鳩山政権や民主党には腹がたつことばかりで、エキサイトばかりしていると、こちらが病気になってしまいそうだ。東北の片隅にあって、いかに悲憤慷慨しようとも、あくまでもささやかな日常のひとコマでしかない。わずかに心を慰めてくれるのは、吉井勇の短歌である。祖父の吉井友美は薩摩藩士で、父親は海軍軍人であった。そうした質実の気風に育ちながら、若いときは紅灯の巷に出入りし、遊蕩文学と評された。しかし、晩年は作風が一変したともいわれる。『歌集 寒行』には、昭和18年11月から昭和20年4月までの作品が収められている。その頃には、日本が守勢に立たされていたこともあり、祖父や父親と同じような国を思う気持ちがこめられていて、ついつい背筋を伸ばさずにはいられない。祖国の危機に際して、薩摩武士としての血が騒いでならなかったのだろう。とくに胸を打つのは「対幅夜坐」に収録された七首である。祖父が亡友西郷隆盛を偲んでつくった「ことしあらばともにゆかむと誓ひてし友は昔になりにけるかな」という一首がしるされた掛け軸を、夜中に目の前にかけて詠んだもので、まるで維新の志士であった祖父と対座しているかのような、作者の厳粛な気持ちが脈打っている。
なつかしき祖父五十路の姿見ゆこの歌を見て夜深く居れば
祖父の文字なほ生きてわれに言ふ大君のこと忘るるなゆめ
幅のいろ寂しけれども歌すがし心かしこむ床にむかひて
鳩山由紀夫首相や岡田克也外務大臣は、一体何をしたいんだろう。日米間の密約を今の時期に認めることで得することがあるのだろうか。米国に間違ったシグナルを送ることになってしまうのではなかろうか。同盟国としては、秘密をもらさないことも大事ではないか。佐藤栄作首相の時代に実現した沖縄返還にしても、平和的な手段で取り戻すのは、並大抵のことではなかったはずだ。しかも、その段階では、ソ連が崩壊してはいなかったのである。米国の核の傘に入るしか手がなかった日本としては、領土を取り戻すことを優先させたのだと思う。さらに、今日でも、北朝鮮が核兵器を所有し、さらに、それを運搬するミサイルを開発にしたことで、日本に核ミサイルがいつ打ち込まれても不思議ではないのである。そうであれば、米国の核の抑止力に頼る以外に方法がないのは、誰の目にも明らかだ。それを仮に拒否しようとすれば、日本の存立自体が危うくなるし、残された選択肢としては、日本の核武装しかないのである。国民の生命と財産を守るということは、口先だけの平和主義では実現しないからだ。今なお世界は暴力の海のただなかにある。民主党を中心とした鳩山政権は、普天間基地の移設問題の批判をかわすために、日米の間に密約があったことをことさら騒ぎ立てている。こんなことばかりしていては、米国での反日感情が高まるのは確実であり、日本の国際的な信用が失われるだけだ。どうしてそれに気づかないのだろうか。