草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

鳩山邦夫新党は憲法改正を目玉に

2010年03月14日 | 政局

 鳩山邦夫前総務大臣が新党構想をぶちあげた。一番大事なのは、どんな旗を掲げるかである。それはいうまでもなく憲法改正でなければならない。それだと舛添要一前厚生労働大臣や与謝野馨前経済財政担当大臣とも合流できるし、民主党の国を思う議員たちとも心を一つにできる。間違っても鳩山由紀夫首相の延命に手を貸すことであってはならない。いかに鳩山邦夫が弁護しようとしても、小沢一郎民主党幹事長や連合などの労働組合に引きずり回されているのが、今の鳩山首相であるからだ。米国に一方的に押し付けられた憲法を、あたかも神聖なものとして押し戴いてきたことで、日本は国家たりえなかったのである。自民党は、それこそ、昭和30年の結党以来、自主憲法の制定を主張してきたが、今までそれを争点として国民に問うことはなかった。鳩山邦夫新党が憲法改正を目標として掲げれば、自民党が発展的に党を解消しても、批判されることは何一つないのである。民主党を中心にした鳩山政権のままでは、日本はお先真っ暗である。ありとあらゆる揺さぶりをかけて、夫婦別姓や永住外国人の地方参政権を認めるような法案は断固阻止しなくてはならない。それが通れば、国の根本が否定されてしまうからだ。日本人が自らの国家に誇りを取り戻し、国際的な役割を担っていくためにも、現在の憲法を手直ししなくてはならないのであり、その第一弾としての新党であるべきだ。

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小沢一郎は郷党の政治家にあらず

2010年03月14日 | 思想家

 江藤淳や吉本隆明までもが、民主党幹事長の小沢一郎びいきになったことがあった。江藤はすでにこの世にいないが、吉本は今でも小沢擁護派なのだろうか。週刊プレイボーイに連載された「日本における革命の可能性」のなかで、吉本が小沢を持ち上げたのは平成6年のことであり、もはや時効だと思っているのだろうか。あの頃から左翼という言葉が古臭くなって反体制派の行き場がなくなり、その一部は自民党を飛び出した小沢に擦り寄ったのである。吉本が小沢を評価したのは、『日本改造計画』で、国連を重視したことと、普通の国家としての責任に言及したからだ。取り立てて新鮮味があったわけではない。それでも、戦後の日本の思想界をリードしてきた吉本の発言であっただけに、影響力は大きかった。さらに、吉本が小沢に思い描いたのは、田中角栄のようなアジア的な政治家としてではなかったか。「アジア的な政治理念は、根拠地観(論)を第一の特徴にしている。郷党の衆望を背中にしょいこんで中央におもむき、中央政府に参画する。失脚するようなことがあると郷土に帰ってゆく。郷土にいったん帰ると郷土の人たちが守ってくれる。まかり間違って中央政府と武力衝突をやっても、この郷土出身の政治家を守り抜く」という定義は、土着性を重視しており、西郷隆盛、田中角栄、小沢一郎を同列に置こうとしたのだ。しかし、今となっては、小沢への期待は裏切られたのではないか。政治資金で個人の不動産を買いあさったように、郷党の眼差しを意識することのない、無節操な政治家であることが明らかになったわけだから。

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