草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

米国重視かアジア回帰かの選択迫られる日本

2010年06月01日 | 思想家

 米国やヨーロッパが恐れているのは、現代版「黄禍論」ではなかろうか。日中が接近することは、米国などにとっては、悪夢そのものなのである。いかに日本と米国とが政治的な自由の国であり、共産主義国家とは異なっていても、日中の間にある絆の方が強いという固定観念を持っているからだ。鳩山由紀夫首相が主張した「東アジア共同体構想」というのは、まさしくその不安を掻き立てることになったのである。しかし、米国がどうであれ、今後の日本の行方を決めるのは、日本人自身でなければならない。お仕着せの憲法を与えておいて、あらゆる面での弱体化を行った米国が、とやかく口をさしはさむべきではないだろう。武藤光朗が述べていた言葉が思い出されてならない。「現代の日本人は、軍事的な対米従属によって国民的自負心を傷つけられながら、自由世界の異邦人として、自分と異質の精神的伝承に由来する政治的自由の原理のもとで自己抑制に努めることによって、工業化された西洋社会と工業化されていない非西洋世界との間のギャップの橋渡しとなり、ひいてはこれからの国際的権力闘争が白人対有色人種の悲惨な人種闘争に転嫁するのを未然に防ぐのに役立つことができる」(『限界状況としての日本』)。国家として日本が否定されても、その現実を引き受けることで、大きな役割を日本人が担うというのだ。あくまでもそれは、一つの理想を語っているだけあり、自己満足でしかない。中途半端な国家である限り、世界から尊敬されるのは無理なのである。日米同盟かアジア回帰かのどちらかを選択することで、これからの日本が進むべき道は、自ずと決まってくるはずだ。保守派がアジア回帰を声高に叫ばなくなったのは、中国の台頭が著しいからだ。日本が優勢であった時代は、もう過去のことになりつつある。さらに、日米同盟と言っても、安全保障の面で、日本が応分の負担をすることが前提である。

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