草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

詭弁を弄するだけの鳩山首相

2010年03月12日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相は、その場その場で調子を合わせる詭弁家そのものだ。修辞を弄するということで、「女の論理」を問題にしたのが花田清輝であった。鳩山首相の答弁やコメントを聞いていると、まさしく、「女の論理」そのものではないかと思ってしまう。「かの女は大いにしゃべるであろう。しかし、それはまったく舌のそよぎにすぎないのであったえ、かの女のおしゃべりは殆ど無意味であり、真理そのものを説きあかすことなどどうでもよく、ただ相手からかの女のいうところを、もっともだとうなずいてもらうことができればそれで十分なのだ」と書いてあることは、そっくり鳩山首相にあてはまるのではなかろうか。そして、「どうしても自分のいうことを信じてもらえないばあいには、かの女は修辞(レトリック)のもつ音楽的な効果に訴えるであろう」というくだりも、すぐに感情的になってキレてしまうわけだから、まるっきり同じだ。だからと言って、花田は女性を軽蔑しているわけではない。「今のような転形期にのぞみ、生まれながらに修辞的である女のほんとうの顔は、抽象的な意味において、かならずイエスのそれと多くの類似性をもつであろうと信じる」というのが結論なのである。イエスは「権威あるものの如く語った」といわれる。学者のような論理的な喋り方ではなかった。その点では、鳩山首相はイエスやかの女たちとは違っているのはいうまでもない。イエスやかの女たちは、対話する相手と心を一つにする術として、修辞を用いていたからだ。花田はイエスについて「かれの言葉は聴くものの肺腑をつき、たちまちのうちに相手の心にピスティス(信頼)の念をおこさせる、かれは抑圧されたもののひとりとして、誰よりも大衆の気分や感情を知り、かれらを代表して、かれらのために語った」とも述べているが、月1500万円も母親からもらっていた鳩山首相には、それは最初から無理な話なのであり、後先を考えずに、口から出任せを言っているだけなのである。

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