権を任せたおかげで、国民は大変な付けを払わせられようとしている。政治と金の問題だけではなく、安全保障の面でも腰が定まっておらず、右往左往している。無為無策過ぎて、経済政策は点数のつけようがない。それでいて、居直ることにかけては天下一品だ。前政権を批判すればすむと思っているからだ。国際政治学者の高坂正堯は『国際政治』のなかで、国家の三つの側面として「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」を挙げているが、現在の民主党政治は、その三つの側面のいずれにおいても、無責任極まりない。「力の体系」については、自衛隊や警察を厄介者扱いにし、努力をしなくても、簡単に「平和」と「安全」が手に入ると錯覚している。「利益の体系」については、グローバリゼーションによって、経済面での国家への過剰な期待は慎むべきであるのに、先の総選挙では、できもしないマニフェストを掲げたりして、国民に幻想を振り撒いている。もっとも致命的なのは、「価値の体系」についてである。日本人を日本人たらしめている国の大本を、根底から破壊しようとしているからだ。先祖を敬うことで続いてきた家族の絆や、日本という国家の歴史を否定しようとしており、危険この上ない。声なき声の多くの国民が立ち上がらなければ、日本人はまさしく亡国の民となってしまうだろう。日本は今、かつてない危機に直面しているわけだから。
今月8日から一週間にわたって流されるテレビCMに、鳩山由紀夫首相が声で出演し、温暖化防止を訴えることになった。国民からそっぽを向かれているのに、パフォーマンスだけで人気が回復すると思うのは、浅知恵でしかない。孟子は「恥の人の心における大なり。機変の功を為す者は、恥を用ふる所なし」と断じているが、「平成の脱税王」とまで呼ばれているにもかかわらず、鳩山首相が小細工ばかりを弄するのは、恥じる心がないからだろう。吉田松陰も『講孟余話』のなかで、「君子の恥づる所は内実なり。抑々恥の一字は本邦武士の常言にして、恥を知らざる程恥はなし」と述べている。君子にとっての恥というのは、徳義がないことであり、それは小人が恥ずかしく思うような外見の問題ではない。さらに、武士が常に口にするのが恥という言葉であり、恥を知らないというのは、もっとも恥ずかしいことだというのだ。「人を以て恥づることなかる可からず。恥づることなきをこれ恥づれば、恥なし」という孟子の言を踏まえて、松蔭は恥について論じたのである。鳩山首相が指導者として失格なのは、恥じを知る心がないことだ。鳩山首相に対する国民の信頼がなくなってしまった今となっては、いくらテレビCMに登場しても、国民の心をつかめるわけがない。