鳩山由紀夫首相や小沢一郎民主党幹事長が権力の中枢にいる日本の政治については、怒りを通り越して、情けなくてならない。先の戦争で敗北したことで、この国は骨抜きにされてしまったのである。江藤淳によると、米国は一時期、日本人を日本人でなくするために、英語を強制しようとしたのだという。日本人が過去から受け継いできた文化的な伝統を破壊するというのが、米国の占領政策の根本にあったからだ。無理にローマ字を使わせようとしたのも、その表れにほかならない。江藤は、米国が「日本語の周辺に漂っていると思われた神秘的な要素を、いっきょに洗い流してしまうことをも意図していた」(『日米戦争は終わっていない』)と書いている。そして、「平和」や「民主主義」という言葉が有難がられ、「大東亜戦争」も「太平洋戦争」に置き換えられた。昭和20年10月8日から昭和23年7月25日までは、占領軍民間検閲支隊が全国の主要な新聞に対しての事前検閲を行った。それ以降は事後検閲に移行したが、新聞や本を発行した後にクレームが付けば、経済的な損失は大きい。そうならないために、多くの新聞社や出版社が自己検閲に手を染めるようになり、「すべて一目盛りずつ内輪に書いていかなければならぬことに」(同)なったのである。鳩山首相が「友愛」という言葉を口にしても、米国が批判がましいいことを論評しないのは、そうした理由からだろう。特攻隊となって敵空母に突っ込んだ「神秘的な要素」とは違って、理解の範囲内であるからだ。その意味では、日本を弱体化させる政策の落とし子が、現在の鳩山政権なのである。国の安全保障についても、まるっきり人任せで、米国に頼りっきりなのは、閉ざされた言語空間で育った者の特徴だ。米軍の普天間基地の移設をめぐって迷走しているのも、冷酷な現実との接点を持とうとしないからだ。今こそ米国は、これまでの日本を骨抜きにした政策が行き過ぎであったことを認め、それこそ同盟関係の深化を目指すべきだろう。日米関係を根本からそこなうような政権を誕生させてしまった背景には、米国による徹底した日本弱体化政策があったわけだから。
米軍普天間基地の移設問題で、鳩山内閣や民主党に現実感覚がないために、日米関係が最悪になってしまっている。中国の軍事的な膨張政策や、北朝鮮の核やミサイル開発によって、東アジアにおける緊張が続いているにもかかわらず、それをまったく無視して、アメリカが歩み寄ってくれるものと勝手に期待したのではないか。自民党政権時代に日米が合意した、キャンプ・シュワブ沿岸部へ移設し、海兵隊司令部をグアムに移動するという案以外になかったのに、それを白紙に戻してしまった責任は大きい。「マッチポンプ」と言われても、しかたがないだろう。できもしないことを煽り立てておきながら、今になって火消しに躍起になっているわけだから。典型的な会津っぽで、国際法学者であった大平善梧は、日米安全保障条約の改定をめぐって国論が二分された60年安保騒動のときにも、現実的な対応を訴えて、1歩もひるむことがなかった。大平は「わが国では外交について公式論が盛んで、謙虚に事実から学ぼうとする態度が欠如していると思われてならない。冷静に国際環境を分析して、客観的な判断を下し、国家利益から現実的な見通しをたてるという外交論が非常に少ない。国際法や外交史の理論的な研究はなされてきたが、外交政策にたいする実証的研究が無視されてきた惧みが多い。こんなことから感情的な、或いは抽象的な外交論争が輩出するわけで、いつも大きな外交決定には無用の混乱を惹起して、収拾のつかない体たらくである」(『日本の安全保障と国際法』)と嘆いていたが、同じ誤りを繰り返してしまったのが、鳩山政権なのである。外交、防衛というのは、国家にとって最重要事項である。もたついてばかりいたのでは、国益を最優先させる国際社会で遅れをとるだけであり、そのツケは国民に回ってくるのである。